認知行動療法を学ぼう世界の大学と病院を歩く丹野研究室の紹介駒場の授業
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◆2011年アジア認知行動療法会議(ACBTC)ソウル 丹野義彦

 2011年に韓国のソウルで開かれたアジア認知行動療法会議(ACBTC)に出席した。この大会も3回目となり、認知行動療法がアジアのスタンダードになりつつあることを実感した。日本からも約80名が参加していた。大会の様子を報告したい。

1.どんな学会が、いつ、どこで開かれたか。
アジア認知行動療法会議 Asian Cognitive Behaviour Therapy Conference(ACBTC)
日時:2011年7月14日~16日
場所:ソウル カトリック大学医学部

2.どんな領域の研究者が参加するか、どんな雰囲気の学会か。
 認知行動療法は現在のアメリカやイギリスでは心理療法の主流となっているが、アジアにおいても急速に広まりつつある。そうした中で、アジアにおけるエビデンス・ベースの認知行動療法を普及させることを目的として、オーストラリアのクイーンランド大学のシャン・ウィ(Tian Oei)教授が中心となって、アジア認知行動療法会議が開かれるようになった。2~3年に1度の間隔で開かれる。
 第1回は、2006年にも香港中文大学のキャサリーン・タン教授(Catherine Tang)が中心となって、香港で開かれた。大会のスローガンは「エビデンスにもとづくアセスメント・理論・治療」であった。
 第2回は2008年10月に、タイのチュラロンコーン大学で開かれた。しかし、この時はたまたまタイが政情不安となり、残念ながら、日本からの参加者の多くが出席をキャンセルした。
 第3回目の今回は、2011年にソウルで開かれた。この大会のスローガンは、「アジア型の認知行動療法理論と実践を求めてSearching For Asian CBT Model of Theory and Practice」であった。

3.学会の規模は。 何人くらい参加するか。

 大会参加者は350名と発表された。
 開催委員長のチョイ氏に直接聞いたところでは、登録者は、韓国人は180名、日本人は79名だったという。

国別発表数
 口頭発表とポスター発表の国別数(第1著者の国籍)は、以下のようであった。

 

発表数

1.日本

73

  47.7%

2.韓国

51

  33.3%

3.マレーシア

   6 

  3.9%

3.中国(本土)

   6 

  3.9%

5.オーストラリア

   5 

  3.3%

6.アメリカ合衆国

   4 

  2.6%

7.シンガポール

   3 

  2.0%

8.香港

   1 

  0.7%

8.台湾

   1 

  0.7%

8.フィリピン

   1 

  0.7%

8.イラン

   1 

  0.7%

8.インドネシア

   1 

  0.7%

    計

 153

  0.7%

 日本が最も多く73名であり、何と半数近くの47.7%を占めていた。続いて、現地の韓国51名、マレーシア6名、中国(本土)6名、オーストラリア5名、アメリカ合衆国4名、シンガポール3名、香港・台湾・フィリピン・イラン・インドネシア各1名であった、
 ちなみに、第1回目の香港大会では、日本51名、韓国46名、中国(本土)45名、香港23名、オーストラリア19名、台湾18名、アメリカ合衆国9名、タイ8名、マレーシア6名、フィリピン3名、ニュージーランド3名、オランダ3名、インド2名、ブラジル2名、スリランカ1名、イギリス1名であった。これらと比較すると、第1回大会も日本からの発表者が最も多く、この傾向はずっと変わらないようである。また、第1回目のほうが参加国のバラエティは高かったことがわかる。今回は、日本と韓国の2ヵ国に限られる傾向が見られた。
 臨床心理学と精神医学の専門家が多かったが、看護師などの参加者も多かった。


4.どんなプログラムがあるか、その内容で印象に残ったことは。

4-1.ワークショップ

 ワークショップは、5本行われた。
①ジュディス・ベック(ペンシルバニア大学、ベック研究所)
「体重管理と減量に向けた認知行動アプローチ」A cognitive behavioral approach to weight loss and maintenance
②キース・ドブソン(カルガリー大学)
「うつ病における否定的認知とのワーク:認知的変化のためのエビデンスと有用性にもとづく戦略」Working with Negative Cognition's in Depression: Evidence-based and Utility-based Strategies for Cognitive Change
③シャン・ウィ(クイーンズランド大学)
「うつ病への集団認知行動療法」Group cognitive behavior therapy for depression
④トゥリオ・スクリマリ(スペインのカターニア大学)
「認知療法に神経科学を応用する:アセスメントと自己調節の新しい方法」Applying neuroscience in cognitive therapy: new methods for client assessment and self regulation
⑤ニコラス・カザンツィス(ラトローブ大学)
「認知行動療法におけるホームページ割り当てを促進する」Enhancing homework assignments in cognitive behavior therapy

4-2.歓迎レセプション Welcome Reception
 歓迎レセプションは、大会初日の7月14日の夜に、マリオットホテルで開かれた。
 レセプションの参加費は40米ドル、5万韓国ウォン(約3500日本円)である。
 アーロン・ベックの誕生日が7月18日と近いので、会場に"Congratuations on your birthday Dr Aaron Beck"という横断幕が張ってあった(科学の国際学会で個人の誕生日が祝われるのも珍しいことではある)。ベックは1921年7月18日生まれなので、今回が90才の誕生日となる。
 丸テーブルを囲んで座り、レセプションが始まると、大会の委員や参加者をひとりひとり紹介していった。ゲストのジュディス・ベックとキース・ドブソンがあいさつし、日本からは熊野宏昭先生があいさつをした。
 20:00から21:30まで歌謡ショーとなった。プロの歌手が10人ほどひとつのテーブルに座っていて、次から次へと舞台に立って歌った。司会をしていたのは、プロの司会者だと思ったら、大学の教授だということだった。最後の方は、太鼓が入って、みんなが輪になって踊ったりして楽しかったそうだ。しかし、丹野は、翌日の講演の準備が残っていたので、早めに切り上げた。
ワインがはじめに1杯出たが、飲み物はそれだけだった。ウェイトレスにワインを頼んだら、「もうなくなった」とのことである。一説には、歌謡団にお金を使いすぎて、ワインまで回らなくなったらしい。


