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11.フィラデルフィア(アメリカ)2006年2月1日更新

 アメリカのフィラデルフィアは臨床心理学の発祥の地である。この地にあるペンシルバニア大学に、1896年、ウィトマーが心理学クリニックを作ったのが、臨床心理学の始まりとされるからである。ほかにもアーロン・ベックが認知療法を作ったのもフィラデルフィアであり、日本の研究室者・臨床家でフィラデルフィアで学んだ人はきわめて多い。
 筆者は、2004年9月に、アメリカ東海岸の大学の学生相談機関を視察した時に、フィラデルフィアを訪れることができた。フィラデルフィアには1泊しただけであったが、フィラデルフィアの施設を見学することができた。この視察については、東京大学教養学部報480号(「アメリカの大学のメンタルヘルス」2005年)と、東京大学教養学部学生相談所2004年度紀要に報告した。

1. ペンシルバニア大学

 ペンシルバニア大学(The University of Pennsylvania:略称はU-Penn)である。ペンシルバニア州フィラデルフィアにある。1740年にベンジャミン・フランクリンが創設した大学で、アイビー・リーグにも含まれる名門私立大学である。学部学生23000名、大学院学生11000名、教員4000名の大規模校である。
 スクーキル川をはさんで、フィラデルフィア市街の西側に位置する。筆者らは市街からタクシーで行ったが、鉄道(アムトラック)の駅もあるらしい。

臨床心理学とペンシルバニア大学

 ペンシルバニア大学は、臨床心理学の発祥の地として知られている。1896年にライトナー・ウィトマーがペンシルバニア大学に心理学クリニックを作ったのが、臨床心理学の始まりとされる。ウィトマーは、ドイツに留学してヴントのもとで博士号を取った。帰米後、ペンシルバニア大学に心理学クリニックを開いた。このクリニックは、心理学者と精神科医とソーシャルワーカーという3職種から構成されていた。ウィトマーは、このクリニックでの活動を大学院の単位として認めるなど、大学院の整備もおこなった。このような活動がアメリカ全土に広がったのである。そして、『心理学クリニック』という雑誌を創刊した。こうした活動からアメリカの臨床心理学(クリニカル・サイコロジー)が確立していったのである(サトウ・高砂『流れを読む心理学史』有斐閣)。1996年には、ウィトマーのクリニック創設100周年の行事がペンシルバニア大学であったという。

