認知行動療法を学ぼう世界の大学と病院を歩く丹野研究室の紹介駒場の授業
home世界の大学と病院を歩く14.ホンコン(中国) 2006年7月18日更新

14.ホンコン(中国) 2006年7月18日更新

 香港は、アジアで最も認知行動療法や臨床心理学が発達している。2006年5月に,第1回アジア認知行動療法会議が香港で開かれ、香港を訪れることができた。その時の体験から、香港の臨床心理学や精神医学について紹介したい。なお、アジア認知行動療法会議については、本ホームページの「国際学会の情報」で報告したので参照いただきたい。

1. 認知行動療法の先進国、香港

 香港は、アジアの中の「小イギリス」とでもいうべき都市である。現在は中国の特別行政区であるが、1997年までイギリス領だったため、英国が公用語であった。香港の人は、英語がよく話せる。また、イギリスやアメリカの大学で勉強する人が多い。香港の心理学者は、イギリスやアメリカに直接行って最新の認知行動療法を勉強している。アイゼンクの時代からロンドンの精神医学研究所で認知行動療法を学び、アメリカのバーロウなどとも直接コンタクトをとりながら、認知行動療法を取り入れてきた。このため、香港は、世界における認知行動療法の本場のひとつとなっている。香港生まれの認知行動療法家としては、双極性感情障害の認知行動療法で有名なドミニク・ラム(ロンドン大学の精神医学研究所)や、神戸WCBCTでワークショップをおこなったダニー・ラム(ロンドンのキングストン大学)などがいる。香港で第1回のアジア認知行動療法会議が開かれたり、それにあのバーロウが参加したことは自然なことである。
 また、香港の医療制度は、イギリスの制度を取り入れている。イギリスの医療制度のもとで科学者-実践家モデルの臨床心理学が発達したことは筆者が『認知行動アプローチと臨床心理学』(丹野義彦著、金剛出版刊)で示したとおりであるが、香港でもイギリス的医療制度のもとで、科学者-実践家モデルの臨床心理学が進んでいる。2001年には、香港心理学会で「エビデンス・ディベート」があり、ここからエビデンス・ベースの臨床心理学の流れが加速したという。香港は、臨床心理学の先進国であり、日本よりはるかに進んでいる。

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2. 中国本土と認知行動療法

 中国本土は、1966年~77年の文化大革命の間、欧米の思想が入ってこなかった。したがって、精神分析学が入らなかった。心理学者という職種もいなかったという。1990年以降の解放政策で、欧米から認知行動療法が入ってきた。つまり,精神分析学の時代を飛び越えて、いきなり認知行動療法の時代になった。2005年には、中国認知行動療法学会(Chinese Association of Cognitive Behaviour Therapy: CACBT)が作られた。その議長となったのは、香港中文大学助教授のウォンである。ウォンは、2000年から今まで毎年、中国の各地を回って認知行動療法のワークショップを開いて、普及に勤めているという。

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3. 地下鉄で回れる香港の臨床心理学施設

 香港には、10校の大学がある。長い間香港には、①香港大学と②香港中文大学という2つの大学しかなかった。これらは名門大学である。しかし、大学志願者が増えるにつれて、海外の大学に行く学生が増えたことから、海外流出を防ぐために、1991年になって、③香港科技大学が作られた。また、1994年には、もともとあった3つの学校を大学に昇格させた。④香港理工大学、⑤香港城市大学、⑥香港浸會大学である。以上の6校を「香港六大学」という。その後、さらに4つの大学ができた。⑦嶺南大学、⑧香港教育学院、⑨香港公開大学、⑩香港演芸学院である。こうして10大学となった。また、香港には、多くの病院がある。精神科のある病院は8つという。
 これらの大学や臨床施設のほとんどは、地下鉄の駅から歩いていける。
 香港の地下鉄は、広くて、新しくて、安全で、清潔で、乗りやすい。ロンドンやアメリカの地下鉄は古くて不潔だし、日本の地下鉄は狭くて危険である。香港の地下鉄は、筆者が今までみたうちで、最も進んだシステムである。地下にトンネルを掘ったという感じが全くしない。地下街の広いフロアがそのままプラットホームになっている(空港から市内までのエアポート・エクスプレスも、地下に降りていくのではなく、空港の税関を出ると、すぐに電車の乗り場となっていて驚く)。中環の駅などは、プラットホームの幅は日本の10倍くらいあろう。地下街のフロアの両側にそのまま電車が入ってきて、それに乗り込む。安全のため、完全にホームは透明ガラスで覆われ、ホームドアがついている。電車が着くと、電車のドアと、ホーム側のガラスのドアが連動して開く。安全のためには完璧なシステムである。停車位置がずれると乗降ができなくなるため、高度な停車位置制御が必要だろう。高度なハイテクに支えられているのである。
 ホームドアが完全に覆っているので、電車の車体がよく見えない。電車がホームにいつ入ってきたかわかりにくい。このため、電車というよりは、廊下が動いているという感じである。ホームと電車の段差もほとんどない。電車の中にはいると、車両間の区切りが目立たない。車両間のドアもない。電車というよりは、長い廊下にいて、その廊下が動いているという感じである。エレベーターが横に動いている感じと言ってもよい。駅に「電車の床に座らないでください」というポスターが貼ってあったが、これは、床に座る人がいるということだろう。このように、発想が違うのである。もともと「電車」という発想ではなく、「歩く歩道」とか「エレベーター」という発想で作られたのだろう。名称も、"people mover"(人移動機)というものであった。清潔で、良いにおいがする(香料が使われている)。香港の地下鉄は、筆者の知る限り、世界一乗りやすい。
 駅も電車もシステムも新しい。香港の地下鉄ができたのは1979年とのことで、それほど新しくはないが、香港が中国に返還される時に、新しく作り直されたようである(上環駅には、古いホームの残骸が残っていた)。それだけ香港の経済力が強いということであろう。
 券売機も単純でわかりやすい。地下鉄の地図が出て、降りる駅を押すだけである。何回も乗る場合は、「オクトパス」と呼ばれるプリペイドカードを買うと便利である。
 大学や臨床施設が集まっているのは、地下鉄のレッドライン(?灣線、ツェンワン線)と、広九鉄道(KCR)である。

