こちらに来て、イギリスについて考えることが多く、他の人はどう考えているのだろうと思って、いろいろなエッセイを読みました。といっても、仕事の合間に読むので、多くは読めません。また、ロンドンで日本語の本を買うと、日本の2倍の値段になりますので、たくさん買うわけにはいきません。ただし、一度買った本はじっくりと大切に読みます。どれも面白いものでした。
1)林望『ホルムスヘッドの謎』『イギリスはおいしい』『イギリスは愉快だ』
2)木村治美『黄昏のロンドンから』
3)安部悦生『ケンブリッジのカレッジライフ』
4)田中芳樹・土屋守『イギリス病のすすめ』
林望氏はかなりの有名人ですし、人との話にもよく出てくるので、ぜひとも読んでみたいと思っていました。そこで、ロンドンで以下の3冊を買って読んでみました(いずれも文春文庫)。
『ホルムスヘッドの謎』
『イギリスはおいしい』
『イギリスは愉快だ』
リンボー先生は、ロンドンとオクスフォードとケンブリッジに長く住んで、日本文学の書誌の研究をした学者です。さすがにイギリスのことをよく知っていて、いろいろな面からイギリスを見ています。エッセイとしてはたいへん上質で名文であり面白いのです。
しかし、読んでみて、どれも首をかしげるものばかりでした。ちょっと列挙してみましょう。
林望氏の手にかかると、イギリスのことがすべてポジティブになり、日本のことがすべてネガティブになってしまいます。ひいきの引き倒しに思えて仕方がありません。
林望氏はとても幸運な人なのだと思います(『イギリスは愉快だ』のあとがきを読むと、一層そう感じます)。リンボー先生のポジティブ幻想を、すべての日本人のイギリス体験に一般化できるとは思えません。私はまだ3ヶ月半しか住んでいないので、まだ断定はできないのですが。
以前の「ロンドン通信」に木村駿先生の追悼文を載せました。この8月に、群馬大学名誉教授の木村駿先生が亡くなられました。木村駿先生は、1974年に、私と同じく、ロンドン大学の精神医学研究所のアイゼンクのもとに留学されました。
木村駿先生の奥様が木村治美さんです。木村先生のロンドン留学に同行した奥様が書かれたエッセイ集が『黄昏のロンドンから』という本です(1976年刊、今は文春文庫)。この本は、多くの人に読まれ、反響も大きく、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したそうです。その後、木村治美さんは、臨時教育審議会の委員をしたり大活躍されています。ホームページでみたら、「エッセイストグループ」を主催されているのだそうです。
木村先生への追悼の意味もあって、ロンドンで奥様の『黄昏のロンドンから』を買い求めて読んでみました。15年ほど前にも手にとったことがありましたが、ロンドンに来るまではすっかり忘れていたのでした(ロンドンに来るまでは書いている内容がピンと来なかったからです)。
一読して「なるほど、そのとおり」と思うことばかりでした。この本を読んだ状況は、10月に入り寒さが押し寄せてきて、カゼ気味となった時期でした。「本でも読んで、少し体を休めよう」と思って買って読んだのでした。そしたら、カゼのダルさも忘れて、面白くて一気に読んでしまいました。おかげで少し元気になった気がします。知り合いの先生の奥様の書いた本だからこう言うのではありません。私のロンドンでの生活を代弁してくれるような内容だったからです。
ひとことでいうと、ロンドンのポジティブな部分とネガティブな部分をはっきりと書いているのです。ポジティブな面とは、福祉国家としてのイギリスや、文化・科学のレベルの高さ、自由と規律の伝統などについてです。
問題は、ネガティブな部分です。どうも、日本では、イギリス社会の悪口を書くのはタブーのようなところがあります。ネガティブな部分について書くと、どうしても階級制や移民や人種の話に触れざるを得ないからです。また、せっかく苦労してイギリスに来た人が、ネガティブな部分を宣伝して、足下を崩すようなことをするわけがありません。せっかく苦労して来たのだから、他の人には「イギリスはとてもよかった」と宣伝したくなるのは当たり前です。