4-3.プレナリー講演 Plenary Lectures

 今回の学会では7本のプレナリー講演が行われた。講演をしたのは、ジュディス・ベック(ペンシルバニア大学、ベック研究所)、キース・ドブソン(カルガリー大学)、トゥリオ・スクリマリ(カターニア大学)、チー・ウィー・ウォン(中国認知行動療法学会会長)、シャン・ウィ(クイーンズランド大学)、ポール・チャエ(Sungshin Women's University; 誠信女子大学)である。こうした面々に混じって、丹野もプレナリー講演をおこなった。
 プレナリー講演とは、その時間帯に他の演題がなくその講演のみが行われる講演をさす。とはいえ、今回の学会では、プレナリー講演と併行してシンポジウムがおこなわれていたし、7本ものプレナリー講演が連続しておこなわれるのも異例である。通常の招待講演と変わらない。

4-4.丹野のプレナリー講演
 丹野は、"Evidence-based Promotion of CBT in Asia: The History and Future Perspective"というタイトルで50分の講演をおこなった。
 講演の概略は以下の通りである。
 世界のメンタルヘルスの専門家の間では、3つの大変動がおこりつつある。第1は、「精神分析療法」から「認知行動療法」への移行である。第2は、エビデンス(科学的根拠)にもとづく実践の定着である。第3は、職業としての科学的臨床心理学の確立である。3つの動きは、震源地は異なるが、実は「基礎心理学に裏づけられた臨床心理学の確立」という大きなひとつの地殻変動の結果である。
 こうした変化はアジアにも押し寄せている。以前は「認知行動療法は欧米の文化に特異的であるから、アジアでは効果がない」という人もいたが、こうした偏見は否定されている。アジアにおける治療効果研究を見ても、認知行動療法は確かに効果があるからである。
 とはいえ、認知行動療法のこれからを考えると、課題はたくさんある。例えば、日本では、医療保険点数化、心理師の国家資格化、心理学会のアンブレラ化などである。
 こうした問題を解決するために、モデルとなるのはイギリスである。イギリスでは、英国認知行動療法(BABCP: British Association of Behavioural and Cognitive Psychotherapies)が主導して、政府に働きかけ、IAPT(Improving Access to Psychological Therapies)のプログラムがおこなわれ、成功を収めている。こうした動きを後押ししたのは、国立医療技術評価研究所(NICE: National Institute for Health and Clinical Excellence)のガイドラインであった。
 イギリスのBABCP-IAPT-NICEモデルを参考にして、アジアへの認知行動療法の普及を考えるために、「エビデンスにもとづく普及政策」を提案したい。

 講演の後、同じ講演者の韓国の誠信女子大学(Sungshin Women's University)の心理学科教授ポール・チャエ氏から、「たいへん勇気づけられる内容だったので、スライドを送ってほしい」と言われて、送った。
 講演者のために大会から、マリオットホテルの4泊の滞在が提供され、講演の直前に至るまでホテルにこもって準備ができたのはありがたかった。

4-5.シンポジウム
 シンポジウムは9本開かれた。日本人も積極的にシンポジウムで発表していた。
 個人的には、「アジアの認知行動療法、過去・現在・未来」というシンポジウムが役に立った。これについては、後でまとめたい。

4-6.ポスター発表
 ポスターは、132本が5つのセクションに分けて発表された。内容としては、臨床研究が主であるが、非臨床アナログ研究もあった。
 丹野研究室からは、以下の2題を発表した。
Takano, K., Iijima, Y. & Tanno, Y. Processing efficiency in worry; an examination of time estimation paradigm. Abstract of the 3rd Asian Cognitive Behavior Therapy Conference, Seoul, p. 113, 2011.
Mori, M., Nakamura, Y. & Tanno, Y. Relationship between effortful control, anger and anxiety. Abstract of the 3rd Asian Cognitive Behavior Therapy Conference, Seoul, p. 111, 2011.

4-7.閉会式Closing ceremony
 閉会式では、次回の大会の責任者が、次回大会のアナウンスをおこなうのがふつうである。今回は、責任者の大野先生や坂野先生が出られないとのことで、急に丹野と中川先生(日本行動療法学会国際委員長)が次回アナウンスをすることになった。突然のことだったので、緊張したが、何とか英語で2~~3分のアナウンスをした。日本の学会の代表としてあいさつするのは初めてのことであった。会場の人にきちんと伝わったかどうかは不明である。


5.有名な研究者でどんな人が参加するか。
 アメリカのジュディス・ベック(ペンシルバニア大学、ベック研究所)、カナダのキース・ドブソン(カルガリー大学)、スペインのトゥリオ・スクリマリ(カターニア大学)がメインゲストであった。


6.日本から誰が参加していたか。
 今回の大会は、日本人の活躍が目立った。
 まず、大会アドバイザーとして、次の先生方が参加していた;福井至・古川壽亮・原井宏明・貝谷久宣・熊野宏昭・中川彰子・大野裕・坂野雄二・杉山雅彦の各先生。ホームページでは先生方が顔写真付きで紹介されていた。
 また、日本人の演題数は、前述のように73本であり、参加国の中でトップであった。ほぼ半数の発表は日本人のものであった。
 さらに、ポスター発表の中から、ポスター賞が5本選ばれたが、そのうち2本は日本からのものであった。早稲田大学の横山仁史さんらの研究と、目白大学の笹川智子さんらの研究である。おふたりは認知療法学会のニューズレター「認知療法NEWS」に大会報告記を執筆される予定である。
 また、日本からの大会参加者は、前述のように79名であり、地元の韓国人に次いで多かった。


7.発表申し込みの〆切はいつか、大会参加費はいくらか。
 ポスター発表などのアブストラクトの〆切は 2011年6月6日。
 参加費は、地元の韓国人は韓国ウォンで支払い、外国人は米ドルで支払うことになっていた。カードは使用できず、現金のみ扱っていた。
 参加費(当日)は、学生以外が260米ドル(約20000円)、学生が210米ドル(約17000円)である。韓国ウォンでは、学生以外が28万ウォン(約20000円)、学生が23万ウォン(約16000円)である。
 大会前の予約参加費では、学生以外が180米ドル(約14000円)、学生が130米ドル(約10000円)となる。韓国ウォンでは、学生以外が20万ウォン(約14000円)、学生が15万ウォン(約10000円)となる。
 一日ワークショップの参加費は40米ドル、5万ウォン(約3500円)である。


8.次回の学会はいつどこで開かれるか。

 次回の開催地については、この大会中の7月15日早朝に開かれたアジアCBTボードメンバーミーティングで決定された。投票がおこなわれ、次回は2013年に東京で開かれ、次は2015年に中国(南京)で開かれることが決まった。また、このミーティンクにおいて、アジア地区の認知行動療法学会のアンブレラ組織「アジア認知行動療法連合」を作ることが決まった。
 今後、アジア地区で開かれる認知行動療法の国際会議の年表を作ると、以下のようになる。