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4. 地下鉄レッド・ラインに沿って

香港大学

 地下鉄の上環駅または中環駅から歩いて20分ほどのところに香港大学(The University of Hong Kong)のメインキャンパスがある。タクシーで10分ほどである。
 香港大学は、香港医科大学を前身として1911年に創立された香港最古の大学である。孫文がこの大学を卒業したことで知られる。医学部、工学部、文学部など10学部からなり、学生数は約15000名、教員約1000である。英語で授業をおこなうという。
 大学のキャンパスは、夜景で有名なビクトリア・ピークのふもとにあり、上下差のあるキャンパスである。地図で見るだけでは単純なキャンパスだが、実際に行ってみると、上下に入り組んだ迷路のような構造になっている。面白みのあるキャンパスである。大学の建物は、香港ではおなじみの高層ビルになっている。
 正面に位置するのが、メイン・ビルディングである。その東側に、香港大学博物館美術館がある。1953年に立てられた博物館である。無料で入れる。中国の美術品には圧倒される。1日いても飽きないだろう。面白いのは、香港島のミニチュアである。1930年-1970年-2000年と3つの時期の香港島の巨大ミニチュアがある。香港70年の発展がわかる。香港大学がしだいに大きくなってきたようすがわかる。一見の価値がある。また、筆者が訪ねたときは、香港の日本軍占領時代の写真展をやっていた。第二次世界大戦中の1941年~45年に、香港は、日本軍に占領されていた。この間、多くの香港人が香港を離れ、人口が減少したという。日本軍の占領下では、香港大学は閉鎖されており、クイーン・メリー病院は日本軍の軍病院となったという。この占領時代の写真展であるが、非常に興味深かった。60年前に日本が香港を占領したことは、今の日本人はそれほど知らないが、香港人にとっては強い傷跡として残っていることが察しられた。
 メイン・ビルディングの南隣りにノウレス・ビルがあり、そこに心理学科がある。ノウレス・ビルと、向かいの図書館をはさんで、広場があり、学生が集まっている。坂をあがっていくと、アメニティ・センターや、香港大学校長宅などがある。一番上は、ユニバーシティ・ドライブという通りである。ここにタクシー乗り場がある(香港には至るところにタクシー乗り場がある)。さらに登ると、香港大学からビクトリア・ピークまで続く3キロの山道の「モーニング・トレイル」があるという。

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香港大学の心理学科

 香港大学の心理学科は、メイン・ビルディングの南のノウレス・ビル6階にある。
 心理学科は、2名の教授をはじめとして、22名の教員がいる。臨床心理学、認知発達、認知心理学、教育心理学、心理測定学、社会心理学、理論心理学の7つの研究グループに分かれている。
 臨床心理学グループは、准教授のサミュエル・ホー、ターシア・リー、助教授のフレンディ・リー、コニー・プーンの4名である。
 6階のフロアには50以上の研究室があるが、そのすべてを心理学科が使っている。6階のフロアの廊下には、各研究グループのディスプレイがあった。臨床心理学グループには、「コンピュータを用いた認知行動療法」(電脳化認知行為治療)といったタイトルのポスターがあった。