その意味で、木村さんのこの本は、当時、「掟破り」だったに違いありません。この本は、イギリスのネガティブな部分もきちんと隠さずに書いています。イギリスの商業システムや、製品、教育のシステムなどについて、福祉社会のネガティブな面、いわゆる「英国病」を浮き彫りにしていきます。ロンドンに長期滞在した日本人の多くは、このような体験をするのではないかと思います。とくに東京に住んでいる人は強くそう感じるのではないでしょうか。それを素直に書いてあります。この本は1976年に出たのですが、その26年後の今でも、私は同じような感想を持ちます。私の「ロンドン通信」でも、これまで、イギリスの商品の少なさ、物価の高さ、地下鉄や列車などの交通システムの信頼性のなさ、機械の故障の多さなどを少しずつ書いてきました。木村さんの本は、そうしたイギリスのネガティブな側面を正面から論じています。それほどイギリスは26年前から変わっていないのでしょう。
文章はとても上手なので、飽きません。この本が反響が大きく賞をとったというのもうなづけます。
林望氏のポジティブなイギリス論を読んで首をかしげることばかりだったのですが、木村さんの本を読むと「本当にそうだ」と首肯することばかりでした。誰でもがリンボー先生のような幸運な体験をするわけではないことがわかりました。その点では安心しました。
なお、木村治美さんがこの文章を雑誌に連載した当時も『ロンドン通信』という題名だったそうです。奇しくも、私のホームページと同じ題名であり、面白い偶然ですね。
安部悦生『ケンブリッジのカレッジライフ』中公新書
経済学者の著者が、ケンブリッジ大学で在外研究をし、家族でケンブリッジ生活をした記録です。ケンブリッジ大学の教育のシステムについて、食堂での出来事について、読書や調べものをして1年間を過ごした図書館のことなどが書かれています。
ケンブリッジやオクスフォードの大学街に一度行った人は、そのすばらしさを忘れられないでしょう。研究者ならば、一度はこのような環境で研究に専念できたらと思います。そうした大学の内部からの体験記です。この本も、イギリスのポジティブな面を強調したものといえます。
田中芳樹・土屋守『イギリス病のすすめ』講談社文庫
イギリスの歴史や社会や、湖水地方やスコットランドのことなど、イギリスの入門書としてはわかりやすいと思います。田中氏は旅行者としての視点から意見を述べ、土屋氏はイギリス定住者としての視点から意見を述べていて、その対照が面白く読めます。この本も、イギリスのポジティブな面を強調したものであり、定住者の土屋氏の意見はうなづけます。ただ最後の方で、イギリス社会と比べて日本社会を批判している部分は、あまり納得できませんでした。
この本は、日本から持ってきた唯一の本であり、着いたばかりの頃は、これしか読み物がなかったので、毎日読んでいました。このため、この本にそって、イギリスを体験してみようと思いました。その意味ではよいガイドブックになりました。
イギリスについてのエッセイは、ポジティブな面を強調したものが多いのですが、実際に生活すると、ネガティブな面も見えてきます。これまでは、イギリスのネガティブな面はあまり伝えられて来なかったような気がします。 これまでの体験を総合すると、一般論として、次のようなことが言えそうです。
イギリスの科学・学問・文化・歴史・建物などを見た人は、イギリスをポジティブに見やすい。リンボー先生や安部氏のように、研究者はだいたいイギリスに満足しているようです。私の「ロンドン通信」で述べてきたように、イギリスの臨床心理学もすばらしいものです。イギリスの認知行動療法や臨床心理学は世界の最先端にあります。イギリスの臨床心理学者は、認知行動療法という武器を手にして、精神科医と対等に近い位置にいます。認知行動療法の効果を調べる研究には、政府から巨額の研究費が出ており、その中心に臨床心理学者がいます。そうした最先端の環境で、私も研究に専念できました。私の場合、「ロンドンで暮らした半年間は最も愉快な半年間だった」といえるでしょう。