○アジア周辺地域で開かれる認知行動療法の国際学会の年表
2011年 ACBTCソウル(韓国)
2012年 -
2013年 ACBTC 東京(日本)
  WCBCTリマ(ペルー)
2014年 ICCP 香港(中国)
2015年 ACBTC 中国(南京)
2016年 WCBCT シドニー(オーストラリア)
2017年 ICCP 未定
2018年 ACBTC ダッカ(バングラディシュ)
  ACBTC: Asian Cognitive Behaviour Therapy Conference アジア認知行動療法会議 
  WCBCT: World Congress of Behavioral and Cognitive Therapies 世界行動療法認知療法会議
  ICCP: International Congress Cognitive Psychotherapy 国際認知療法会議


9.アジアの認知行動療法についてのシンポジウム

 シンポジウム「アジアの認知行動療法、過去・現在・未来」を企画したのは、韓国のチョイ(Young Hee Choi)氏である。司会は、チョイ氏と日本の坂野雄二氏がつとめた。このシンポジウムは、東アジア・オセアニア地区の8ヵ国における認知行動療法について紹介するという国際的なものであった。
 韓国、香港、中国(本土)、台湾、タイ、マレーシア、オーストラリア、日本の8ヵ国である。各国の発表者は、以下の5点からまとめていた。
①Clinical Psychologist,
②Clinical Program,
③Clinical Service,
④Clinical Research,
⑤Clinical Training
 東アジア・オセアニア全域の認知行動療法や臨床心理学についての情報が得られて有意義だった。それぞれの国について2時間くらいずつ聞きたかったが、全体が2時間のシンポジウム枠だったので、各国は10分しか発表時間がなかった。このため、発表者は一様に早口で、駆け足になり、ゆっくりメモを取る余裕がなかったのは残念である。ぜひ論文や本などとしてまとめていただきたいものである。

9-1.韓国の認知行動療法

 韓国については、企画者のチョイ(Young Hee Choi)氏が話をした。

ACBTCの組織委員長チョイ氏
 チョイ氏は、今回のアジア認知行動療法会議の組織委員長をつとめ、会議の中心として働いていた。チョイは、現在、メター認知行動療法・スキーマ療法研究所(Mettaa Institute of Cognitive Behavior Therapy & Schema Therapy)の所長をしている。メターMettaaとは「慈悲心」のことらしい。高麗大学(Korea University)医学部を卒業し、精神科医となった。
 カリフォルニア大学ロサンゼルス校精神科のリバーマン教授のもとで、2年間ソーシャルスキル訓練を学んだ(同じ研究室には、後に心理学科教授として活躍するミシェル・クラスケも大学院生としていたという)。また、ウォルピの個人スーパービジョンも受けた。ベックが創立した認知療法アカデミーのフェローである。また、国際スキーマ療法学会の創立メンバーで、ISST 公認のスキーマ療法士でもある。韓国認知行動療法学会会長も務めた。また、德成女子大学(Duksung University)の心理学教授で、仁済大学白病院(Paik Hospital)精神科の臨床教授をしている。2009年3月には、来日して東京認知行動療法アカデミーにおいて、「治療効果の現れにくいパニック障害患者の対処法について」と題するワークショップをおこなった。2011年11月には、日本行動療法学会の招きで来日し、「スキーマ・モード・ワーク」と題するワークショップを行う予定である。
 チョイ氏は、ベックらが創設した「認知療法アカデミー」から認定を受けた会員である。アカデミーの会員は、世界に800名ほどいるが、アジア地区には10名しかいないという(日本では大野裕氏)。チョイ氏は、韓国で精神科医を対象として、このアカデミーから認定された会員を増やそうとして活動している。そのために、アメリカやイギリスからこれまで12名の臨床家を呼んで、ワークショップを開いている。ジュディス・ベックなどもそうである。英語の壁は確かに大きいものがあるが、認知行動療法のエリートをトップダウン式に養成するものであり、興味深い試みである。

韓国の認知行動療法
 シンポジウムでは、チョイ氏によると、韓国では、医療現場は国の資格が必要なので、国資格のない臨床心理士は病院などの医療現場では働けないということであった。このためもありも、臨床心理士の間に認知行動療法がなかなか浸透しにくいとのことであった。少し日本と状況が似ていると思った。
 韓国認知行動療法学会(KACBT: Korean Association of Cognitive Behavioral Therapy)は、現在、Jung Bum Kim氏が会長を勤めている。今回のアジア認知行動療法会議の会長を務めた。ホームページを調べたが、韓国語なので詳しい情報は得られなかった。

ズン・スル・キム ソウル国立大学名誉教授
 ズン-スル・キム(Zoung-Soul Kim)は、韓国のソウル大学校の神経精神医学部の名誉教授である。1970年にカトリック大学(Catholoi University)で博士号を取得し、臨床面では、ミネソタ大学において、臨床心理学的なトレーニングを受けた。カトリック大学病院の助教授(1965年~1974年)をへて、ソウル国立大学の教授(1979年~2003年)となり、2003年に定年退官しソウル国立大学の名誉教授となった。
 2004年に神戸で開催されたWCBCTで「仏教と認知行動療法」という基調講演をおこなった。
 MMPI-168などの研究を行ない、臨床的な症状、診断などの点から、MMPIの簡易版も作成した。研究領域としては、抑うつの認知療法や心理学的査定などがあげられる。また、認知行動療法を受けた後、クライエントのロールシャッハ反応がどのように変化するのかを調べる研究をしている。近年では、認知―行動的アプローチを通じた夫婦間の不和や葛藤の解決などに興味を持っている。代表的な著書には、1988年に刊行されたMinnesota Multiphasic Personality Inventory(MMPI)(Seoul National University Press), 1992年に刊行されたMeaning of Love(Seoul National University Press)、2003年のClinical Psychology Case Book(Seoul National University Press)がある。
 大学の精神医学教室のホームページにキムの紹介がある。
http://medicine.snu.ac.kr/engmed/departments/np.html