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クイーン・メリー病院

 香港大学のメインキャンパスから、やや離れたポク・フー・ラム通りに、クイーン・メリー病院と香港大学医学部がある。香港大学の精神科はこの病院にある。
 クイーン・メリー病院(瑪麗医院)へ行くには、タクシーかバスを利用する。タクシーだと、中環駅から15分(50香港ドル、約750円)である。中環駅からタクシーに乗ると、坂道と高層ビルの間をしばらく進んでいくが、急に視界が開け、海が見えてくる。そこがクイーン・メリー病院である。タクシーを降りたところは、タクシー乗り場になっているので、いつでもタクシーで市内に戻れる。タクシー乗り場近くのK棟には、セブンイレブンやレストランがある。
 クイーン・メリー病院は、丘の上に立つ巨大な病院である。高台の上にあるので、見張らしはきわめてよい。眼下には、香港島の西側の海や島々が見渡せる。航海中の船も見える。振りかえって病院の上を見ればビクトリア山(夜景で有名なビクトリア・ピーク)である。山腹を削って作ったのが、この病院である。病院の裏は切り立った崖になっている。上下の絶景にはさまれていて、病院というよりは、観光地の展望台のようである。
 病院の建物も、ここが病院かと驚くような作りである。山腹に20棟近くの巨大な高層ビル群が建ち並んでいるので、下から見上げると、山城のようである。ビルの間をカラフルなエレベーターやエスカレーターや階段が網の目のようにつないでおり、テーマパークのような概観である。斜面に上下差のあるビルが並んでいるので、上下左右の立体迷路のようになっている。このような作りの病院は世界でもそれほど例はないだろう。ひと目見たら忘れられない建物であり、一見の価値はある。建物は比較的新しく、清潔である。
 クイーン・メリー病院は、1941年~45年の日本の占領時代は、日本軍の軍病院となったという。

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香港大学の精神科

 香港大学の精神科は、クイーン・メリー病院のJ棟にある。精神科は、1972年に創立された。初代の主任教授はヤップである。第2代教授シンガー、第3代教授リー・マクのもとで発展してきた。現在の主任教授はタンである。他に、ングとピーター・リーの2名の教授、2名の准教授、4名の助教授がいる。5つのチームで診療がおこなわれている。一般精神医学、リエゾン精神医学、高齢期精神医学、小児・思春期精神医学、精神医学的リハビリテーションの5チームである。クイーン・メリー病院の中に、92床の入院ベッドを持っているということである。

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精神科の臨床心理士ピーター・リー教授を訪ねる

 1990年代には、精神科の中に「医学臨床心理学ユニット」がつくられ、ピーター・リーが教授となった。2003年には、このユニットは精神科から独立した。今回、リー教授をオフィスに訪ね、クイーン・メリー病院の精神科病棟を見学することができた。
 リーは、精神科の中の臨床心理学の教授をしている。精神科医ではなく、臨床心理士である。リーの仕事は大きく2つあるという。ひとつは、香港大学医学部の学生の教育である。もうひとつは、患者の診察である。専門は、リエゾン精神医学や健康心理学である。ガン患者の心理的問題(サイコ・オンコロジー)や臓器移植をした患者の心理的ケアなどをしているという。
 リー教授と筆者は、2004年8月に北京で開かれた国際心理学会義(ICP)のシンポジストとして同席した。この学会で横田正夫先生が「アジアにおける統合失調症の認知障害研究」というシンポジウムを企画し、筆者もリー教授とともに話題提供した。リー教授は、統合失調症の認知障害の研究で博士号(Ph.D)を取得した。この点は丹野と同じである。このシンポジウムで話したところでは、リー教授は、2004年7月に神戸で開かれた世界行動療法認知行動療法会義(WCBCT神戸)に出席したという。そこで、サルコフスキスと坂本真士先生のシンポジウム「ラベリングや診断はメンタルヘルスにとって益か害か?」において指定討論者となったり、韓国のチョイ教授が企画したシンポジウム「認知行動療法の実践におけるアジアと西洋の文化差」において、坂野雄二先生やサルコフスキスらともに話題提供したという。このシンポジウムの指定討論は大野裕先生であった。つまり、日本の認知行動療法家とは顔なじみの先生である。また、筆者が招待したサルコフスキスは、神戸のWCBCTのあと、香港に寄るといっていたが、その時に香港を案内したのがこのリー教授だという。知らないうちに、いろいろなつながりがすでにできていたのである。
 今回、香港の認知行動療法について、現場の臨床心理士の仕事を見たいと思い、事前にリー教授にメールを書き、訪問した。われわれ筆者ら4名(東京大学の石垣琢麿先生、帝京大学の毛利伊吹先生、東京大学の荒川さん)は、ニュー・クリニカル・ビル(新教授棟)の2階にある、リー教授のオフィスを訪ねた。この部屋で、研究したり、患者さんとの面接をするという。ニュー・クリニカル・ビルは「ニュー」とは名ばかりで、40年もたつ古いビルである。
 リー教授と臨床心理士のフン博士のふたりで病院内を案内してくれた。病院内のJ棟へ行き、エレベーターで2階に上がると、「精神科ユニット」という看板があり、「1991年にこのユニットが作られた」という看板があった。中は、デイ・ホスピタルの55名分のベッドがあるということである。臨床心理士が面接する部屋も見せてくれた。クイーン・メリー病院には、10人くらいの臨床心理士がいる。精神科だけでなく、小児科、作業療法などの部門に分かれている。統合したいが、なかなかできないという。
 臨床心理士のエイミー・フン博士は、香港大学で臨床心理学の修士号と博士号(Ph.D)を取った。1990年にこの病院に勤めてから、15年くらいたつとのこと。フン博士は、おもに認知行動療法をしているという。なお、フン博士も、2004年の世界行動療法認知行動療法会義(WCBCT神戸)に参加したという。
 香港には8つの精神科があり、各病院に5~6人の心理学者がいる。心理学者の仕事は、アセスメント、認知行動療法などである。香港の精神科では、認知行動療法が主流であるという。認知行動療法は短期間で効果があるからである(6~7週でおわる)。香港の精神科では、精神分析は、時間がかかりすぎるので、おこなわれていないという。日本ではユング派が力を持っているというと、不思議な顔をした。世界の臨床心理学では、ユング派とは神秘主義の一派と考えられている。カウンセリングは、福祉系であり、病院にはいないということであった。香港の医療システムは、イギリスの制度をモデルにしている(丹野義彦『認知行動アプローチと臨床心理学』を参照)。患者は、一般開業医(GP)を通して、専門病院に紹介される。コミュニティ・ケアが充実しており、精神科の患者は、入院しても1週間ほどで退院してしまう。待機リスト制度もある。
 リー教授の名刺をみると、太平紳士(Justice of the Peace)という称号が書かれている。これは、香港がイギリスの治安判事の制度を取り入れたもので、正式の法律教育を受けたわけではないが、無給で裁判にかかわる仕事である。人格的に認められた人が任命されるので、香港ではこの称号を受けることは大変な名誉とされているようである。帰りがけに、香港大学90周年記念の傘をおみやげにもらった。この傘は、日本に帰ってきてから、梅雨の時期にとても役に立った。

