「教養崩壊」は本当か?
「東大生はマンガ大好き」とか、「東大生の愛読書は漫画と教科書」とか、東大生の「教養崩壊、本当かも」といった記事が12月の新聞に出た。これは、本学の学生生活実態調査委員会の発表にもとづくものである。この委員会では、第50回調査の結果をまとめて、昨年の暮れに発表した。筆者はこの委員会の副委員長として記者会見にも出た。ここでは、調査への協力のお願いもこめて、「学生生活実態調査」について報告してみよう。
この調査では、毎年、東京大学の学生の8人に1人が無作為に選ばれる。その中には、前期課程の学生も500名以上含まれている。調査用紙の配付と回収は郵送でおこなわれる。回収率は年々落ちている。今回は54.4%であり、かろうじて50%を上回るくらいであった。担当者は、何回も督促するのだが、それでもこの程度である。もし、この記事を読んだ学生で、回答が家に眠っているのを思い出したら、ぜひ返送してほしい。あとで述べるように、この調査は、大学に対する学生の要望や意見を吸い上げるチャンスでもあるので、ぜひ協力をお願いしたい。
調査の報告は今回がちょうど50回目であった。今回は学生の読書傾向について詳しく調べた。
表1をごらんいただきたい。これは「よく読む雑誌」についてたずねたものだが、2000年は「東京ウォーカー」といった情報誌がトップになった。ちなみに、6位はWeeklyぴあ、7位はMEN'S NON・NOである。1989年とくらべると、肩の凝らないものに人気が移っていることがわかる。マンガも青年誌よりも少年誌のほうに人気が集まった。
また、表2を見ていただきたい。これは、4月からの読書冊数を聞いたものである。2000年調査をみると、最も多いのは「マンガ・コミック」約36冊、次が「勉学に必要な本」約19冊となっている。以上のような結果にもとづいて、「東大生はマンガ大好き」とか「東大生の愛読書は漫画と教科書」といった新聞記事が出たわけである。
また、表2からわかるように、「教養書」が13.9冊から12.0冊へと減少している。これが「教養崩壊」といった記事になったわけである。
しかし、表2で、1989年調査では、「小説・文芸書」についての項目がなく、小説・文芸書は「教養書」の中に含められていたのかもしれない。2000年調査では、「小説・文芸書」と「教養書」とに分けて聞いたので、「教養書」が減ったようにみえるだけかもしれない。
また,表2で、1989年と2000年をくらべると、「勉学に必要な本」は11.9冊から19.3冊に増えている。バブルが華やかだった1989年当時よりも、不況の現在、学生はよく勉強するようになったといえるかもしれない。以前にくらべ、学生の収入は減っているにもかかわらず、書籍に使った金額は増えているというデータもある。
また、「最近最も関心を持った本」のランキングでは、長谷川寿一・真理子先生の「進化と人間行動」や野矢茂樹先生の「無限論の教室」がベスト20に入るなど、教養学部の教官の本も健闘している。さらに、10年前とくらべて、インターネットなど電子メディアからの情報は確実に増えているだろう。
このように考えると、駒場キャンパスは、必ずしも教養崩壊のレジャーランドと化しているわけではなさそうである。
もうひとつはっきりした傾向がある。それは、不況が学生の懐具合を直撃していることである。調査によると、学生の親の平均年収が、5年前にくらべて7%も減少した。また、学生のアルバイト収入は減っている。東大生の生活にも不況が影を落としている。このためか、大学以外での学習(いわゆるダブルスクール)が、女子ではここ数年で大幅に減っている。
「大学へ要望したいこと」という質問に対しては、「授業の改善」がトップに上がった。以下、
「教室・実験室の充実」
「教育スタッフの充実」
「進振り制度の改善」
「少人数教育の実施」
の順になっている。学生の切実な要求があらわれている。教養学部は、今年度から、学生の授業評価を全授業にとりいれたり、全教官がオフィスアワーを設けたりした。このような形で、少しずつ学生の声が反映されるようにしたいものである。学生生活実態調査は、学生の要望や意見を吸い上げるチャンネルになる。
2002年度の調査用紙は、一一月に送付される予定である。これからの調査にもぜひ協力をお願いしたい。
学生生活実態調査の詳しい結果は、東京大学「学内広報」の一二二七号に載っている。駒場キャンパス正門の守衛所の脇に学内広報の置き場があり、そこで配られている。また,駒場の図書館の2階の雑誌コーナーでも見ることができる。