アンブレラ化した韓国心理学会
 韓国心理学会(KPA: Korean Psychological Association)はKPAは1946年に設立された。現在の会員数は6500名である。KPAの優れている点は、アンブレラ団体として、アカデミックな心理学だけでなく、実践心理学をも含んでいることである。12の部会Divisionsからなる。①臨床心理学、②カウンセリング心理学、③発達心理学、 ④社会・人格心理学、⑤産業・組織心理学、⑥消費・広告心理学、⑦認知・生物学的心理学、⑧社会問題心理学、⑨学校心理学、⑩女性心理学、⑪健康心理学、⑫司法心理学である。
 それぞれの部会は、専門雑誌を発行し、毎年大会を開いている。また、KPAは資格管理をおこなっており、以下の心理学の免許を発行している。臨床心理学、カウンセリング心理学、発達心理学、産業組織心理学、司法心理学、嗜癖心理学、健康心理学の7つである。韓国は、アメリカ心理学会APAやイギリス心理学会BPS型のアンブレラ化を完了している。旧態依然とした日本の心理学界よりずっと進んでいる。韓国では、36の大学に心理学科があり、毎年1000名の卒業生が出ている。
 KPAのアンブレラの下にある臨床関係の部会を見てみよう。第1は韓国臨床心理学会(KCPA; Korean Clinical Psychological Association)である。韓国では臨床心理学は「心理学の花」と呼ばれている。この部会は、1964年に、KPAの最初の部会として創設され、科学と実践とを結びつける働きをしてきた。部会の会員は3000名(2007年現在)である。うち、457名は、「認定臨床心理士Clinical Psychologist Certificate」という資格を得ている。これはKPAが認定した訓練課程を修了したものである。また、約1000名の会員は、「認定精神保健臨床心理士Mental Health Clinical Psychologist Certificates (Level 1 and Level 2)」を獲得しており、これは精神保健法にもとづいて保健福祉省によって認められた資格である。この部会の会員は主として大学や病院で仕事をしている。部会は、年4回「韓国臨床心理学雑誌」を発行している。年4回の学会・研修会を開いている。12の小部会に分かれて研究・研修などが行われている。
 第2は韓国カウンセリング心理学会(KCPA; Korean Counseling Psychological Association)である。1985年から部会となった。また、資格認定もおこない、「認定カウンセリング心理士Counseling Psychologist Certificates」を認定している。この資格は2つのレベルからなり、レベル1は専門カウンセリング心理士であり、レベル2はカウンセリング心理士である。1974年から2004年までに、レベル1が294名、レベル2が902名取得している。
 韓国精神医学会(Korean Neuropsychiatric Association)についても、ホームページが韓国語のため調べられなかった。

9-2.香港の認知行動療法

 香港については、中国認知行動療法学会の会長ウォン(Chee-Wing Wong)氏が話した。

中国認知行動療法学会の会長をつとめるウォン氏
 ウォン氏とは10年来のつきあいになる。2001年に、丹野は、ロンドン大学の精神医学研究所に留学したが、10月にウォン氏も精神医学研究所に来ていて、知り合ったのである。丹野は、臨床心理学のカイパース教授が主催する認知行動療法のスーパービジョンの会に出ていた(その様子は『認知行動アプローチと臨床心理学』にまとめた)。この会にたまたまウォン氏も来ていて、会が終わってから食堂で長話をした。ウォン氏士は、香港出身で、25年前に精神医学研究所に2年ほど留学し、行動療法のトレーニングを受けた。アイゼンクに直接学んだという筋金入りの行動療法家である。当時の精神医学研究所には、ラックマンやホジスンがいたという。その後、オーストラリアの病院で8年くらい臨床心理士として働き、香港に帰り、カイチュン病院のシニア・サイコロジストになった。病院では、うつ病や不安障害や物質乱用に対する認知行動療法をしているという。2001年10月には、5週間くらいロンドンに滞在し、精神医学研究所で研修をしていた。

中国認知行動療法学会の創設
 2006年に香港で開かれた第1回アジア認知行動療法会議(ACBTC)でも中心メンバーとして活躍していた。この大会では、ウォン氏は、「香港と中国で認知行動療法を教える」というシンポジウムを開いていた。このシンポジウムは、香港と中国での認知行動療法について詳しく述べていた。
 それによると、ウォン氏が議長となって、2005年に、中国認知行動療法学会(CACBT)を作った。そして、2000年から今まで毎年、中国の各地を回って認知行動療法のワークショップを開いて、普及に勤めているという。まさに認知行動療法の伝道師である。
 ウォン氏といっしょに活動しているのは、香港中文大学の精神科のカレー・チャン助教授である。ウォン氏もチャン氏もエネルギッシュな臨床家である。会議の最終日には、ゲストのデイビッド・バーロウを呼んで、講演会とディナーがおこなわれた。中国認知行動療法学会が主催したディナーには、丹野も招待された。
 その後、2008年6月ICCPのローマ大会、2010年6月のWCBCTボストン大会、2011年6月のICCPイスタンブール大会、2011年7月のACBTCソウル大会などで顔を合わせた。認知行動療法の学会では、アジア人は少ないので、懇親会などではお互いすぐに見つけるのである。
 2014年には、ICCPの大会が香港で開かれる予定である。その責任者がウォン氏である。この大会は、「ニューフロンティア」をスローガンとしている。今後のアジアへの認知行動療法の普及を、アメリカ開拓時代のフロンティア西進に喩えたものであろう。彼らはまさに中国というニューフロンティアを開拓していくという意気込みで活動しているのだろう。この大会は、中国本土などから2500名の参加を見込んでいるというから、実現すれば、神戸WCBCTの2倍となる記録的な大学会となる。その宣伝のため、2011年6月のICCPイスタンブール大会や2011年7月のACBTCソウル大会では、中国認知行動療法学会(CACBT)のメンバー4~5人で来ていて、あちこちで宣伝していた。

香港の認知行動療法
 シンポジウムでは、ウォン氏は、香港の認知行動療法について歴史的に紹介し、今後の展望を述べていた。香港は、アジアの中の「小イギリス」とでもいうべき都市である。現在は中国の特別行政区であるが、1997年までイギリス領だったため、英国が公用語であった。香港の人は、英語がよく話せる。また、イギリスやアメリカの大学で勉強する人が多い。香港の心理学者は、イギリスやアメリカに直接行って最新の認知行動療法を勉強している。アイゼンクの時代からロンドンの精神医学研究所で認知行動療法を学び、アメリカのバーロウなどとも直接コンタクトをとりながら、認知行動療法を取り入れてきた。このため、香港は、世界における認知行動療法の本場のひとつとなっている。香港生まれの認知行動療法家としては、双極性感情障害の認知行動療法で有名なドミニク・ラム(ロンドン大学の精神医学研究所)や、神戸WCBCTでワークショップをおこなったダニー・ラム(ロンドンのキングストン大学)などがいる。香港で第1回のアジア認知行動療法会議が開かれたり、その大会にあのバーロウが参加したことは自然なことである。
 香港の医療制度は、イギリスの制度を取り入れている。イギリスの医療制度のもとで科学者-実践家モデルの臨床心理学が発達したことは筆者が『認知行動アプローチと臨床心理学』(丹野義彦著、金剛出版刊)で示したとおりであるが、香港でもイギリス的医療制度のもとで、科学者-実践家モデルの臨床心理学が進んでいる。早くも、1970年頃から、アメリカのシャコウShakowが提唱した「科学者-実践家モデル」を取り入れて、臨床心理士の育成をおこなってきた(シャコウについては、丹野の『アメリカ心の臨床ツアー』に詳しい)。2001年には、香港心理学会で「エビデンス・ディベートEvidence Debate 」があり、ここからエビデンス・ベースの臨床心理学の流れが加速したという。香港は、臨床心理学の先進国であり、日本よりはるかに進んでいる。