認知療法とペンシルバニア大学

 ペンシルバニア大学は認知療法の発祥の地ともいえる。
 認知療法の創始者であるアーロン・ベック(1921-)は、ペンシルバニア大学の精神科の教授をつとめた。ベックは1950年代に精神科の臨床を始めたが、初期には,当時全盛であった精神分析療法をおこなっていた。そうした精神分析療法の経験にもとづいて,「思考と抑うつ」という連続論文を書いた。これは,うつ病の認知の根底には,独特の信念や構造があることを指摘したもので,これをスキーマ(schema)と呼び,治療においてはスキーマや認知を変えることが大切であるとしている。この論文が抑うつの認知理論の原型となっている。こうした研究にもとづいて、ベックは抑うつの認知理論を完成させ、1967年に「抑うつ」という本を出版した。60年代後半には認知療法が確立していたが,1979年に『うつ病の認知療法』(神村栄一, 前田基成, 清水里美, 坂野雄二訳、岩崎学術出版社)をあらわして、認知療法の技法が体系化された。このような認知療法の発展については、筆者の『エビデンス臨床心理学』(丹野義彦、日本評論社)を参照いただきたい。ベックは、ペンシルバニア大学精神科に、「認知療法センター」を作った。邦訳された著作には、『認知療法―精神療法の新しい発展』(大野裕訳、岩崎学術出版社)、『人格障害の認知療法』(フリーマンと共著、井上和臣, 南川節子, 岩重達也, 河瀬雅紀訳、岩崎学術出版社)がある。筆者は、2001年にカナダのバンクーバーで開かれた世界行動療法認知療法会議で、ベックを初めて見た。80歳の高齢であったが,元気に飛び回っており,統合失調症の認知療法という新しい領域にチャレンジしており,いろいろな人とコミュニケーションをとっていた。サルコフスキス氏と話していたときに,たまたまその会場の隅でベックとジャン・スコット(当時グラスゴウ大学精神科教授)が話していて,それを見つけたサルコフスキス氏が,筆者をベックに紹介してくれて,いっしょに写真を撮ってくれた。誰とでも気さくにコミュニケーションをとる人柄である。招待講演のあとでも,ベックとコンタクトをとろうとする人の行列が長く続いた。また、2002年にオランダのマーストリヒトで開かれたヨーロッパ認知行動療法学会でも、ベックが来ていて、そこでも写真を撮ってもらった。
 アーロン・ベックの他にも、フィラデルフィアには多くの著名な認知行動療法家がいる。アーロンの娘のジュディス・ベック(ベック研究所)、エドナ・フォア(ペンシルバニア大学精神科)、アーサー・フリーマン(フィラデルフィア・オステオパシー医学カレッジ)、ネズ夫妻(ドレクセル大学)、リチャード・ハイムバーグ(テンプル大学)、フィリップ・ケンドール(テンプル大学)、などである。
 フィラデルフィアに留学した臨床関係の心理学者や精神科医も多い。大野裕先生(慶応義塾大学)、井上和臣先生(鳴門教育大学)、坂野雄二先生(北海道医療大学)といった日本の認知療法のパイオニアはすべてフィラデルフィアに留学した。ほかにも、島井哲志先生(神戸女学院大学)、松井三枝先生(富山医科薬科大学)はペンシルバニア大学に留学し、市井雅哉先生(兵庫教育大学)はフィラデルフィアのテンプル大学に留学した。
 また、ベックは、フィラデルフィアにベック認知療法研究所(Beck Institute)を作った。フィラデルフィア市街から北西約10キロのところにある。現在は、娘のジュディス・ベックが中心に運営している。この研究所は、教育研究機関と治療機関を兼ねており、認知療法を求める患者さんたちへの治療が毎日おこなわれている。伊藤絵美先生(洗足ストレス・コーピング・サポート・オフィス)は、2002年6月に、ベック認知療法研究所でのトレーニング・プログラムに参加した。その時の体験記を書いている(こころの臨床a・la・carte, 22, 205-208. 2003)。トレーニング・プログラムは、5日間の日程で、事例提示や見学を中心としておこなわれたという。参加の申し込み方法や研修プログラムについての情報は、ベック認知療法研究所のホームページにのっている(http://www.beckinstitute.org/)。このサイトを見てみると、研修プログラムはかなり先まで予約でいっぱいであり、人気があるようだ。ジュディス・ベックの著作には邦訳がある。『認知療法実践ガイド基礎から応用まで―ジュディス・ベックの認知療法テキスト』(伊藤絵美, 藤沢大介, 神村栄一訳、星和書店)である。

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ペンシルバニア医学部と精神科

 ペンシルバニア大学の医学部は、1765年に創設され、アメリカで最も古い医学部とのことである。ペンシルバニア大学医学部病院は、1874年に建てられ、アメリカで最初に医学教育のために建てられた病院である。ペンシルバニア医学部病院は、大学のキャンパスの中央にある。また、小児科病院などもある。
 ちなみに、2003年に、日本の1000円札の肖像は、夏目漱石から野口英世に変わったが、ペンシルバニア大学医学部といえば、野口英世が留学した大学としても知られている。ほぼ100年前の1900年に、24歳の野口英世はアメリカで医学を学ぶべく、フィラデルフィアに到着した。渡米費用を飲食代に使ってお金がなくなったというのは有名なエピソードである。フィラデルフィアに着いたときは、23ドルしかなったという。助手の仕事をしたりして何とか生活したようである。その後、ロックフェラー研究所の所員になり、ここで梅毒スピロヘータを発見するなど世界的業績を挙げた。アメリカ人と結婚し、1915年には、帝国学士院から恩賜賞を授与されることになり、日本に帰国した。その後、野口は、アフリカに渡り、1928年に51歳の若さで亡くなった。後に、野口英世を記念して、1985年にアメリカ政府の認可を受けて、野口研究所がフィラデルフィアに設立された。ペンシルバニア大学には、野口英世の銅像も建っているということである。
 精神科を創設したベンジャミン・ラッシュは、1812年に、アメリカで最初の精神医学の教科書を書いたり、アメリカの精神医学の父と称される。
 精神科教授のガーは、統合失調症の神経心理学の研究などをおこなっている。以前に、筆者が大学院生で統合失調症の神経心理学的研究をしていた頃に、箱根で開かれた国際学会で、ガーが来日し、筆者は自分の研究を説明したりしたことがある。富山医科薬科大学の松井三枝先生も、留学中は、ガー教授のもとで神経心理学の研究をしていたという。

