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◆2008 国際心理学会議(ICP)ベルリン 丹野義彦

 2008年7月にベルリンで開かれた国際心理学会議(ICP)は、世界から7000人が参加する大きな学会となった。丹野研からは、私を含めて4名が参加した。

1.どんな学会が、いつ、どこで開かれるか。

学会:国際心理学会議 International Congress of Psychology(ICP)
会期:2008年7月20日~25日    
会場:ドイツのベルリン国際会議センター(International Congress Centrum Berlin)
 ベルリン国際会議センターは、ベルリンの西の郊外カイザーダムという所にある。UバーンU2線かSバーン環状線のカイザーダム駅にある。

2.どんな領域の研究者が参加するか、どんな雰囲気の学会か。

 この学会は、4年に一度、ちょうどオリンピックの年に開催される。基礎的な心理学の発表が主である。実験心理学、教育心理学、発達心理学などが多い。臨床心理学など、実践心理学の発表は少ない。認知行動療法の研究者は少なかった。
 4年に一度、いろいろな国の心理学者が集まるお祭りという雰囲気の学会である。

3.学会の規模は。 何人くらい参加するか。

 大規模の大会である。ベルリン大会の参加者は、7000名ということであった。プログラム数は9000という。
 ベルリン大会では中国人参加者が目立った。前回は北京で開かれたので、中国人参加者が増えたのだろう。日本人より多かった。

4.どんなプログラムがあるか、その内容で印象に残ったことは。
①開会式

 開会式は、毎回、当地の特徴を出したユニークなものになる。例えば、北京大会では、中国雑伎団の演技があった。今回の大会では、べルリン・フィルハーモニック・オーケストラのブラス・アンサンブルが出演した。管弦楽ではなく、ブラスバンドであり、ジャズ・バンドのようなポピュラーな曲を演奏した。また、若者の路上パフォーマンス(ボイスパーカッションとブレークダンス)と、小型自転車の芸(BMXバイク・アーティスト)の出し物があった。授賞式もあった。開会式後のレセプション・パーティは、狭い会場に何千人も入って、大混雑した。ワインをもらうまで何十分も行列した。

②講演
 マイケル・ポズナー(アメリカのオレゴン大学)がパウル・B・バルテス賞を受賞し、受賞講演をおこなった。バルテス(1939-2006)は、生涯発達心理学のパイオニアで、エージングの研究で知られる。ベルリンにあるマックス・プランク人間発達研究所の所長を務めた。バルテスの研究はわが国にも大きな影響をもたらした。バルテスらが編集したシリーズ本の邦訳もある(『生涯発達の心理学全3巻』東 洋・柏木惠子・高橋惠子編、新曜社)。彼の業績をたたえてバルテス賞が設けられた。今回は、ポズナーが受賞し、ICPにおいて、「実効注意:その起源、発達、機能」と題する講演会が開かれた。
 また、フィリップ・ジンバルド(アメリカのスタンフォード大学)が招待講演「ルシファー効果と悪の心理学」をおこなった。しかし、小さな部屋だったので、超満員となり、ほとんどの聴衆は部屋に入りきれなかった。部屋の前で、暴動のようになったので、大会会長(フンボルト大学のペテル・フレンシュ)が部屋の前で謝っていた。このような事態は主催者のミスである。

③ポスター発表
 丹野研の関係者も多くの発表をおこなった。
ASAI, T. & TANNO, Y. Bimanual coordination in predicting one’s own movements in motor control. International Journal of Psychology, 43, 442, 2008.
HOSHINO, T. & TANNO, Y. Independent – interdependent self-schemas and Taijin kyofusho symptoms in Japan: Cultural factors in social anxiety variants. International Journal of Psychology, 43, 677, 2008.
TAKANO, K. & TANNO, Y. Reciprocal relation between rumination and depression. International Journal of Psychology, 43, 519, 2008.

④ヤング・サイエンティスト・プログラム
 世界の若手研究者を集めたプログラムがあるのも特徴である。前回まではヤング・サイコロジスト・プログラムと呼んでいたが、今回はヤング・サイエンティスト・プログラムと名を変えていた。日本心理学会が推薦して資金援助した若手研究者が発表する。丹野も1984年のアカプルコ大会でこれに参加した。ベルリン大会では、日本から2名の若手研究者が奨学派遣されていた。