香港心理学会
 香港心理学会(Hong Kong Psychological Society:HKPS)は、1968年に創設された。本家イギリスの英国心理学会(BPS)をモデルとしているようで、アンブレラ団体となっている。心理学者の登録と認定をしている。以下の4つの部会からなる。
①臨床心理学部会Division of Clinical Psychology(DCP)
②教育心理学部会Division of Educational Psychology(DEP)
③産業組織心理学部会Division of Industrial-Organizational Psychology(DIOP)
④カウンセリング心理学部会Division of Counselling Psychology(DCoP)
プロの集団として倫理規定を厳しく運用している。ホームページを見ると、誰々がクライエントとの関係で倫理規定を破ったため心理学会を除名されたという記事が実名で載っていた。

9-3.中国(本土)の認知行動療法

中国(本土)の認知行動療法

 中国については、四川大学西中国病院(West China Hospital, Sichuan University)のラン・ツァング氏(Lan Zhang)が話した。
 ラン・ツァング氏は、中国の認知行動療法の歴史を4段階に分けて説明した。
 第1段階は1978~1986年の開放期である。中国本土は、1966年~77年の文化大革命の間、欧米の思想をシャットアウトした。心理学者という職種もいなかったという。したがって、精神分析学というものも中国には入らなかった。1978年に文化大革命が終わり、海外の文化が入ってくるようになった。欧米から認知行動療法が入ってきた。つまり,精神分析学の時代を飛び越えて、いきなり認知行動療法の時代になった。
 第2段階は1987~2000年の初期発展期である。この時期は、認知行動療法を注意深く慎重に取り入れていた時期である。察するに、当時の中国では、まだ政治的な動向は安定しておらず、西欧の文化に飛びつくことは命がけのことだったのかもしれない。いつまた文化大革命の時代に戻って粛正されてしまうかわからない時代だったからである。
 第3段階は、2000年以降の急速発展期である。自分なりのやり方がわかって、急速に認知行動療法が定着した時期である。2005年には、中国認知行動療法学会(Chinese Association of Cognitive Behaviour Therapy: CACBT)が作られた。その議長となったのは、香港のウォン氏である。
 第4段階として、最近は、東洋的な認知行動療法をめざす動きがあるという。道教(タオイズム)や森田療法との融合をめざす動きがあるという。また、北京の精神科医Zhongは認知洞察療法(Cognitive Insight Therapy)を提案した。これは認知行動療法と精神分析療法の融合であるという。

文献
Qian, M., & Chen, Z. (1998). Behavior therapy in the People’s Republic of China. In T. P. S.Oei (Ed.), Behavior therapy and cognitive behavior therapy in Asia (pp. 33–46). Glebe, New South Wales: Edumedia.。
Qian, M., Smith, C.W., Chen, Z., & Xia, G. (2001). Psychotherapy in China: A review of its history and contemporary directions. International Journal of Mental Health, 30, 49–68.

北京大学ミンギ・シャン教授
 中国の認知行動療法で有名なのは、北京大学教授のミンギ・シャン(Mingyi Qian, 銭銘怡)である。シャン教授は、大学から今まで北京大学で教育を受け、そのままペキン大学の教授となった生え抜きである。1082年に心理学系を卒業し、1984年に修士課程を卒業し、そのまま助講師となった。1996年に臨床心理学の博士号をとり、1997年に教授となり、現在にいたる。1996年には、ロンドン大学のロイヤル・ホロウェイ・カレッジに留学した(心理学科は、マイケル・アイゼンクが学科長をつとめる)。これまで100本以上の論文を発表している。教授の研究室の前には、最近の論文の最初のページがたくさん貼られていたが、それを見ると、認知行動療法や森田療法の論文が多い。
 シャン教授は、2004年7月に神戸で開かれた世界行動療法認知療法会議でも来日して、開会式でスピーチをおこない、また招待講演「中国における認知行動療法」をおこなった。中国では、アメリカやイギリスに直接行って臨床心理学を学ぶので、認知行動療法が急速に普及しているということであった。
 2008年に国際心理学会が北京で開かれた時に、北京大学の心理学科を訪ねる機会があった。北京大学の心理学系は、1917年に作られ、中国で最初の心理学科である。ライプチヒでブントのもとで学んだCAI Yuanpeiが開設した。日本で心理学教室が開かれたのは、東京大学が1903年、京都大学が1908年であるから、北京大学も10年ほど遅れたにすぎない。現在は、教授10名、助教授8名、学生数120名である。建物の中にはいると、1階は教室で、2階に研究室が並んでいた。いくつかの実験室に分かれており、認知心理学、発達心理学、応用心理学などと並んで、臨床心理学実験室(clinical psychology lab)や、カウンセリング心理療法センター(Center for Counseling and Psychotherapy)があった。
 ミンギ・シャン教授の部屋の前に貼られていた論文には次のようなものもあったのは興味深い。2000年のJournal of Morita Therapyに発表された"Morita Group Therapy for Cardiac Neurotic Patients"という論文や、1999年の日本の森田療法学会誌に発表された「森田療法原理とリラックス想像技法の併用による大学受験生のテスト不安(焦燥)軽減の指導」(銭銘怡、康成俊、方新、王恵芳、冷正安、張光健、李旭, 1999)という日本語論文もあった。

中国心理学会
 中国心理学会(Chinese Psychological Society: CPS)は、1921年に創設された歴史のある学会である。文化大革命の時代は心理学も衰退したが、1978年に文化大革命が終わると、活動を開始し、1980年には国際心理科学連合(IUPsyS)に加盟した。現在3000名の会員がいる(人口からすると少ない)。2008年に国際心理学会が北京で開かれ、国を挙げての開催であったことは記憶に新しい。15の専門委員会からなっている。カウンセリング心理学、医学心理学などの委員会はあるが、臨床心理学の委員会はない。