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |
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1989年調査 | ビッグコミック スピリッツ |
Weeklyぴあ | Aera | 週間少年 ジャンプ |
NEWSWEEK (日本版も含む) |
2000年調査 | 東京ウォーカー | 週間少年 マガジン |
週間少年 ジャンプ |
non・no | NUMBER |
勉学に 必要な本 |
小説・ 文芸書 |
教養書 | マンガ・ コミック |
その他 | 合計 | |
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1989年調査 | 11.9冊 | - | 13.9冊 | - | 15.4冊 | 34.6冊 |
2000年調査 | 19.3冊 | 16.8冊 | 12.0冊 | 35.8冊 | 16.9冊 | 78.2冊 |
遅ればせながら「臨床心理士」の資格をとった。今でこそ、臨床心理士はテレビドラマにも登場するようになった。しかし、私が精神科の病院で臨床を始めた20年前には、ほとんど市民権を得ておらず、この仕事を人に説明するのは難しかったものである(今でも簡単なわけではないが)。精神病院の臨床を長くやってきた私が、七年前に駒場キャンパスに移った当初は、病院という研究のフィールドから離れては、心理臨床の仕事は続けられないのではないかと心配した。しかし、しだいにこの駒場キャンパスこそが、実は臨床心理学の巨大なフィールドなのだということがわかってきた。だから、臨床心理士の資格を取る気にもなったのである。
駒場キャンパスは7000名の学生を抱え、そのメンタルヘルスは大きな問題である。ここ数年、「教育病理・精神病理」をテーマに全学自由研究ゼミナールを開いているが、強く感じるのは、学生の心理学や臨床心理学への関心の強さである。それが逆の方向にあらわれたのがオウム真理教事件であろう。駒場キャンパスがカルト宗教の草刈り場になっていることは、オウム事件以前からすでに有名であった(週刊朝日1992年10月2日号)。こうしたことを背景として、『現代教育論』の講義では、メンタルヘルスについての調査をおこなっている。取りあげたテーマは、例えば、95年はオウム事件や大学の管理の問題、96年は学生のストレスやいじめの体験、97年は対人不安や悩み、98年は抑うつとアパシーといったぐあいである。研究室は、一時、調査のデータで足の踏み場もないほどだった。このような調査から、例えば次のような駒場生の実態が見えてくる。
八割以上の学生が「駒場キャンパスは管理が緩やかでのびのびしている」と考えている。教師に干渉されないとか、いろいろ試行錯誤ができるとか、駒場キャンパスのポジティヴな面に満足している学生は多い。しかし、ネガティヴな面もある。第一は、学生同士のネットワークが、情報中心(おそらく試験情報)のドライなものとなり、助け合い意識が乏しいことである。第二は、教官と学生の交流の少なさである。88%の学生が「クラス担任と一度も話したことがない」と答えており、明らかにクラス担任制度は形骸化している。そこで、84%の学生は「学生と教官の交流をもっと欲しい」と望み、67%の学生は「困ったときに教官や職員に相談できる場がほしい」と答えている。
こうした切実な要望に対して、「基礎演習」は状況を少しは改善したと考えられる。今後、基礎演習の担当教官が、クラス担任を兼ねることも考えるべきであろう。
学生が困ったときに相談できる機関として、学生相談所・保健管理センター・進学情報センターがある。しかし、学生のニーズに比して、こうした機関の職員数は少ない。私の調査では、何か困ったことがあれば駒場の学生相談所に行ってみたいと答えた学生は30%に達する。単純に計算しても、潜在的なニーズは7000×30%=2100名である。しかし、現在、駒場の学生相談所には相談員が1名しかいない(この場を借りて、学生相談所の人員の充実を訴えておきたいと思う)。このような状況を少しでも補うために、今年度から、私の研究室の中に「駒場心理臨床相談室」を開設してみた。予算があるわけではない。臨床心理学や精神医学を専門とする大学院生のボランティア組織である。『認知臨床心理学入門』(東京大学出版会)のあとがきに書いたが、駒場の心理学研究室には、梅津八三先生以来、臨床病理学の伝統があり、臨床をめざす大学院生が集まってきている。基礎演習のTAの経験のある院生もおり,今後、相談室では,『現代教育論』の調査結果を個人的に知らせたり、心理面の相談にのったりする予定である。