⑤ドイツ学術振興会とアレグザンダー・フォン・フンボルト財団の説明会
 ドイツ学術振興会(Deutsche Forschungs-gemeinschaft:DFG)はドイツ国内の若手研究者のための奨学金を出している。2007年には、DFGは、心理学研究に対して2500万ユーロ(約40億円)を支援したという。
 また、アレグザンダー・フォン・フンボルト財団(Alexander von Humboldt-Foundation)は、ドイツの財団であるが、ドイツ国外の若手研究者へ奨学金を出して、ドイツ国内での研究を奨励している。アレグザンダー・フォン・フンボルトは、現在のフンボルト大学(以前のベルリン大学)を創設した言語学者であり、フンボルトは、「大学教育」というものを作った人であり、①純粋学問の追究、②研究と教育の一致、③教授会の自治権という3原則を作った。文科系はゼミナールで教育し、理科系は実験室で教育するというシステムを作ったのはフンボルトである。「フンボルト理念」による教育方法は大成功を収め、ベルリン大学は世界の科学のトップに躍り出た。ベルリン大学のノーベル賞受賞者は29名に登る。その中には、アインシュタイン、コッホ、マックス・プランクなどがいる。アメリカや日本のような新興国は、ドイツの大学システムをモデルとして大学を作ったのである。フンボルトの名前をつけたこの財団は、毎年1800名の国外の若手研究者(40歳以下のポスドクか博士課程在学者)をドイツへ呼んで留学してもらうことを支援している。これまでに、30カ国から23000人への支援を行い、40人のノーベル賞受賞者を輩出しているということである。国際心理学会議でもこれについて解説していた。無料でランチをごちそうしてくれたのでありがたい。

⑥人形劇「パウラと4人の妖精」
 ベルリン自由大学教授のヘルベルト・シャイトハウエルが紹介していた。就学前の子供を対象として、行動障害を予防し社会的感情能力を養成するための人形劇である。4人の妖精とは、悲しみ、怒り、恐怖、幸せの4つの感情を表しており、子供が自分の感情を自覚して表現することを助けるという。その効果については、実証的研究があるという。


5.有名な研究者でどんな人が参加するか。
 基礎的な心理学の発表が主であり、臨床心理学など、実践心理学の発表は少ない。
 認知行動療法の研究者としては、アンケ・エーラーズ(ロンドン大学精神医学研究所)が「外傷後ストレス障害への認知行動療法」というタイトルで4時間ワークショップをおこなっていた。エーラーズは、世界の認知行動療法のリーダー的存在であり、とくにPTSDの認知行動療法では世界的に知られる。ドイツ生まれで、1985年にドイツのチュービンゲン大学で心理学の博士号を取った。イギリスに渡り、オクスフォード大学精神科でウェルカム財団主任研究員として、不安障害の研究をおこなった。オクスフォード・トラウマ認知療法グループを作り、PTSDの認知行動療法を開発し、大きな業績をあげた。2000年に、夫のクラークやサルコフスキスらとともに、ロンドン大学キングス・カレッジの精神医学研究所教授をつとめている。ドイツ科学アカデミーの会員でもあり、ドイツの学会は地元である。エーラーズのPTSDの理論と認知行動療法については、星和書店から近々出版される予定である。
 ほかには、エーマン(スウェーデンのカロリンスカ大学)などが参加していた。
 
6.日本から誰が参加していたか。
 この大会の特徴は、一度参加すると次回も参加したくなることである。日本人のリピーター率はかなり高いので、日本からの参加者数は、大会ごとに増えている(丹野もアカプルコ以来ずっと出席している)。
 1984年 アカプルコ大会 約100名
 1992年 ブラッセル大会 360名
 1996年 モントリオール大会 411名
 2000年 ストックホルム大会 500名
 2004年 北京大会 550名
 2008年 ベルリン大会  ?名

7.発表申し込みの〆切はいつか、大会参加費はいくらか。
 ポスターなどの登録〆切は2008年3月1日。
 参加費は、400ユーロ、学生は100ユーロである。

8.次回の学会はいつどこで開かれるか。
 次回の国際心理学会議(ICP)は,2012年7月に、南アフリカのケープタウンで開かれる。
日時:2012年7月22~27日
場所:南アフリカのケープタウン
 日本からも多くの講演やシンポジウムやポスター発表を出したいものである。

9.学会や大学や旅行で気がついたこと、その他
 北京大会でもそうだったが、開催地の心理学施設を紹介するツアーが組まれていた。
 大会の正式のイベントで、「ベルリンとポツダムの心理学施設への科学的訪問」(PSYCHOLOGY IN BERLIN AND POTSDAM AND SCIENTIFIC VISITS)があった。「ベルリンとポツダムの心理学」という常設展示があった。このICPを共同主催したのは次の5つの大学であり、それぞれの大学へのツアーがあった。
①ベルリン・フンボルト大学(Humboldt University Berlin)心理学科
②ベルリン自由大学(Freie Universität Berlin)心理学科
③ベルリン工科大学(Technical University Berlin)心理学科
④ポツダム大学(University of Potsdam)心理学科
⑤マックス・プランク人間発達研究所(Max Planck Insitute for Human Development)
 ほかにも、学会主催のツアーとして「ベルリンの壁ツアー」や「同性愛ツアー」があった。