9-4.台湾の認知行動療法

 台湾については、亜州大学(Asia University)の心理学科教授のフエイ-チェン・コー・ジェニイ(Huei-chen Ko Jenny)氏が説明した。
 フエイ-チェン・コー・ジェニイ氏は、心理学科教授で亜州大学の副学長であり、元の台湾心理学会の会長も務めた。エネルギッシュな人で、亜州大学のDVDやおみやげを回りの人に配って宣伝していた。この人とは、会場で何回も顔を合わせて話をした。台湾からの学術発表は彼女一人だけであった。ポスター発表では、台湾での2009年の台風被害で被災した子どもへの学校単位での認知行動療法について発表していた。あらかじめ質問紙でPTSDの症状についてアセスメントをしてから、症状の強い子どもに対して個別の支援をおこなった結果、改善がみられたという発表であった。データもあり、日本の東日本大震災の被災地の支援にも役に立ちそうな発表であった。
 台湾では、心理士の資格は国レベルの資格である。認知行動療法はさかんであるということで、認知行動療法についての講義はほとんどの大学で行われているとのことだった。台湾の「認知行動療法の父」と呼ばれる柯という学者が土台を作ったという。臨床心理士のアンケートによると、カバット・ジンなどの第3世代の認知行動療法に対する関心も強くなっているということだった。
 インターネットでは、台湾認知療法学会や台湾心理学会のホームページは調べられなかった。
 台湾心理治療学会(Taiwan Association of Psychotherapy)もある。2001年に設立されたとか。ホームページには、東日本大震災の心理支援のためのページも出ていた。
 台湾精神医学会(Taiwanese Society of Psychiatry)のホームページもあるが、現地語なので理解できない。


9-5.タイの認知行動療法

 タイについては、バンコクのチュラロンコーン大学心理学科教授のソンポック・イアムスパシット(Sompoch Iamsupasit)氏が発表した。
 アジア認知行動療法学会の2回目は、2008年5月に,タイのバンコクにあるチュラロンコーン大学で開かれた。しかし、この時はたまたまタイが政情不安となり、残念ながら、日本からの参加者の多くが出席をキャンセルした。丹野も参加を予定していたが、外務省の勧告などもあり、大学からタイ出張はできるだけ避けるようにという勧告があり、出張を取りやめた覚えがある。
 イアムスパシット氏の話では、タイ心理学会(TPA)の力は弱く、心理学へのニーズは弱いということであった。
 タイ心理学会(Thai Psychological Association: TPA)のホームページはあったが、タイ語のため理解できなかった。
 タイの認知行動療法学会はないようた。

9-6.マレーシアの認知行動療法

 マレーシアについては、マレーシア・プトラ大学(Universiti Putra Malaysia)のフィルダウス・ムクタール(Firdaus Muktar)氏が紹介した。フィルダウス・ムクタール氏の発表によると、
①臨床心理学者はMalaysian Society of Clinical Psychologyという団体を作っている。
②臨床心理士のClinical Programは、修士レベルであるとのこと。
③Clinical Serviceについては、マレーシアとインドネシアは、オーストラリアに近いので、臨床ではオーストラリアの影響を大きく受けているということだった。オーストラリアは、英語圏でイギリスやアメリカの文化圏でもあるので、認知行動療法がきわめて盛んである。
④Clinical Researchも次第に行われている。
⑤Clinical Trainingも盛んになってきている。マレーシアは「アジアのトレーニングセンターになれる」と強調していた。強いやる気が感じられた。後で考えてみると、次回のアジア認知行動療法会議学会(ACBTC)の誘致で張り切っていたという面もあるようだ。
 余談だが、このソウル大会では、次回のACBTCの開催地が選考されることになっていて、マレーシアは心理学者のEdward Chan氏を中心に、次回のACBTC開催地としてサラワクをたてて立候補した。DVDやカラーのパンフレットなどを準備して説明し、有力候補だった。しかし、選考委員会でマレーシアの別の委員がクアラルンプールでの開催を推薦したため、マレーシアの票が割れることになった。結局、次回の開催地は東京と決まった。日本の委員は特にDVDもスライドも用意していかず、口頭で短時間話しただけだったが、やる気が選考委員に伝わって高い評価を得たようだ。
 マレーシアの認知行動療法学会はないようだ。
 マレーシア心理学会(Malaysia Psychological Association: MPA)やマレーシア臨床心理学会(Malaysian Society of Clinical Psychology)はホームページが見あたらなかった。マレーシア心理療法学会(Malaysian Psychotherapy Association: MPA)は英語のホームページがある。
 マレーシア精神医学会(Malaysian Psychiatric Association)は英語のホームページを作っている。

9-7.イスラム圏の認知行動療法

 マレーシアのフィルダウス・ムクタール氏は、イスラム教の女性のスカーフを着用していた。マレーシアの国教はイスラム教である。つまり、イスラム教の国々でも認知行動療法は受け入れられていることがわかる。
 実は、この年2011年6月に、トルコのイスタンブールで開かれた国際認知療法会議(ICCP2011)に出席した。この会議に出席してわかったことは、トルコやイランなどのイスラム教の国々でも、認知行動療法がさかんになっていることであった。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以降、何となくアメリカや西欧の文化は、グローバリズムの産物として、イスラム圏から拒否されているのではないかと思っていた。したがって,アメリカやイギリスで発展した認知行動療法も、イスラム圏では受け入れられていないのではないかと思いこんでいた。しかし、予想とは全く逆に、イスラム圏でも認知行動療法が受け入れられていた。非常に印象的だったのは、スカーフをした女性が多く参加して熱心に聞いていることであった。とくに目立ったのは、イランからの発表である。口頭発表とポスター発表の3分の1はイランからの発表である。テヘラン大学、テヘラン医科大学、アッラーメ・タバータバーイー大学、シャヘド大学、テヘラン精神医学研究所、マシャド大学、イスラミック・アザド大学など、多くの大学からの発表があった。よく「認知行動療法は、西欧で生まれたので、西欧人には効果があるが、日本人には効果がない」という説をまことしやかに説く人がいる。しかし、このような文化相対主義は成り立たない。というのは、認知行動療法はアジアでも大きな効果があるからである。大野裕先生の研究では、日本でも認知行動療法の効果は明確であり、こうした成果によって、認知行動療法が保険点数化(診療報酬化)が実現したわけである。認知行動療法は、英米など英語圏だけのものではなく、文字通りグローバル性をもつ。