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香港大学医学部

 クイーン・メリー病院から坂を降りていくと、サスーン通りがあり、ここは医学部のキャンパスである。医学部ビルは、もと教育カレッジだったところを買収して、2002年に完成した新しい建物で、2つのブロックからなり、一方は研究棟、他方は教育棟である。このキャンパス内には、ほかにも、パストゥール研究センター、中国医学学校、老年医学病院、小児科病院、リハビリテーションセンターなどの建物が並んでいる。

香港医学地区

 ここで香港大学のメインキャンパスに戻ろう。メインキャンパスから上環駅まで歩いていく途中に、医学の施設がたくさんあり、「香港医学地区」と呼ばれる。
 ハイ・ストリートには、高街精神病院の跡地がある。もともと1892年に市民病院の看護スタッフの宿舎として作られたが、第2次世界大戦後に、精神病院として改造された。現在は、2階建ての建物の表の壁と、中の鉄格子の部分だけが残されている。外から見ると建物の装飾のようだが、よく見ると、精神病院の鉄格子が歴史的な建築として保存されているのである。この跡地は、香港の中西地区の歴史20選として保存されている。(20選をめぐるウォーキングマップのパンフレットが作られている)。鉄格子のすぐうしろには、ビルが建っていて、今は企業の事務所として使われている。
 この跡地の隣には、孫文の記念碑がある。近くには、メタドン病院(美沙?病院)がある。
 ハイ・ストリートをはさんで佐治五世記念公園があり、急な坂をおりていくと、医院通り(ホスピタル通り)がある。この周りには、文字通りたくさんの病院がある。すぐ角にはプリンセス・フィリップ歯科病院がある。この病院は、香港大学の歯学部でもある。その隣には賛育病院という巨大な産婦人科の病院がある。
 医院通りに沿って歩くと、ロク・シン・トン・カレッジという学校があり、その横の坂をおりていくと東華病院がある。この病院は、1870年に建てられた古い建物で、香港中西区の歴史20選に選ばれている。この病院は、東華三院と呼ばれ、3つの病院の共同体である。また、現在は香港大学の中国医学教育センターとしても機能している。
 東華病院には精神科や臨床心理のサービスもある。Y区ビルという建物の9階に臨床心理サービスのオフィスがあった。エレベーターで9階に上がってみたが、休日なので閉まっていた。
 東華医院から少し下ると、骨董品街のハリウッド通りがある。