以上のようなわけで、駒場キャンパスこそが臨床心理学を必要としていると考えるようになったのである。その一方で、臨床心理学もずいぶん様変わりしてきた。以前は、精神病や犯罪など、「ハードな精神病理」が中心であった。しかし、最近は、精神病が軽症化・境界例化し、青年層における抑うつ・アパシー・対人不安・摂食障害などの「ソフトな精神病理」が目立つようになった。また、少年犯罪や学校をめぐる事件への関心も強まっている。つまり「病院の臨床心理学」だけでなく「キャンパスの臨床心理学」や「学校の臨床心理学」という流れができつつある。臨床心理学自身が大学のキャンパスというフィールドを必要とするようになったとも言えるのである。
東大新聞より,丹野発言部分の引用
『現代教育論』の講義を長年担当し大学教育の事情に通じる丹野義彦助教授は、進学振り分け制度の特色を設置当初に戻ってこう説明する。
「他大学はたとえば『理工学部建築学科』のように願書を出す際、すでに専門分野の選択が課されており、18歳で大学入試と進路決定とが同時に行われていると考えられます。 他大学はすでに入試の中に振り分けを取り込んでいるのです。一方、もし学科の決定を先延ばしにするのなら、大学・学部の入試という、二本の入試を数年を置いて立て続けにおこなうか、その数年間に進振り制度のような緩やかな選抜を行うかです。前者ではその間に狭まった期間は予備校同然となってしまうでしょうが、後者なら緩やかで適切な選抜と、学生の進路決定が動じに可能になる。少なくとも当初はそのように意図されていました」。
ところが、後に問題となってきたのは結局、「大学入試以降も続く点数競争が、学問に対する感心・態度を抑圧しかねない」という点だった。丹野助教授が96年、『現代教育論』の講義に出席した文系の学生対象に行ったアンケート調査でも、進振りを不安に思っているという回答は全体でも半数を超えている。
「本来緩やかな選抜であった進振り制度も、受験競争の延長に置いて一種の『ゲーム化』を試みる学生たちが現れてきます。例えば『影武者』といって、人気のない学科にデキる何人かがわざと集中的に希望を出し、中間集計で底点が上がり人気が上がってきたところで一気に足を抜くとか。93年の二段階選抜の導入はそういう『ゲーム』を防ぐ目的もあった。
学科の内容云々ではなく数値の表す価値に左右されることを、教育関係の専門家の多くは『点数信仰』と呼びます。よく『金銭信仰』といいますがそれと同じように、たとえばせっかく30万持ってるんだから、10万のワープロより、30万のパソコンを買ったほうがいい、という発想です。恐らくゲームとまでは行かなくとも、一部の学生には『底点が高い(=人気がある)のだから、内容もいいのだろう』と安直に考えてしまう傾向があるように思えます」
ゲームにしろ点数信仰にしろ、評定をあげることばかりに囚われれば、有意義なはずの駒場での教養教育も、希望の学科に進むという目的を得る手段に貶められてしまうだろう。
もっとも今年、文学部の中でも底点のかなり高い社会学科に進学の内定したK君は、社会学の志望理由を「単に他がつまらなそうだったからゆえの消去法」であったと言う。「総合科目でどの分野にも関心が湧かず、潰しのきく学科として思い当たるのはそこしかなかった。だがそれを『点数信仰』だと言われるのには違和感を覚える」。しかし、一方、学生生活実態調査では、学科の志望理由について、77%が「学問的関心」を挙げていることも考慮すると、志望動機にはある程度の本音と建て前の構造があると見ることもできる。
丹野「進振り制度自体は当面は存続していくでしょう。だた評定平均のみではなく、もっと学生自身の意欲や可能性も計れるような評価方法を追加して行くという点で審議が加えられつつあるのは確かです。たとえ教養課程といえども、出来る限り専門課程に習った、ゼミや論文を通じての教官と学生との対話が理想でしょう。学生のその学科に対する関心や意欲、適性の程は、丁寧に時間をかけて見てゆくのが一番なのです。目下の応急処置としては面接や小論文の導入などもあります。大学の制度もゆっくりではあるが着実に改善が加えられており、決して固定的なのではありません」