9-8.オーストラリアの認知行動療法

 オーストラリアについては、クイーンズランド大学名誉教授のシャン・ウィ(Tian Po Oei)氏が発表した。ウィ氏は、アジア認知行動療法会議の創始者であり、第1回の香港大会の時から中心メンバーであった。新たに結成されたアジア認知行動療法連合の初代委員長にも選ばれた。
 オーストラリアは、イギリス連邦の一員であり、英語圏でイギリスやアメリカの文化圏でもあるので、認知行動療法がきわめて盛んである。オーストラリアで有名な認知行動療法家としては、 ポーラ・バレット(グリフィス大学)やロナルド・ラピー(マッカリー大学)がいる。また、早稲田大学で坂野雄二先生のもとで博士論文をまとめた陳先生も今はオーストリアのFlinders大学で仕事をしている。
 ウィ氏の発表によると、オーストラリアでは、政府の保険制度によって認知行動療法が保険点数化されて発展した。これはイギリスと同じである。ただし、ウィ氏個人は、エビデンス・ベーストの行きすぎた動きには必ずしも賛成ではないという。エビデンスによってガイドラインができてしまうと、それ以外の方法には保険が適用されなくなる。新しい技法が開発されても、効果が証明されるまでは保険が適用できないので、新しい技法の開発が抑制され、臨床家の創造性を抑制するのではないかという。
 オーストラリア認知行動療法学会(Australian Association for Cognitive Behaviour Therapy: AACBT)は活発に活動しており、世界的にも有名である。

アンブレラ化しているオーストラリア心理学会
 オーストラリア心理学会(Australian Psychological Society: APS)は約2万人の会員を抱える大きな学会である。1945年に英国心理学会(BPS)のオーストラリア地方のブランチとして出発した。そして、1966年にAPSとして独立した学会となったのである。イギリスをモデルにして、アンブレラ団体となっている。
 地域別のブランチが40ある。
 また、実践心理学の部門(Collegeと呼ぶ)が9つある。①臨床神経心理学、②臨床心理学、③コミュニティ心理学、④カウンセリング心理学、⑤教育・発達心理学、⑥司法心理学、⑦健康心理学、⑧組織心理学、⑨スポーツ心理学である。
 さらに、研究についてインタレスト・グループが37ある。


9-9.日本の認知行動療法

 最後に、日本については、北海道医療大学の坂野雄二先生が発表した。
 行動療法が日本で盛んになったのは1960年代のことであり、アジアでも最先端であった。1976年には日本行動療法学会が設立された。行動療法の学会としては、世界でも早いほうに属する。認知療法学会ができたのは2002年である。
 坂野先生は、日本における認知行動療法の歴史の長さを強調していた。

9-10.アジアの認知行動療法

 シンポジウムを聞いていると、欧米に比べて、アジアは弱点を抱えていることがわかる。
 第1に、政治的な不安定さである。これが心理学や認知行動療法に影響を与えている。中国では、1966年~77年の文化大革命の間、欧米の思想をシャットアウトしたため、心理学や心理療法をもシャットアウトした。また、朝鮮半島では、北朝鮮の問題をめぐって、いつも政治的な不安定さがある。タイの政治的不安定は、2008年のアジア認知行動療法学会を大きく阻害した。中国と台湾の関係も、今は良好だが、歴史的に見ると火種を抱えている。政治的な不安定は科学や学問の進展を阻害することが実感された。
 第2に、アジアでは大災害も多い。今回の日本の大震災においても、その後の混乱でジュディス・ベックの来日が中止になった。インド洋の大津波も記憶に新しい。今回の大会のポスター発表では、台湾の台風の被害についての発表もあった。
 第3に、経済的な不安定さである。経済的に発展している国は、心理学や医学も大いに発展し、国際学会を開催できるだけの経済力を持っている。2004年のWCBCTを開いた日本、2006年のACBTCを開いた香港、2011年のACBTCを開いた韓国はいずれも経済力が強い。外の国際学会に参加できるだけの経済力がある。とはいえ、1990年の日本のバブル崩壊や2007年のアジア通貨危機のように、アジアの経済的な基盤は弱い。
 いろいろな点において、アジアは弱点を抱えていることがわかる。
 第4に、言葉の壁も高い。シンポジウムでよくわからなかったことをインターネットで調べようとしても、その国の言葉がわかならいと調べられない。英語で書かれている情報は表面的なものでしかない。

9-11.ニューフロンティア・アジアの認知行動療法

 認知行動療法やエビデンスにもとづく実践(EBP)や科学的臨床心理学が、今後、アジアに深く浸透していくのは明らかであろう。中国認知行動療法学会のスローガンを借りると、アジアは「ニューフロンティア」なのである。
 これらについて、最も進んでいるのはイギリス文化圏の香港やオーストラリアである。
 その次に進んでいるのは日本である。認知行動療法も2000年代に入って大きく浸透した。韓国では、医療現場は国の資格が必要なので、国資格のない臨床心理士は病院では働けないため、認知行動療法の普及が遅れているということだった。。
 しかし、タイの臨床心理士が国家資格であるのに対して、日本では国家資格が実現していないなど、遅れた面も目立っている。
 アジア各国では、欧米で生まれた認知行動療法をそのまま実施するのではなく、アジアの国の文化に合わせて改良する試みがおこなわれていた。日本でも森田療法との類似などはよく指摘される。アメリカで流行しているマインドフルネス認知療法などは、東洋的な思想を積極的に取り入れている。こうした点をふまえて、「これまでの認知行動療法は西から東への方向だったが、これからは東から西への方向をめざす」といった指摘もなされる。(私個人としては、事はそれほど簡単ではないと思う。これまでの日本には科学的な心理療法の基盤は全くなかったので、そうした基盤を作ることが先決だと思う。そうした基盤ができないうちに、中途半端に東洋的・神秘的なものに戻ってしまうのはよくないと思うからである)

9-12.アジアの認知行動療法学会のアンブレラ化が決定


 今回のアジア認知行動療法会議の会期中7月15日早朝に、アジア認知行動療法ボードメンバーミーティングが開かれ、画期的な決定がなされた。
 つまり、アジア地区の認知行動療法学会のアンブレラ組織「アジア認知行動療法連合」を作ることが決まったのである。
 これまでは、世界行動療法認知療法会議WCBCTの運営母体である世界会議委員会(World Congress Committee: WCC)にアジアから代表者を出していたが(長い間坂野雄二先生が務められ、現在は中川彰子先生が代表で、韓国のキョンジャ・オー先生が副代表をつとめている)、これとアジア認知行動療法会議とは別の組織であった。そこで、これらを一本化することになった。
 新たに決まったことは以下の通りである。
 「アジア認知行動療法連合」(Asian Cognitive Behavioral Therapy Association: ACBTA)を立ち上げる。
①この連合は、各国の認知行動療法学会が所属するアンブレラ組織である。
②この連合が主体となって、2~3年に一度、アジア認知行動療法会議(Asian Cognitive Behavioral Therapy Conference: ACBTC)を開く。
③さらに、この連合から、前述のWCCに対してアジアの代表者を送ることになる。
連合の実行委員会の委員長として、オーストラリアのクイーンズランド大学名誉教授のシャン・ウィ(Tian Po Oei)氏が選ばれた。日本の代表は坂野雄二先生が代表となった。WCCへの代表はこれから選出されるが、しばらくは中川彰子先生が代表で、韓国のキョンジャ・オー先生が副代表をつとめられることになった。