香港医学博物館

 ハリウッド通りからラダー通りを上がっていくと、「香港医学博物館」がある。この建物は1906年に建てられた植民地様式の建物で、香港中西区の歴史20選に選ばれている。もとは病理学研究所として作られた。1996年に博物館として開館した。香港医学の歴史について、わかりやすく展示されている。1894年に香港でペストが流行した時、日本の伝染病研究所長であった北里柴三郎は、調査のために香港に派遣された。この時に北里はペスト菌を発見した。この発見に使用していた顕微鏡が、この博物館に所蔵されていたという。また、展示物の中で、昔の中国女性の「纏足」についての展示は驚く。博物館の周りはハーブ園(薬園)となっていて、薬草が植えられており、その説明のパンフレットも作られている。

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油麻地の広華病院

 地下鉄レッドラインに戻り、金鐘駅でおりると、香港演芸学院がある。
 地下鉄レッドラインの油麻地(ヤウマアテイ)で降りると、それまでの香港とは全く違った中国下町の風景を見ることができる。高層ビルの近代的な空間とは異なり、雑居ビルの中国的カオスの世界である。
 油麻地には、広華病院があり、ここは香港中文大学の医学部の病院である。大きな病院で、言語治療部がある。精神科はない。
 この病院の近くには、クイーン・エリザベス病院やYMCAキャリア・カレッジがある。

ライキングのカイチュン病院

 地下鉄レッドラインのライキン駅には、精神科のカイチュン病院(Kwai Chung Hospital、葵涌医院)がある。
 ライキン駅は広くて新しい。駅ビルには、ショッピング・センターがあり、コンビニ(セブンイレブン)やスーパーマーケットもある。マクドナルド風のレストランではトイレを借りることができる。
 ライキン駅からカイチュン病院までは、タクシーで5分(15香港ドル)、歩いても15分で着く。学校が多い教育地区である。通りをまっすぐ行くと、看板があり、坂を登っていくと病院がある。
 カイチュン病院は、巨大な精神病院である。シンプルな形のビルである。入口でチェックされるので、中には入れない。
 同じ敷地の中に、総合病院のマーガレット病院がある。この病院は、きれいな中庭をはさんで、いくつかビルからなる。マーガレット病院にも精神科がある。

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カイチュン病院の臨床心理士ウォン助教授

 カイチュン病院の主任の臨床心理士は、チー・ウィン・ウォン博士である。ウォンは、香港中文大学の助教授も兼務していて、香港の認知行動療法の中心の1人である。今回のアジア認知行動療法会議でも、中心的な役割を果たしていた。
 丹野がウォン博士を知ったのは偶然である。2001年に、丹野は、ロンドン大学の精神医学研究所に留学したが、10月にウォンも精神医学研究所に来ていて、知り合ったのである。丹野は、臨床心理学のカイパース教授が主催する認知行動療法のスーパービジョンの会に出ていた(その様子は『認知行動アプローチと臨床心理学』にまとめた)。この会にたまたまウォン博士も来ていて、会が終わってからキャンティーンで長話をした。ウォン博士は、香港出身で、25年前に精神医学研究所に2年ほど留学し、行動療法のトレーニングを受けた。アイゼンクに直接学んだ。当時の精神医学研究所には、ラックマンやホジスンがいたという。その後、オーストラリアの病院で8年くらい臨床心理士として働き、香港に帰り、カイチュン病院のシニア・サイコロジストになった。病院では、うつ病や不安障害や物質乱用に対する認知行動療法をしているという。2001年10月には、5週間くらいロンドンに滞在し、精神医学研究所で研修をしていた。
 2001年にウォン博士と話して、教えられたことが4つある。
 第1は、香港が認知行動療法の最前線であるということである。ウォン博士との話から、香港の認知行動療法が非常に進んでいることを知った。香港の人は、英語と中国語のバイリンガルが多く、直接イギリスやアメリカに行って、認知行動療法を勉強してくる。欧米との「言語の壁」がないということは、とてもうらやましい。香港では、精神分析の時代は終わり、認知行動療法が主流になっている。この時に、香港という都市の世界的な性格を知り、ぜひとも香港の認知行動療法を見たいと思った。この願いを2006年に果たすことができたわけである。
 第2は、認知行動療法がアジア人にも大きな効果があるということである。よく「認知行動療法は西欧で生まれた治療技法なので、西欧人には効果があるが、日本人には効果がない」という説を聞くことがある。しかし、香港で中国人に効果があるということは、アジア人にも効果があるということである。文化相対主義は成り立たないのである。ロンドンにおいて香港人と知り合い、それによって、アジアや日本のことがよく見えてきたのである。精神医学研究所に留学してよかったと感じた。
 第3は、香港の認知行動療法家を呼んでワークショップを開いてもらえれば、「距離の壁」が乗りこえられるということである。イギリスやアメリカの認知行動療法家を呼んでワークショップを開いてもらうためには、高い航空賃を出し、時差の壁を越えて、日本に来てもらわなければならない。これに対して、香港の認知行動療法家を呼べば、航空賃も安くすむし、時差の壁もない。こういうアイディアが湧いたのである。実際に前述のように、ウォン博士は、中国本土に認知行動療法のワークショップをおこなうために、毎年中国各地を飛び回っている。ワークショップでは、パワーポイントで英語と中国語を両方提示して説明しているという。今後、このアイディアを実現したいものである。
 第4に、ウォン博士は、「認知行動療法はシステムである」と強調していた。一般には、認知行動療法は治療技術のひとつと見なされている。しかし、ウォンに言わせると、認知行動療法は、治療・研究・理論の混合体である。サルコフスキスとかクラークのような心理学者はこのことをよく理解しているという。この言葉には、丹野も同感した。
 今回、カイチュン病院でどのような認知行動療法がおこなわれているか、見学したかったが、ウォン博士は、アジア認知行動療法会議で忙しかったので、病院見学は果たせなかった。アジア認知行動療法会議では、ウォン博士は、「香港と中国で認知行動療法を教える」というシンポジウムを開いていた。このシンポジウムは、香港と中国での認知行動療法について詳しく述べていて、面白かった。それによると、ウォン博士が議長となって、2005年に、中国認知行動療法学会(CACBT)を作った。そして、2000年から今まで毎年、中国の各地を回って認知行動療法のワークショップを開いて、普及に勤めているという。まさに認知行動療法の伝道師である。ウォン博士といっしょに活動しているのは、香港中文大学の精神科のカレー・チャン助教授である。ウォン博士もチャン博士もエネルギッシュな臨床家である。会議の最終日には、ゲストのデイビッド・バーロウを呼んで、講演会とディナーがおこなわれた。中国認知行動療法学会が主催したディナーには、丹野も招待された。