2000年に入ってから,東京大学の学生相談にかかわる動きが3つあった。つまり,①全国レベル,②東大の全学レベル,③駒場の学部レベル,という3つのレベルで,それぞれ学生相談についての新たな提言が出された。
ここでは,こうした動きを総合して,これからの学生相談のあり方について構想をまとめてみた。以下では,1)駒場の学生相談所レベルでできること,2)駒場の学部レベルでできること,3)全学レベルの取り組みが必要とされること,という3つのレベルから考えてみたい。
駒場の学生相談所が直面している大きな問題は,学生の相談内容の多様化にどう対応するかということである。座談会を参照していただけるとわかるが,駒場キャンパスの学生数は創設時の3倍となり,前期課程・後期課程・大学院という三層構造にともなって学生も多様化している。駒場学生のメンタルヘルス(こころの健康)を支援するために,学生相談所はこれにどう対応すべきであろうか。
相談内容の多様化に対しては,いろいろなスペシャリストが協力すればよい。東京大学教養学部には,いろいろな学生相談機関がある。すなわち,心身の健康問題を扱う「保健センター」,進学や学習の問題を扱う「進学情報センター」,留学生の問題を扱う「留学生相談室」などである。このような相談機関がヨコのネットワークを作って,連携していくことが大切である。そこで,平成11年9月には,4つの機関が集まって「駒場学生相談協議会」がつくられた。初代幹事は繁桝算男先生である。今回の座談会は,各機関の意見を出しあい,互いの連携を強めていくための最初のステップであった。今後は,協議会の定期的な活動が必要になる。
相談内容の多様化に対して,提供するサービスも多様化すべきであろう。いくつかあげてみる。
相談の増加に対処するためには,学生の問題が深刻化する前に,何らかの予防を考えることも大切である。
99年1月には,駒場キャンパス近くで学生による傷害事件が発生し,95年のオウム真理教事件では,東大の学生が深くかかわっていた。また,最近は,カンニングや万引きなど,駒場の学生のネガティブな側面がマスメディアにとりあげられている。大学生のモラル低下やメンタルヘルスの悪化は,なにも駒場キャンパスだけのものではないが,東京大学が社会から注目されていることは事実である。こうした問題に対応するひとつの方法はクラス担任の充実であるが,駒場のクラス担任は形骸化している。筆者が講義中におこなった調査によると,「クラス担任と一度も話をしたことがない」と答える学生は88%にも達している。それでは学生は教官と接触したくないのかといえば,そうではない。84%の学生は「学生と教官の交流をもっと欲しい」と望んでおり,67%の学生は「困ったときに教官や職員に相談できる場がほしい」と答えている。学生は教官との交流を望んでいるのである。
駒場学生のメンタルヘルス(こころの健康)を支援するために,われわれ教官はどう対応すべきであろうか。
クラス担任制度には,教官の間でも賛否両論がある。「旧制高校の遺物である。三層構造で多忙化した教官の負担をこれ以上増やせない。とくにこれまで外国語部会に過重負担がかかってきた」といったネガティブな意見もある。これまでの形骸化したクラス担任制度は見直しが必要である。外国語部会の負担を減らすには,「基礎演習」や「基礎実験」の担当教官が,クラス担任を兼ねる方法がある。とくに基礎演習の担当教官は,1学期間,20名の学生と密に接し,学生の顔と名前を覚えるようになる。場合によってはクラスコンパに呼ばれたりもする。すでに実質的なクラス担任になっているのであり,これがクラス担任に移行したところで,それほどの負担増も感じないだろう。ぜひこれを活用すべきである。さらに,クラス担任の教官に対して,後述のように,学生との接し方のノウハウを提供したり,コンサルテーションをおこなうなど,一定の支援をおこなえば,クラス担任制度はそれなりの効果があがるのではなかろうか。