9-13.アジア各国の比較について(今後の課題)

 今回のシンポジウムに参加して、改めてアジアの国ごとの事情は異なることがわかった。今後は、以下のような表を作って、各国の状況を比較してみたいと思った。こうすれば、日本の認知行動療法や心理学の位置を知るのに便利である。
①認知行動療法は国の保険が適用されるか。
 (例えば、オーストラリアは○、日本は△)
②心理士は国レベルの資格か
 (例えば、タイは○、日本は△)
③心理士は何人いるか?
④心理学会はアンブレラ団体か?
 (例えば、韓国は○、日本は△)
⑤行動療法と認知療法の学会は統合されているか?
 (例えば、オーストラリアは○、日本は×)


10.学会や大学や旅行で気がついたこと、その他

東日本大震災と認知行動療法
 2001年のアメリカ同時多発テロとか、アジアのSARS大流行、2008年のタイの政情不安など、国際学会は、予測できないトラブルに襲われることがある。2009年には新型インフルエンザが流行して、多くの学会が中止・延期となった。学会の大会主催者はそのたびに肝をつぶす。今年も3月11日の東日本大震災があった。隣の韓国で開かれたアジア認知行動療法学会にはそれほどの影響はなかったが、組織委員長のチョイ氏に伺ったところでは、日本からの参加が大丈夫かどうか心配したという。
 東日本大震災は、認知行動療法の学会にも大きな影響を与えた。3月に沖縄で開催予定だった日本行動療法学会の行動療法コロキウムが中止となった(行動療法学会の教育研修委員長としてはこのことで結構苦労した)。4月以降の学会もだいたい中止・延期せざるを得なかった。このことは、今回の丹野のプリナリー講演でも触れた。
 例えば、ジュディス・ベックは、2011年5月に東京でワークショップを開く予定であった。大野裕先生や古川壽亮先生が中心となってワークショップの計画を立てていた。日本認知療法学会の広報誌「認知療法NEWS」などにも掲載され、受講者の募集も行われていた。ところが、3・11の大震災により、東京では節電や余震などの混乱が生じたたため、ジュディス・ベックのワークショップは中止となった。このことは、丹野の講演でも触れた。5月は残念だったが、7月にソウルでお会いできたことは幸いであった。
また、3月25~26日に福島で開催予定だった日本統合失調症学会は延期され、7月に札幌で開催された。3月の大会で来日して公演する予定だったロンドン大学精神医学研究所教授のティル・ワイクス(Til Wykes)は、7月には日程が合わず来日できなかった。そのかわりに、同じくロンドン大学精神医学研究所教授のエリザベス・カイパース(Elizabeth Kuipers)が来日した。
 大震災の余波としてわれわれにショックだったのは、行動療法学会や認知療法学会や東京認知行動療法アカデミーが開催の事務をお願いすることの多かったイベント会社のザ・コンベンションが、大震災による学会延期中止などの影響で会社を整理したことである。今年の両学会ともにザ・コンベンションにお願いしていたので、大会長はたいへんだったと思われる。幸いにすぐに別のイベント会社に依頼できたので、影響が少なかったのは幸いである。
 被災者のこころのケアと復興への心理的支援は、メンタルヘルスの専門家にとって最大の課題である。今回の事態はわが国のメンタルヘルスの専門家にとってまさに正念場なのである。被災直後の混乱した状況においては、避難所で被災者に語りかけたり、遊びを通して子どもを支援するなど、その場でできる短期的な心理支援が中心であった。その後、復興が進むにつれて、その場だけの援助にとどまらず、より構造化された長期的な心のケアが要求されるようになっている。しかし、もし専門家がその場しのぎで行き当たりばったりの援助をおこなうにとどまっていたのでは、こうした期待に応えることはできないだろう。例えば、臨床心理士の被災地支援の研修会でも、「単に子どものお守りに止まらない専門家としての支援ができないものか、きちんとエビデンスのある専門的な心理的支援ができないものか」といった感想が聞かれた。専門家であるからには、きちんとしたエビデンス(実証的証拠)のある技法を用いなければならない。エビデンスのある技法を用いた心理的治療の必要性は高まっている。ここにおいて認知行動療法への期待がますます強まっている。被災者の支援方法について、エビデンスのある技法とは、認知行動療法(暴露療法、ストレス免疫法、リラクセーション法)やEMDRである。今回の事態は認知行動療法にとっても正念場である。
 逆に、エビデンスのない援助技法を用いると、結果的に被災者を苦しめる危険があることにも触れられている。例えば、ディブリーフィング法(CISD)は、一時さかんにおこなわれていたが、最近の治療効果研究のメタ分析によって、治療効果がないばかりでなく、むしろ自然回復を妨害するので有害であるという結論が得られている。まさに「実証(エビデンス)にもとづく臨床心理学」の大切さを示す例である。たとえ善意から出たものだとしても、エビデンスが明確でない心理療法をおこなうことは、かえってクライエントを苦しめる危険があるのだということを肝に銘じたい。
 丹野にとって、3月の大震災以降に海外主張するのは、6月にトルコのイスタンブールで開かれた国際認知療法会議ICCPに続いて2回目だった。トルコでも学会や懇親会では、津波や原発のことが話題となった。大震災の2日目に、アメリカのロバート・リーヒーとフランク・ダティリオが安否を気遣う個人的なメールをくれた。世界的に活躍する臨床家というものは、こういうところにも気が回り、マメに連絡をくれる人である。リーヒーとダティリオは両方ともICCPに参加していた。
 ソウルに来てみて、3・11以降日本での日常生活がいかに緊張したものであるかがわかった。節電、放射能(飲み水、食べ物、雨)、余震・・・。いかに四六時中緊張しているかということが、海外に出て緊張を解かれて初めて気がついた。海外では、節電をして停電を心配しなくてよいし、水道水や牛肉や雨にも何の不安もない。高層ビルにいても地震を心配しなくて良い。逆に日本での緊張に気がつくのである。


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