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5. 広九鉄道(KCR)に沿って

 広九鉄道(KCR)は、尖東駅を始発として中国本土に通じる路線である。車両は、地下鉄と似ていて、新しい。車内にテレビがついていて、ニュースを流している。

香港理工大学

 尖東の次がホンハム駅である。中国の広州への直通列車が出発するターミナル駅である。広州を経由して、北京や上海への直通列車も出ている。
 ホンハム駅のすぐ近くに、香港理工大学のキャンパスがある。1972年の創立で、香港大学、香港中文大学に次いで香港で3番目に古い大学である。理工系学部だけでなく、健康科学や社会科学系の学部もある。学生は約26000名、教員は1000名である。
 大学の建物は巨大である。門の両脇に巨大な円柱が立っていて、まるでイギリス中世の城のようである。お城をイメージして作ったようである。
 香港理工大学の近くには、香港科学博物館や香港歴史博物館などがある。

香港城市大学

 広九鉄道の九龍塘(カオルーントン)駅には、大学が2つある。そのひとつが香港城市大学(ホンコン・シティ・ユニバーシティ)である。香港城市大学は、1984年に創立され、94年に大学に昇格した。3学部からなり、学生数は約18000名である。
 国際学会の行き帰りにちょっと寄ってみただけだが、この大学には驚いた。とても大学とは思えない。駅のターミナルビル、ショッピングモール、ファッション・ビル、ホテルのロビー、オフィスビルなどを合わせたぜいたくな空間である。世界の大学を見てきたが、これほど進んだ形態の大学を見たことがない。賛否両論あるだろうが、これからの大学は、この大学のようになっていくに違いない。日本の大学の関係者は、ぜひこの大学を見てみるべきである。
 広九鉄道と地下鉄が交わる九龍塘(カオルーントン)駅のターミナルビルは、そのまま巨大なショッピング・モールの「フェスティバル・ウォーク」に通じている。地下鉄を乗り換える人は、このショッピング・モールを通る。このビルは、6階建ての吹き抜けで、高級ブティックが並び、映画館やレストランも多く入っている。亜熱帯の香港だというのに、アイススケート場まである。
 そのフェスティバル・ウォークの中を通って、シティ大学へ行くことになる。まさにファッションの最先端と大学がつながっている。明るいファッション・ビルの中に、大学の入口があって、それと調和している。大学の持つ重々しい権威がない。これにまず驚いた。
 正面に「香港城市大学」と書かれたアカデミック・ビルに入ると、内部はオフィス・ビルであり、とても大学とは思えない。大学の無機的・権威的なイメージはなく、ファッション感覚で、空間をぜいたくに使っている。建物にお金をかけている。ホテルのロビーのようなぜいたくさである。しかし、よく見ると、図書館や教務課や法学部など、大学の部署なのである。
 上の階に行くと、講義室や各学科の事務室が並んでいる。ここも、オフィスビル風であり、とても大学とは思えない。カフェのようにテーブルが並んでいて、学生が勉強をしているので、大学だとわかる。講義室の中を覗いてみると、扇型をした講義室であった。これが何十も並んでいる。やはり学校なのである。また、各学科の部屋や、教員個人の研究室もずらっと並んでいる。
 「学校」という質素で無機質な空間ではない。学校という視点から離れて、全く別の視点で作られた空間である。ふつうの大学なら、研究棟、図書館、講義棟と別々のビルを建てるところであろう。しかし、この大学は、すべての機能をひとつの巨大な人工空間に押し込める。大学全体がひとつの街である。駅のターミナルビル+ショッピングモール+ファッション・ビル+ホテルのロビー+オフィスビルの融合である。