クラス担任に加えて「アドバイザー教官」という制度も考えられる。これは,教官の有志が,自発的にアドバイザーとなり,学生の相談にのるものである。他の大学ではすでにおこなわれて,一定の成果が上がっている。例えば,そうした教官は,「オフィスアワー」を設けて,週に2時間程度の相談時間を設ける。アドバイザー教官の名前・相談日・相談場所などの情報は,学生相談ニュースや教養学部報に掲載される。駒場でも,すでに前期課程のオフィスアワーを設けている先生もおられるので,それを少し拡大していただければよい。例えば,筆者は前期課程の授業のオフィスアワーを開いているが,中にはメンタルヘルスの相談にやってくる学生もいる。そのうちの何人かは長期的な相談になる。もしアドバイザー教官の制度ができれば,筆者もぜひ担当してみたい。もっと言えば,欧米の大学のように,TAを活用したチュートリアル・システム(個別指導の体制)も可能かもしれない。
学生相談の実をあげるためには,教官・職員に対する学生相談の知識の普及も欠かせない。学生が最も頻繁に接するのは,授業をおこなっている教官であり,窓口で応対する事務職員であるからである。事務職員のさり気ない心遣いが学生のこころをなぐさめ,励ましを与えることは多い。そこで,例えば学生相談所が中心となって,駒場キャンパスの教職員を対象として,学生との接し方やメンタルヘルスについての研修会や講習会を開いてはどうだろうか。また,上で述べたように,クラス担任を支援するために,学生との接し方のスキルやノウハウなどの研修会があるとよいだろう。また,教職員がクラスの学生や授業などで対応する中で困ったことがあれば,その相談にのりアドバイスをするようなコンサルテーションができないだろうか。こうした活動は,後に述べるファカルティ・デベロップメントの一部にもなろう。
以上をまとめると,学生相談の三層構造ができあがる。第一層はクラス担任であり,第二層はアドバイザー教官,第三層が学生相談所などの相談機関である。これまでは,クラス担任と相談機関の二層構造であったが,クラス担任が形骸化していたため,実質的には相談機関だけの一層構造でしかなかった。もし,今後,三層構造ができあがれば,きめ細かい相談が可能であろう。つまり,学生と教官の相性もあるので,ひとつの層だけでは,ひとりの学生の悩み事がすくい上げられないこともあるだろうが,3つの層があれば,どれかの層ですくい上げられるだろう。もちろん,これらの3つの層がうまく連携できるように,上で述べた研修会・コンサルテーション・連絡会が必要であろう。そうした調整の仕事も学生相談所の任務となろう。
図:学生相談の三層構造
学生のモラル低下やセクシュアルハラスメント問題にみられるように,大学のメンタルヘルス対策は社会的な要請でもある。例えば,平成12年度から発足する「大学評価機関」は全国の大学を定期的に評価することになるが,そこでは,学生による大学への評価,学生相談の充実度やメンタルヘルスへの配慮などが評価ポイントになるだろう。また,大学におけるセクシュアル・ハラスメント対策についても,文部省のガイドラインが作られるなど,大学としての対応が迫られている。これについては,昨年から苦情処理に関するワーキンググループが作られ,それにもとづいて東京大学ハラスメント相談所ができるようである。
東大の学生相談に携わってこられた保健センターの磯田雄二郎先生は,総長直属の「メンタルヘルス企画室」を設けるか,「メンタルヘルス担当の副学長」を任命することを提案している(東京大学学生相談所紀要11号)。これまで東京大学では,身体の健康については,全学的かつ組織的に設計され実施されている(毎年,教官も学生も定期健康診断がある)のに対し,心の健康についてはこのような対応がなかった。東大のメンタルヘルス対策は,事例レベルの対応にとどまり,行き当たりばったりの出たとこ勝負にとどまっているのである。しかし,大学の基本的役割は「教育」と「研究」だけでなく「人間形成」も含まれる。そこで,真剣に,メンタルヘルスということを全学レベルでシステマティックに設計し,一貫した方針を立てて実施する機関が必要となる。それが企画室ないし副学長である。企画室ないし副学長は,本郷・駒場・柏という3つのキャンパスでのメンタルヘルス対策を統合し,また,全学の保健センター・学生相談所・留学生センターという機関の間の調整をはかる。さらには,全学レベルのメンタルヘルスのグランドプランを設計する。また,いろいろな事件がおこった場合は,危機管理を組織的におこない,調査したり,マスメディアへの対応をおこない,予防対策をたてる。