①ベルリン・フンボルト大学

 ベルリン大学は1810年にフンボルトによって創設され、1890年に心理学科が創設された。ベルリン大学の本部は、ベルリンの目抜き通りのウンター・デン・リンデン通りにある。ベルリン大学の心理学科は、エビングハウス、シュトゥンプといった実験心理学の創設者を生んだが、何と言っても歴史的に有名なのは、ゲシュタルト心理学の発祥の地ということであろう。ベルリン大学のクルト・レヴィンやヴォルフガング・ケーラーたちがゲシュタルト心理学を作ったのである。その後も、ゴッチャルトらがそれを受け継いだ。
 このような輝かしい歴史を持つベルリン大学だが、政治の波に翻弄される。この大学ほど、波乱に満ちた歴史をたどった大学も少ないだろう。ナチスによるユダヤ人の迫害で、研究と教育の中心を占めていたユダヤ人の学者が職を追われ、多くはアメリカに移住した。また、第二次大戦後にベルリンは東西に分割された。ベルリン大学はソ連の占領下に入った。そして、教員や学生には、マルクス主義に対する忠誠宣言が要求された。これに反対した教員や学生は、1948年に、自発的にダーレム・ドルフの地に、机や椅子を運び込んで青空教室を始めた。これが「ベルリン自由大学」である。これによって、東側のベルリン大学は1949年に「フンボルト大学」と改名された。こうして、冷戦以後、ベルリンでは、東のフンボルト大学と、西のベルリン自由大学が並列するようになったのである。
 本大会では「ベルリン心理学史ツアー」というのがあり、これはベルリン・フンボルト大学を中心に回るツアーである。

②シャリテ病院
 シャリテとは、ベルリン・フンボルト大学の医学部の病院の通称である。シャリテとは、フランス語の「隣人愛」から来た言葉で、「慈善病院」のことを指している。シャリテは、コッホやフィッシャーなどのノーベル賞クラスの医学者を多く出していて世界的に有名である。明治時代に森鴎外や北里柴三郎などの医学者が留学した(キャンパスの近くに森鴎外記念館がある)。現在、シャリテはヨーロッパで最も大きい医学部である。多くのキャンパスを持っている。
 シャリテの精神科は、グリージンガーやボンヘッファーを生むなど、世界的・歴史的に有名である。現在は、「精神科・心身医学科・心理療法科」となっていて、心理療法・臨床心理学もさかんである。
 シャリテを紹介するツアーもあり、中央キャンパス精神科での心理療法を巡るものである。

③ベルリン自由大学
 前述のように、第二次大戦後にベルリンが東西に分割された時、ベルリン大学はソ連の占領下に入った。そして、教員や学生には、マルクス主義に対する忠誠宣言が要求された。これに反対した教員や学生は、1948年に、自発的にベルリン南西郊外のダーレム・ドルフの地に、机や椅子を運び込んで青空教室を始めた。これが「ベルリン自由大学」である。これによって、1949年に東側のベルリン大学は「フンボルト大学」と改名された。こうして、冷戦によって、東のフンボルト大学と、西のベルリン自由大学が並列することになった。ベルリン自由大学の研究レベルは非常に高い。このツアーでは、神経認知心理学の実験室を回る。
 
④ポツダム大学
 ポツダム大学は比較的新しい大学で、心理療法は認知行動療法が盛んである。ポツダム大学心理学科へのツアーは、実験心理学と心理療法を見学する。ポツダム大学は、すぐそばに世界遺産のサンスーシ宮殿がある。「心理学とサンスーシ」というツアーがある。

⑤マックス・プランク人間発達研究所

 戦後のドイツは、フンボルト流のエリート主義を捨て、平等主義的な教育をおこなったため、大学の大衆化が進み、専門教育のレベルは低下した。その結果、戦後のドイツは基礎科学が遅れてしまい、アメリカに大きく水をあけられた。このことは、ノーベル賞の受賞者数に明確に現れている。こうした危機感から、ドイツ政府は、基礎科学を復興せざるを得なくなった。その方法として、莫大な資金をマックス・プランク研究所に投入したのである。世界の有能な研究者を集めて、集中的に投資をして、研究体制を整えた。研究者にとっては夢のような研究所が完成した。
 マックス・プランク研究所は、ドイツ内外の各地に80以上の研究所を持っている。80以上の研究所をまとめているのは、マックス・プランク・ソサエティである。もとはカイザー・ヴィルヘルム研究所といい、アインシュタインも所長をつとめた。マックス・プランク(1858~1947)は、1918年に量子力学でノーベル賞をとった物理学者であり、1930年にカイザー・ヴィルヘルム研究所の所長となった。しかし、その後、ナチスのユダヤ人科学者への処遇に抗議し、辞任した。第二次世界大戦後の1945年に、研究所は、プランクを再び所長として招き、彼の名前をとってマックス・プランク研究所と改名した。
 心理学に関係するものとして、ミュンヘンには、マックス・プランク心理学研究所やマックス・プランク精神医学研究所がある。ライプチヒには、マックス・プランク認知脳科学研究所と進化人類学研究所がある。ベルリンには、マックス・プランク人間発達研究所がある。この研究所は、ベルリン自由大学の近くにキャンパスを持っている。4つのセンターからなっている。①適応的行動認知センター、②教育研究センター、③生涯発達心理学センター、④感情史研究センターの4つである。③の生涯発達心理学センターの中心として活躍したのが、前述のパウル・バルテス(1939-2006)である。


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