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精神科の心理療法研究センター

 ペンシルバニア大学の精神科には、心理療法研究センターがある。ここには、アメリカの臨床心理学では有名な研究者が集まっている。所長の教授クリッツ・クリストフは、エビデンス・ベースの臨床心理学を代表する研究者である。1993年にアメリカ心理学会の第12部会(臨床心理学部会)が作成した心理学的治療のガイドラインは有名であるが、この中心で作業したのがクリッツ・クリストフである。このガイドラインは大きな反響を呼び、多くの雑誌で特集が組まれた。その後、このタスクフォースは活動を続け、1998年には、アップデートされた。この版では「おそらく効果がある治療」は55種に増えている。このガイドラインを転換点として、アメリカの臨床心理学は、科学的な志向を急速に強めていくことになるのである。
 また、心理療法研究センターには、副所長の教授ジャック・バーバーと教授のレスター・ルボースキー、前述のロバート・デルベイスがいる。ルボースキーは、心理療法の効果研究をおこない、効果を客観的に表すために、ボックス・スコア法を考案したことで有名である(Luborskyら、1975)。この方法は,文献の中から,「心理療法群」と「未治療コントロール群」とを比較した要因統制研究を選びだて、それらを比較するものである。この研究がもとになって、1977年に、スミスらがメタ分析法を考案したのである。

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精神科の不安治療・研究センター

 ペンシルバニア大学の精神科には、不安治療・研究センターもある。この所長を務めるのが、教授のエドナ・フォアである。
 ペンシルバニア大学の不安治療・研究センターは、1979年にフォアによって設立された。不安障害に特化した研究や治療プログラムの提供を行う国際的に有名な機関である。強迫性障害,外傷後ストレス障害(PTSD),全般性不安障害,社会不安,パニック障害や広場恐怖などの不安障害全般を扱っている。同センターには修士・博士合わせて14名の研究者が在籍し,いずれも不安障害の認知行動療法の専門家である。
 フォアは強迫性障害や社会不安,外傷後ストレス障害(PTSD)の認知理論や認知行動療法で有名である。1986年にコザックとともに発表した「感情処理理論」は、不安障害の治療に大きな影響を与えた論文である(Foa & Kozak, 1986)。現在では外傷後ストレス障害(PTSD)研究の第一人者である。フォアが開発したレイプ被害者のための治療プログラムは,最も効果的な治療法とされている。フォアは、200本以上の論文と数冊の著書を発表しており,世界中で講演を行っている。DSM-ⅣのPTSD委員会の委員長も務めた。また,数多くの賞を受賞している。例を挙げると,アメリカ心理学会からの優秀科学者賞や臨床心理学貢献優秀賞,行動療法推進学会からの初年度研究貢献優秀賞,国際外傷後ストレス学会からの功績賞などである。パーソンズをはじめ、多くの認知行動療法家を育てている。
 邦訳されたフォアの著書には、『PTSD治療ガイドライン―エビデンスに基づいた治療戦略』(飛鳥井 望, 石井朝子, 西園文訳、金剛出版)や、『強迫性障害を自宅で治そう!-行動療法専門医がすすめる,自分で治せる3週間集中プログラム』(片山奈緒美訳,ヴォイス刊)がある。
 フォアは、2004年に神戸で開かれた世界行動療法認知療法会議(WCBCT2004)で来日して、ワークショップやシンポジウムで活躍した。筆者は、心理学会の広報誌『心理学ワールド』に紹介記事を書くため、西澤哲先生(大阪大学)とインタビューをした。フォアは、イスラエル生まれのアメリカ人とのこと。夫は文化人類学の教授をしているとのことで、2002年に夫が東京大学で集中講義をしたので、いっしょに観光で来日したとのこと。2003年にもワークショップのために来日したので、WCBCTでは3回目の来日とのことであった。WCBCTのワークショップは、金子書房から邦訳が出版される予定である。