法学部は,平成9年から「法学部学習相談室」を自前でスタートさせた。法学部は大教室の講義が中心なので,学生が教官に気軽に相談できるように作られたという。専任助手1名と非常勤心理相談員2名が運営し,法学部の学生に対して,学習・受験・進路・生活などの相談に応じ,深層心理面接はおこなわないという。このような学習相談室を各学部に設置することを提案するのは本郷学生相談所の石橋泰氏である(東京大学学生相談所紀要11号)。たしかに考えてみると,学習相談室は駒場キャンパスにこそ必要なのではなかろうか。前期課程は,高校までの学習とは質的な違いがあり,とまどう学生も少なくない。また,駒場の教育理念であるリベラルアーツは,もともと個別指導と人格教育を大切にする思想である。だから,リベラルアーツを補完するものとして学習相談室があってもおかしくない。たしかに駒場の進学情報センターでは,すでにこのような学習相談をおこなっているが,センターの本来の機能はやはり進学振り分けにあるから,センターの中に新たに「教養学部学習相談室」が開設されるとよいのではなかろうか。
ファカルティ・デベロップメント(教職員の自己啓発活動)は,欧米の大学では一般的であり,日本でも私立大学を中心にかなり普及してきた。具体的にいうと,ファカルティ・デベロップメントの組織は,教官に対して,教育方法について情報提供したり,教育スキルを研修したりといったサポートをする。筆者が前々から思っていることだが,東京大学には,教官の教育活動をサポートするような組織が必要である。こうした組織がないと,いつまでたっても東大の授業はよくならないし,授業に対する学生の不満はなくならない。平成12年度から発足する「大学評価機関」でも,大学のファカルティ・デベロップメントへの取り組みを評価するようだ。ファカルティ・デベロップメントは,もともと教育面での対策であるが,メンタルヘルス対策としても重要な意味を持ってくる。以下,メンタルヘルス対策としてのファカルティ・デベロップメント活動を考えてみたい。
以上提案したものは,筆者個人の夢物語であり「絵に描いた餅」にすぎない。ただ,慶應義塾大学や国際基督教大学といった,学生の満足度の高い大学では,実際に,このようなことをおこない,学生のメンタルヘルスをきめ細かく支援している。また,独立行政法人化や大学評価機関など将来の大学の変化に備えて,改革の設計図を引いておくことも無駄ではないだろう。学生相談所運営委員のひとりとして,この中のひとつでも実現するように努力していきたい。
96年1月,『現代教育論』の講義時に,文科系1・2年生178名を対象に,匿名で,本調査をおこなった。駒場キャンパスの管理についての質問であり,13項目からなる。
4:全くそう思う,
3:ややそう思う,
2:あまりそう思わない,
1:全くそう思わないの4点尺度で評定を求めた。
因子分析により4因子が抽出された(表1)。
第1因子「late specializationと進学振り分け制度」についてみると,まず,ポジティヴな側面(項目1)への肯定率は79%である。ネガティヴな側面の中で,肯定率が最も高いのは,項目4の55%である。科類別にみると,文Ⅲにおいて,ネガティヴな側面に対する肯定率が高い。なお,項目4と5は,自宅生よりも非自宅生のほうが,有意に高く肯定していた。
第2因子「駒場キャンパスの学生管理」の結果は明確である。8割以上の学生が「駒場キャンパスは管理が緩やかでのびのびしている」「教官が干渉しないので気楽」「クラス担任と話したことがない」と答えたのに対し,「管理がきびしい」と答えたのは5%にすぎなかった。
第3因子「学生同士のネットワーク」の肯定率は,情報を伝えるネットワークについては51%,困ったときに助け合うネットワークについては23%である。
第4因子「教官との交流の要望」については,84%が「教官との交流がもっとほしい」,67%が「困ったときに教官や職員に相談できる場がほしい」と答えている。
同時に,「あなたの人づきあいの中心をなすのは,次のうちどれですか。サークル・クラス・学外の人」と聞いたところ,サークル=52%,クラス=43%,学外の人=6%となった。駒場の学生の友人関係は,半数がサークル中心,半数がクラス中心である。このように,クラスの人間関係は,駒場の学生にとってきわめて重要である。
しかし,駒場で「クラス担任と一度も話をしたことがない」と答える学生は88%にも達し,クラス担任制度が形骸化していることを示している。そこで,84%の学生は,学生と教官の交流をもっと欲しいと望んでいる。
とくに,「困ったときに教官や職員に相談できる場がほしい」と答える学生は3/2に達している(67%)。このことは,駒場キャンパスにおいて,学生は学生相談所に期待していることを示している。