 筆者の勤務する東大駒場キャンパスだったら、どんなことになるのだろうか。例えば、次のようなイメージを考えてみる。京王線の駒場東大前駅の駅ビルが、10階建てファッション・ビルの「駒場ヒルズ」になっている。このビルは、高級ブティックが並んでおり、渋谷にかわってファッションの中心になっている。駒場東大前駅の周辺は、再開発されて、超高層マンションが建ち並んでいる。駒場東大前駅でおりると、「駒場ヒルズ」内のブティック群の前を通って、東京大学のメインビルディングに入る。学生は、建物の外に出ないで、「駒場ヒルズ」からそのままメインビルディングに入る(考えてみれば、東京で、鉄道の駅と直結している唯一の大学が駒場である)。メインビルディングの入口は、巨大な吹き抜けになっていて、教務課や図書館や生協のショップやレストラン街が見える。メインビルディングの3~10階に、大教室から小さなゼミ室まで、100個の教室が並んでいる。メインビルディングの11~20階に、各学科の研究室や教員の個人研究室が何百も並んでいる。ビルの中にあらゆる施設が整っており、学生も教員も、1日中メインビルディングから一歩も外に出ないで生活する。駒場東大でいえばこのようなイメージである。京王電鉄+森ビル+東京大学が手を組んで駒場全体を再開発するようなものである。東大がこのような商業路線を取ることはないだろうが、香港城市大学はそれをおこなった。アカデミズムというよりは、商業主義である。そうした商業主義の最先端が中国にあるというのも不思議である。
 香港城市大学は、世界の最先端である。賛否が分かれるだろうが、大学の将来像のひとつの方向を極めていることは間違いない。日本の大学関係者が見ておくべきはそこである。アメリカにはこんな大学はない。アメリカは広いし、気候もよいので、ひとつのビルに押し込める必要がない。ヨーロッパの大学は、アカデミズムの権化であり、そもそもこんなキラキラした商業主義の発想はない。日本でも難しいだろう。香港だからできた建物であろう。大学全体をひとつの巨大なビルの中にいれて、高層ビル化するという発想は、香港という狭い土地ならではである。巨大なビルを作るための法的規制が少ない香港だからできたのだろう。また、亜熱帯の香港において、外の暑い空間に出なくても、ひとつのビル内で用事が済ませられるのは快適である。また、世界の貿易マネーが集まってくる香港だからできたのだろう。
 この大学や地下鉄や病院を見て、香港が世界の最先端を行く都市であることが実感される。西欧的なハイテクや商業主義をすべて取り入れながら、しかも、東アジア的な清潔さとアメニティと維持の勤勉さを併せ持っている。両者を融合して最先端の文明を作り上げている。日本は香港の足許にも及ばない。そういう危機感が自然にわいてくる。

香港城市大学の心理学科

 心理学科は、社会科学部の応用社会科学科の中にある。心理学、社会学、ソーシャルワークの3つのグループに分かれている。この学科は、第9エレベーターに乗って、7階にある。行ってみると、こじんまりとしたオフィスである。教員の写真が貼ってある。臨床心理学系ではなく、社会心理学系である。廊下には、イギリスの心理学の資格についての図が貼ってあった。
 とはいえ、この大学には問題も多いかもしれない。部外者なのに、講義室に入れた。このようなオープンな体制で機器が盗まれたりしないだろうか。セキュリティはどうなっているのだろうか。この大学の学生や教職員は、どう思っているのだろうか。聞いてみたいところである。

香港浸會大学

 九龍塘駅のもうひとつの大学が、香港浸會大学(バプテスト大学)である。九龍塘駅で、シティ大学とは反対側の出口を出て5分くらい歩くと、バプテスト大学につく。
 1956年に香港浸會學院として創設され、1994年に大学に昇格した。6学部からなり、学生約6000名、教員約500名の小規模大学である。キリスト教系のリベラルアーツ・カレッジである。
 タワーのある正面の建物がメインビルである。キャンパスはこじんまりしているが、感じの良いキャンパスである。しかし警戒が厳重で、ガードマンがあちこちに立っている。この点、シティ大学とは対照的である。
 隣接する3つのキャンパスからなる。バプテスト大学通りキャンパスの中に、香港にしては珍しく低いビル群が並んでいて、その中にソーシャル・ワーク学科や社会学科がある。心理学科はないようである。大学のそばには、大学卒業後の教育をおこなう持続教育学院もある。近くに、香港バプテスト病院もある。