心理学科

 ペンシルバニア大学の心理学科は、1887年に創設され、初代教授はマッキーン・キャッテルである。1896年には、前述のように、ウィトマーがアメリカ初の心理学クリニックを作った。また、1922年には、モリス・ビテレスが、ウィトマーの指導により、産業心理学を始めた。このように、ペンシルバニア大学の心理学科は、臨床心理学にとどまらず、広く職業心理学の発祥の地とも言えるのである。
 ペンシルバニア大学は、アメリカ心理学会(APA)の創設にも大きな役割を果たしており、APAの最初の学会は1892年にフィラデルフィアで開かれたのである。
 ペンシルバニア大学は、多くの有名な心理学者を輩出してきた。認知心理学の始まりとされる『認知心理学』という本をナイサーが書いたのは、彼がペンシルバニア大学にいたときであった。社会心理学では、同調や印象形成の研究で有名なアッシュがこの大学で活躍した。現在、彼の名前をとって、「ソロモン・アッシュ民族政治学研究センター」が設けられている。
 学習理論の大御所はリチャード・ソロモンである。この大学には、「実験心理学のソロモン研究室」という建物がある。ソロモンの弟子であったのが、ロバート・レスコーラとマーティン・セリグマンである。ふたりはペンシルバニア大学の教授をつとめた。他にもプリマックやオーバーマイヤーなどの理論家がいる。こうした学習理論の伝統から、セリグマンの学習性無力感理論が生まれてきた。邦訳は、セリグマン『うつ病の行動学―学習性絶望感とは何か』(平井久・木村駿監訳、誠信書房)がある。
 セリグマンの学習性無力感はうつ病の動物モデルとして注目されたが、人間のうつ病には適用しにくいところがあった。そこで、セリグマンは、当時大学院生だったリン・エイブラムソン(現ウィスコンシン大学教授)とともに、社会心理学の帰属理論を取り入れて改訂学習性無力感理論を作った。また、この改訂に大きな影響を与えたのが、イギリスの臨床心理学者ジョン・ティーズデイル(当時オクスフォード大学、現在ケンブリッジ大学教授)であった。そして、1978年に、エイブラムソンとセリグマンとティーズデイルの3人は、改訂学習性無力感理論の論文を発表した。この論文は、社会心理学の原因帰属理論を臨床心理学に導入した画期的な研究であり,臨床社会心理学や臨床アナログ研究という新しい分野を開拓した。この論文が生まれた経緯は、たいへん興味深いもので、セリグマンの『オプティミストはなぜ成功するか(講談社文庫)』に生き生きと書かれている。
 現在の心理学科は、いくつかの研究グループに分かれている。動物の学習、行動神経科学、臨床心理学(精神病理学とパーソナリティ)、認知神経科学、意思決定、発達心理学、民族政治学的紛争研究、進化心理学、行動遺伝学、言語とコミュニケーション、ポジティブ心理学、感覚と知覚といったグループである。
 このうち、臨床心理学のグループで、訓練の責任者となっているのは、教授のダイアン・チャンブレスである。彼女は、不安障害の研究や認知行動療法の研究で有名である。また、臨床心理学の教授ロバート・デルベイスは、うつ病の認知行動療法の研究で有名である。アメリカの臨床系の学会でよく活躍している。また、臨床心理学のコースには、不安障害の認知行動療法で有名なエドナ・フォアも非常勤でつとめている。
 また、ポジティブ心理学のグループは、セリグマンがつとめている。セリグマンは、学習性無力感の後に、オプティミズムの研究をおこない、最近は「ポジティブ心理学」の研究をおこなっている。ペンシルバニア大学に、「ポジティブ心理学センター」を作って、研究拠点としている。邦訳に、セリグマン『世界でひとつだけの幸せ―ポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生』(小林裕子訳、アスペクト)がある。
 心理学科の建物は、ホームページではペンシルバニア大学のウォルナット通り3720番地である。筆者は、今回はほとんど時間がなくて、心理学科に行くことができなかった。