駒場キャンパスの管理は非常に弱い。むしろ放任に近い。そのポジティヴな側面(のびのび試行錯誤ができる・教師に干渉されない)に満足している学生は多い。しかし,ネガティヴな側面もある。第1は,late specializationによる進路の中途半端さへの不安や,進学振り分けによる圧迫である。これは,文Ⅰや文Ⅱよりも文Ⅲで強い。第2は,教官と学生の交流の少なさ,クラス担任制度の形骸化である。88%の学生が「クラス担任と一度も話したことがない」と答えているのは驚くべきことである(表1項目8)。第3の問題点は,学生同士のネットワークが,情報中心(おそらく試験情報が主であろう)のドライなものとなり,助け合い意識が乏しいことである。以上のような,駒場キャンパスのネガティヴな側面が,カルト宗教につけこまれるスキを作るのであろう。駒場キャンパスが新興宗教の草刈り場になっていることは,以前から有名である(週刊朝日1992年10月2日号)。
表1の第4因子からわかるように,学生は教官と交流したいという切実な要望を持っている。これに応える努力を教官はしなければならない。1993年に新設された「基礎演習」は大きな改善であろう。今後は,基礎演習の担当教官が,クラス担任を兼ねることも考えるべきである。同時に,駒場キャンパスの学生にとって,学生相談所の果たす役割が大きいことも明らかになっていくだろう。
96年1月,『現代教育論』の講義時に,文科系1・2年生178名を対象に,匿名で,本調査をおこなった。学生相談所についての質問であり,5項目からなる。4:全くそう思う,3:ややそう思う,2:あまりそう思わない,1:全くそう思わないの4点尺度で評定を求めた。
駒場キャンパスの学生相談所について。
全体に,駒場学生相談所についての周知度が低いのは残念である。学生相談所のPRを組織的におこなっていく努力が必要だろう。簡単なことからいえば,インターネットのホームページなどを作ったり,相談所ニュースを発行していくことなどである。Eメールでの相談を受けつけることなども考えてよい。
それにしても,何か困ったことがあれば駒場の学生相談所に行ってみたいと答えた学生は30%もいる。単純に計算しても,潜在的なニーズは7000名×30%=2100名に達するのである。現在,駒場の学生相談所には相談員が1名しかいない。1名で7000名の学生に対処しなくてはならないのである。気の遠くなるような話である。学生相談所の人員の充実を強く訴えていく必要がある。
表1 駒場キャンパスと学生管理に対する意見
質問項目 | 全体 | 文Ⅰ | 文Ⅱ | 文Ⅲ |
---|---|---|---|---|
N=178 | n=54 | n=29 | n=89 | |
1 駒場キャンパスでは,専門を決めるまでに,いろいろ試行錯誤ができてよい | 79 | 78 | 86 | 76 |
2 駒場キャンパスは,学生の居場所がないので,住み心地がよくない | 38 | 44 | 38 | 35 |
3 学部部学科ごとで入試を行い,進学振り分けを廃止したほうがよい | 35 | 20 | 21 | 48 |
4 駒場キャンパスでは,専門が決まっていないので,中途半端で不安である | 55 | 39 | 35 | 71 |
5 駒場はできるだけ急いで通り過ぎて,早く本郷に行きたい | 24 | 26 | 24 | 24 |
質問項目 | 全体 | 文Ⅰ | 文Ⅱ | 文Ⅲ |
---|---|---|---|---|
6 駒場キャンパスは,管理が緩やかでのびのびしている | 88 | 94 | 86 | 87 |
7 駒場キャンパスは,中学高校のように教師が生徒に干渉しないので気楽だ | 83 | 83 | 66 | 88 |
8 駒場キャンパスの「クラス担任」と一度も話をしたことがない | 88 | 91 | 79 | 88 |
9 駒場キャンパスは,管理がきびしい | 5 | 2 | 0 | 8 |
質問項目 | 全体 | 文Ⅰ | 文Ⅱ | 文Ⅲ |
---|---|---|---|---|
10 駒場キャンパスには,困った時に支え合う学生のネットワークができている | 23 | 22 | 21 | 23 |
11 駒場キャンパスには,情報を伝え合う学生のネットワークができている | 51 | 59 | 48 | 48 |