プリンス・オブ・ウェールズ病院

 広九鉄道(KCR)の沙田駅には、いろいろな施設がある。沙田でおりて、となりの火炭駅まで、沙田路という大通りに沿って回るとよいだろう。1.5時間ほどの散歩コースとなる。沙田は新興住宅地であり、駅には巨大なショッピングセンターがある。沙田路に沿っていくと、文化文化博物館や、會大屋(チャンタイウック)という昔の民家もある。その先には、学校地区があり、基督書院(クライスト・カレッジ)などがある。馬鞍山鉄道の沙田園駅をすぎると、プリンス・オブ・ウェールズ病院がある。
 プリンス・オブ・ウェールズ病院(威爾斯親王医院)は、香港中文大学の医学部の病院にもなっており、香港中文大学の教授棟や研究センターもある。大学院教育センターもある。
 病院には、婦人小児癌センターやスペシャリスト・クリニックなどの建物もある。精神科はないようである。
 病院を出ると大きな公園がある。大きな川を渡ると、香港専業職業学院(Hong Kong Institute of Vocational Education)がある。さらに川に沿って歩くと、香港体育学院(ホンコン・スポーツ・インスティチュート)がある。その脇を進むと、広九鉄道(KCR)の火炭駅に着く。火炭駅の先には、競馬場があり、競馬のある日は、馬場駅にも電車が止まる。

香港中文大学

 広九鉄道(KCR)の大学駅には、香港中文大学(Chinese University of Hong Kong)がある。1963年に創設された大学で、香港では2番目の歴史を持つ。7学部からなり、学生は約16000名である。
 大学駅の改札口を出ると、目の前がキャンパスである。ひとつの山全体がキャンパスであり、広大な敷地に点々と建物が広がっている。歩いていくのが困難なため、学内にはシャトルバスが走っている。
 シノ・ビルディングには心理学科がある。同じビルには、中医学研究センター(中医学とは漢方医学のこと)や社会科学部などがある。
 キャンパス内に、香港中文大学アート・ミュージアム(文物館)があり、中国古美術を収集してる。H4とH5のビルである。坂道を20分も登って行ってみたが、その日は休館日だったのは残念だった。H11aは、基礎医学のビル、H35は、中国の考古学・美術のビルである。日本研究科があり、500名の学生が日本語を学んでいるという。山の上には、ゲストハウスがあり、学会などでは宿泊することができる。

香港中文大学の心理学科

 香港中文大学の心理学科は、広九鉄道(KCR)の大学駅を出て、左側の坂を登ったところにあるシノ・ビルディングの2階にある。
 大学ができた1963年当時は、社会心理学を教える学科であったが、1982年に正式に心理学科として発足し、大学院課程も持つようになった。
 現在の心理学科は、7名の教授をはじめとして、16名の教員がいる。学部学生は約240名、大学院生が約130名、ポスドクが約200名という大所帯である。
 アセスメント、認知と脳科学、発達心理学、神経心理学、臨床健康心理学という5つの研究グループに分かれている。

香港中文大学の心理学科と認知行動療法

 臨床心理学は特にさかんであり、同じシノ・ビルディングの3階には臨床心理学センターがある。
 香港の臨床心理学では認知行動療法が主流になっているが、その中心になるのが香港中文大学の心理学科である。2006年5月には、第1回アジア認知行動療法会議が香港中文大学の心理学科でおこなわれた。中心になったのは、心理学科のキャサリーン・タン教授である。この会議の詳細は、本ホームページの「国際学会の情報」で報告した。この学科は、アメリカのボストン大学のデイビッド・バーロウの臨床心理学プログラムと正式の提携をしており、中文大学の大学院生がバーロウのもとでスーパービジョンを受けたりしているという。このような密接な関係があるので、バーロウがこの会議のゲストとして招かれた。バーロウは、アメリカの認知行動療法や「エビデンスにもとづく臨床心理学」の中心となる心理学者である。
 さらに、香港中文大学の心理学科の隣接助教授を勤めるのが、ウォンである。彼は、前述のように、カイチュン病院(葵涌医院)の臨床心理士として臨床に当たっており、2005年には、中国認知行動療法学会を作って議長となった。香港と中国本土への認知行動療法の普及の中心人物である。
 また、香港中文大学の精神科の助教授のカレー・チャンも、中国認知行動療法学会の中心人物である。このふたりは、2000年から今まで毎年、中国の各地を回って認知行動療法のワークショップを開いて、普及に勤めているという。

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