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ペンシルバニア大学のカウンセリング心理サービス

 ペンシルバニア大学には、学生を支援する組織は24ある。学生連合、学生活動カウンシル、カウンセリング心理サービス、保安・警察(ペン警察、消防など)、学生健康サービス、キャリア・サービス、学生雇用、学生クレジット組合、教務課、学習支援プログラム、学習相談、国際プログラム、住居サービス、学生電話サービス、大学院学習局、大学院学生センター、大学院学生連合などである。
 こうした学生支援組織のひとつがカウンセリング心理サービス(Counseling and Psychological Service: CAPSと略)である。ペンシルバニア大学の中のメロン・ビルの中にCAPSがある(このビルの1階はブティックとなっている)。このビルの2階に受け付けや所長室がある。2階には相談のための個室が並んでいる。このビルの2つのフロアで、30個の部屋をCAPSが使っている。
 筆者らは、2004年9月に、視察をした時に、所長のアイリーン・ローゼンスティーン博士(公認心理士)に話を聞いた。
 CAPSのスタッフは、常勤に換算して、心理学者が8名、精神科医4名、ソーシャルワーカーが3名で、計14名である。ほかに、研修生(インターン)が8名おり、合わせると22名となる。心理学者はみんなPh.Dと公認心理士の免許を持っている。所長のもとに、臨床サービス部門担当ディレクターと、訓練担当ディレクターがいる。訓練部門には、心理学プログラム、精神医学プログラム、ソーシャルワーカー・プログラムがある。アメリカ心理学会(APA)に公認された認定校になっており、公認心理士の大学院研修は大切な仕事である。年間の予算は、人件費を含めて170万ドル(約2億円)である。
 筆者らが尋ねた日は、CAPSのミーティングの日だったので、それに参加させてもらうことができた。CAPSでは、週に2回、スタッフ・ミーティングが開かれる。その日は、25人ほどのスタッフが集まっていた。ローゼンスティーン所長が司会をした。参加者は次々に自分の意見を発表したがるので、会議はまとまりがない印象であったが、これがアメリカの会議なのだろうか。
 CAPSのスタッフは22名で、部屋数は30室であり、予算は2億円である。つい駒場の学生相談所と比較せざるを得ない。駒場のスタッフは2名(常勤換算)、部屋数は5室であり、予算は約1000万円(非常勤カウンセラーの人件費を含む)である。すべての点で駒場の10倍であり、日米の差を見せつけられた。

ペンシルバニア大学のキャンパス

 ペンシルバニア大学には、ほかにもいろいろな見物がある。
コンピュータの生みの親であるフォン・ノイマンもこの大学で仕事をした。世界最古のノイマン型コンピュータ「エニアック」がこの大学にあるという。
 また、学内には、ペンシルバニア大学考古学人類博物館や、スキナー・ホール(アート・センター)などもある。

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2. フィラデルフィア市内と大学

 ペンシルバニア大学のあるフィラデルフィア市は、アメリカ第5の都市である。市の人口は150万人だが、近郊を含めると600万人近くになる。
 フィラデルフィア市の中心部は、デラウエア川とスクーキル川にはさまれた領域である。デラウエア川は、アメリカ海軍の軍艦が停泊している大きな川であり、こんな内陸地に海軍があることは不思議である。市内の歴史地区には、アメリカ独立時代の記念の史跡が多い。中心にビジター・センターがあり、ここで情報が得られる。また、パークウェイ博物館地区には、多くの美術館や博物館が集中している。
 フィラデルフィアの市街は、あまり治安がよくないので、歩くときは注意が必要だろう。インターネットでば、市街地の危険度マップなども公開されている。それによると、一区画ごとに、安全度が変わる。町を歩いてみると、確かにそのような感じがした。フィラデルフィアに留学した人のアドバイスによると、大学内は安全であるが、市街から離れた大学に行ったりする場合は、タクシーを使った方がよい。