質問項目 | 全体 | 文Ⅰ | 文Ⅱ | 文Ⅲ |
---|---|---|---|---|
12 駒場キャンパスでは,教官と学生の交流がもっとほしい | 84 | 89 | 86 | 80 |
13 駒場キャンパスで,困ったときに教官や職員に相談できる場がほしい | 67 | 63 | 76 | 64 |
質問項目は,各因子の因子負荷量の高い順に並べかえてある(因子負荷量は省略)。項目番号は,質問紙の番号ではなく,上から順に便宜的につけたものである。肯定率は,「全くそう思う」と「ややそう思う」と答えた人の割合(%)を示す。「検定」は,文Ⅰ・文Ⅱ・文Ⅲの間の分散分析の結果を示す。 *:p<.05 **:p<.01
駒場キャンパスが新興宗教の草刈り場になっていることは,以前から有名である(週刊朝日1992年10月2日号)。
95年にはオウム真理教事件がマスメディアをにぎわしたが,こうした事件の背景には,大学の前期課程教育(一般教育)との関係が指摘された。例えば,新聞では,「このような事件がおこるのは,大学が専門化に走り,一般教育がなおざりにされているからだ」といった意見が強く見られた。一方,これに対して,「駒場のような前期課程教育のキャンパスは,レジャーランド化し,学生は居場所がないので,心の拠り所を求めて宗教に走る。前期課程教育の廃止こそが,一番のカルト宗教対策だ」といった正反対の意見も出た。
このような状況において,当の駒場の前期課程教育の学生はどのように考えているのであろう。われわれはこれについて調査してみることにした。
95年10月,『現代教育論』の講義時に,学生1・2年生約300名を対象に,「なぜオウム事件がおこったか,オウム事件や警察やマスコミの対応をどう思うか,なぜ東京大学の出身者が事件をおこしたか,大学はカルト宗教の布教に介入すべきか」などについて自由記述を求めた。
予備調査の記述をまとめ,20項目の質問項目を作った。96年1月,『現代教育論』の講義時に,文科系1・2年生178名を対象に,匿名で,本調査をおこなった。4:全くそう思う,3:ややそう思う,2:あまりそう思わない,1:全くそう思わないの4点尺度で評定を求めた。
因子分析により4因子が抽出された。以下,表において,各因子ごとに肯定率をみていく。
第1因子「オウムに対する社会の対応」についてみると,91%がオウムへの怒りを感じている(項目2)。約7割の学生は,オウムに対して批判的・嫌悪的であり,破防法も仕方がないとしている(項目1,3)。一方,約3割の学生は,オウムに対して同情的・留保的態度を示し,破防法に慎重である(項目5・6・7)。科類別にみると,文Ⅲが最も批判的であり,文Ⅰが最も同情的である。
第2因子「オウム事件の原因としての教育」の肯定率は,日本の教育全体の欠陥59%,大学教育の責任42%,駒場の教養教育の責任15%であった。これに対し,教育の責任ではないという意見(項目20)への肯定率は71%である。
第3因子「オウムの信者」についてみると,信者を犠牲者とみる同情的な意見が強く(項目11),批判的な意見は弱い(項目15)。「自分とは関係ない」とする意見(項目14)は弱い。
第4因子「カルト宗教対策」についてみると,大学はもっと積極的に介入すべきとする意見(項目16)が69%なのに対し,介入すべきでないとする意見(項目19)は27%である。
オウム事件に対しては,批判的・嫌悪的な学生が7割,同情的・留保的な学生が3割というところである。
科類別にみると,文Ⅲが最も批判的であり,文Ⅰが最も同情的である。
駒場キャンパスの管理は非常に弱い。むしろ放任に近い。そのポジティヴな側面(のびのび試行錯誤ができる・教師に干渉されない)に満足している学生は多い。しかし,ネガティヴな側面もある。第1は,late specializationによる進路の中途半端さへの不安や,進学振り分けによる圧迫である。これは,文Ⅰや文Ⅱよりも文Ⅲで強い。第2は,教官と学生の交流の少なさ,クラス担任制度の形骸化である。われわれのアンケートでは,88%の学生が「クラス担任と一度も話したことがない」と答えている。第3の問題点は,学生同士のネットワークが,情報中心(おそらく試験情報が主であろう)のドライなものとなり,助け合い意識が乏しいことである。
以上のような,駒場キャンパスのネガティヴな側面が,新興宗教の草刈り場になったり,カルト宗教につけこまれるスキを作るのであろう。