ドレクセル大学

 ペンシルバニア大学のすぐ隣にあるのがドレクセル大学のキャンパスである。1891年創立で、学部と大学院で12000名の学生がいいる。工学と自然科学で有名という。
 この大学には、認知行動療法で有名なネズ夫妻がいる。
 アーサー・ネズは、ドレクセル大学心理学科および医学部教授である。アメリカのニューヨークで生まれた日系二世である。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校で臨床心理学の学位を取得した。うつ病、がん患者、心疾患患者、肥満などに対する問題解決療法について世界的な業績がある。20冊以上の著書と150編以上の論文を発表している。1999年~2000年にかけて、アメリカ行動療法促進学会(AABT)の会長をつとめた。今回の神戸大会では、運営委員会委員長をつとめた。邦訳書には、『うつ病の問題解決療法』(高山巌訳、岩崎学術出版社)がある。
 クリスティン・ネズは、ドレクセル大学の心理学教授および医学部助教授である。ドレクセル大学行動医学センターの所長もつとめる。フェアリーディキンソン大学で学位を取得した。性的暴力の被害者の研究や問題解決療法について、世界的な業績がある。14冊以上の著書と60編以上の論文を発表している。心理学関係や行動医学関係の雑誌の編集者もつとめる。邦訳書には、『うつ病の問題解決療法』(高山巌訳、岩崎学術出版社)がある。
 アメリカの認知行動療法の世界で、アーサーとクリスティンのネズ夫妻は、おしどり夫婦としてよく知られている。アメリカの行動療法促進学会(AABT)が作成した認知行動療法のビデオ・シリーズでは、毎回、最初にネズ夫妻が登場し、内容を紹介する。
 ネズ夫妻は、2002年10月に,東京大学で開かれた日本行動療法学会の招きで来日し、講演とワークショップをおこなった。ふたりの講演は、「行動療法研究」の第29巻第1号に掲載されている。また、ワークショップの模様は、『認知行動療法ワークショップ2:アーサー&クリスティン・ネズとガレティの面接技法』(丹野義彦・坂野雄二・長谷川寿一・熊野宏明・久保木冨房編、金子書房)として出版された。ネズ夫妻の業績の内容については、この本の第2章「ネズ夫妻はどのような臨床研究をおこなってきたか」に詳しく述べられている(大澤・金井・坂野)。坂野雄二先生(北海道医療大学)は、以前、フィラデルフィアのネズ先生の元に留学していた。
 ネズ夫妻は、2004年に神戸で開かれた世界行動療法認知療法会議(WCBCT2004)で来日して、ワークショップやシンポジウムで活躍した。ワークショップでは、ネズ夫妻が考え出した「スピリチュアリティに導かれた行動療法」について解説した。東洋の考え方を取り入れた新しい治療技法であり、ワークショップ参加者に強い感銘を与えた。このワークショップは、金子書房から邦訳が出版される予定である。

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ハーネマン大学病院

 フィラデルフィア市内のブロード・ウエイにある巨大な病院である。観光名所の市庁舎(シティーホール)からすぐのところである。
 この大学病院は、世界で最初に心臓移植手術をした病院として知られている。
 ハーネマン大学とペンシルバニア医科大学は、連合を組んで、アリゲーニ大学を作っていた。全米最新にして最大規模を誇る大学医学部であったが、何と、1998年にこの医学部が倒産したのである。アリゲーニ大学は、年間収入2000億円、病院従業員数3万2千人、年間入院患者数13万人を誇るペンシルバニア州最大の医療機関であった。しかし、アメリカの医療市場開放政策や公的医療費削減のあおりを受けて、倒産してしまったという。ハーネマン大学病院は、ドレクセル大学に吸収された。
 前述のネズ夫妻は、もともとハーネマン大学の教員だっだが、これによってドレクセルに移籍したのである。大学は変わったが、ネズ夫妻のオフィスは変わらず、このハーネマン大学病院の中にあるという。

フィラデルフィア・オステオパシー医学カレッジ

 アメリカには、オステオパシー医学大学がいくつかある。オステオパシーとは、辞書によると「整骨療法」とある。フィラデルフィア・オステオパシー医学カレッジもそのひとつである。フィラデルフィア市街から北西約10キロのところにある。
 この大学には、心理学科がある。認知療法で有名なアーサー・フリーマンが教授をつとめている。フリーマンは、ニューヨーク大学で学び、コロンビア大学で学位をとった。アルフレッド・アドラー研究所やエリスのもとで学び、ベックのペンシルバニア大学認知療法センターでポスドクをした。アメリカの認知療法ではベックと並ぶ巨頭であり、アメリカ行動療法促進学会(AABT)の会長や、国際認知心理療法会議(IACP)の会長をつとめた。認知療法の研究や臨床について50冊以上の著書や分担執筆がある。邦訳された著書に、『認知療法入門』(遊佐安一郎訳、星和書店)、『認知療法臨床ハンドブック』(高橋祥友訳、金剛出版)、『人格障害の認知療法』(ベックと共著、井上和臣, 南川節子, 岩重達也, 河瀬雅紀訳、岩崎学術出版社)がある。 認知療法の世界的普及に力を尽くし、中国やスウェーデンなどの国で客員教授をつとめ、これまで25カ国以上の国で講演をしてきたという。「認知療法の伝道師」と称されている。日本にも何回か来て、講演やワークショップをおこなったことがある。
 また、この大学の心理学科には、日本人のスズキ・タカコさんも助教授をつとめている。スズキ先生は、日本の大学を出た後、アメリカのテンプル大学で学位を取り、不安障害の認知療法の研究と臨床をしている。ペンシルバニア州とニューヨーク州の心理学の免許を持っている。また、アメリカの日本人におけるメンタルヘルスの臨床にも携わっている。アメリカの認知行動療法学会(以前のAABT)では、アジア系アメリカ人の認知行動療法という特別関心グループで活躍している。AABTの大会で筆者もお会いしたことがある。日本行動療法学会の会員でもある。

テンプル大学

 テンプル大学は、1884年創立の州立大学である。学生数は3万人である。
 キャンパスは、フィラデルフィアの市街から約2キロほど北に行ったところにある。
 多くの学部からなるが、リベラルアーツ・カレッジの中に、心理学科がある。35人の教授・助教授のスタッフがいるが、臨床心理学関係で有名なスタッフが何人かいる。
 教授のリチャード・ハイムバーグは、対人不安の認知行動療法で著名である。テンプル大学の成人不安クリニックの所長でもある。250本以上の論文を書いている。アメリカ行動療法促進学会(AABT)の会長をつとめた。筆者は、2002年にリノで開かれた行動療法促進学会で、坂野雄二先生よりハイムバーグを紹介してもらった。
 教授のフィリップ・ケンドールは、子ども認知行動療法や不安障害の認知行動療法で有名である。テンプル大学の児童・思春期不安障害クリニックの所長でもある。アメリカ行動療法促進学会(AABT)の会長をつとめた。300本以上の論文を書いている。邦訳された著作には、『子どものストレス対処法―不安の強い子の治療マニュアル』(市井雅哉訳、岩崎学術出版社)、『コーピングキャット・ワークブック&ノート』(市井雅哉, 越川房子, 豊川輝, 石川利江訳、岩崎学術出版社)がある。
 また、教授のローレン・アロイは、臨床社会心理学者として活躍している。アロイは、ペンシルバニア大学で学位を取った。同じペンシルバニア大学のエイブラムソンやメタルスキーとともに、前述の改訂学習性無力感理論を改訂し、抑うつの「絶望感理論」を提出した。また、エイブラムソンとともに、「抑うつリアリズム」の現象を発見した。こうした研究から社会的幻想の領域が生まれてきた。また、タバチニクとともに信念形成の理論などほ発表し、多くのアイディアで新しい領域を開拓した。現代のアメリカの臨床社会心理学のリーダーとして活躍している。130本以上の論文を発表している。

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