イギリスの商業・交通システム・機械などを見た人は、イギリスをネガティブに見やすい。木村治美さんの「黄昏のロンドン」は、イギリスの商業システムや教育システムのレベルの低さについて述べています。交通システムや、商業システムや、イギリスの機械については、私も、毎日何かひとつはイライラすることがあり、「日本ならこんなことはないのに」と思うことが多いのです。
領域によって差がありすぎるのです。
ロンドン以外に住むと、イギリスをポジティブに見やすい。リンボー先生や安部氏は、おもにケンブリッジやオクスフォードなどに住んでおり、その地のすばらしさについて多く書いているのです。スコットランドを研究している土屋氏のように、イギリスの田舎に住んだ人は、イギリスの良さを堪能して、ポジティブに見やすくなるのかもしれません。
ロンドンに住むと、イギリスをネガティブに見やすい。木村治美さんや夏目漱石はロンドンに住んでいます。そういえば、リンボー先生も、『イギリスは愉快だ』の「ロンドンの哀しさ」で述べているように、ロンドンについてはネガティブな印象を持っています。
研究者や科学者やインテリと接した人は、イギリスをポジティブに見やすい。リンボー先生や安部氏は、おもに大学関係者と接しています。研究者のほとんどは白人です。オクスフォードやケンブリッジなど、ロンドン以外のイギリスは、典型的な白人社会です。
一般の人と接した人は、イギリスをネガティブに見やすい。イギリスの交通システムや商店や窓口で働く人と接した人は、ネガティブな印象を持ちがちです。イギリスは階級社会であり、二つの階級に分かれています。また、ロンドンは移民社会です。木村さんによると、ロンドン人口の7割は移民なのだそうです。ロンドンにいると、日本社会の均質性が実はとてもすばらしいものなのだということがわかってきます。
イギリスに短期間だけ滞在する旅行者は、イギリスのポジティブな面だけを見て帰ってくる。これは『イギリス病のすすめ』の田中氏などもそうですし、私も2年前にロンドンに来たときは、イギリスのネガティブな面はほとんど見えず、すばらしい点ばかりが印象に残りました。
半年から1年くらいの中期滞在者は、イギリスのネガティブな面が見えるようになる。木村治美さんは8ヶ月の滞在だったそうです。このくらいになると、最初の熱狂も冷めて、イギリスのあらが目につくようになります。
長期滞在者は、イギリスのポジティブな面がみえてくる。リンボー先生や『イギリス病のすすめ』の土屋氏は、長期滞在するか、頻繁にイギリスを訪れているそうです。ただし、長期滞在するからポジティブに見るようになるのか、ポジティブになるから長期滞在するようになるのか、という因果関係についてはわかりません。
カルチュア・ショックの研究によると、外国に来た人は、次のようないろいろな心理を体験するそうです。
この図式でいうと、②の有頂天期が短期滞在者、③の批判期が中期滞在者、④の統合期が長期滞在者ということになるでしょうか。
イギリスに定住して働こうと思ってきた人は、イギリスをポジティブに見やすい。『イギリス病のすすめ』の土屋氏は、イギリスで長期間働いています。南方熊楠などもイギリスに定住しようという気持ちで来て、かなりの学問的成果をあげたようです。研究者をみていても、外国に骨を埋めるような気概で仕事をしに来る人は、それなりの成果をあげるようです。そうした気概の人は、自分の住む社会をネガティブに観察している暇などはないでしょう。いずれは日本に帰らなければならないような人は、どうしても日本と比べて、イギリスのあら探しばかりするのかもしれません。
イギリスを客観的に観察しようとして来た人は、イギリスをネガティブに見やすい。夏目漱石も木村さんも、イギリスを観察しようとしています。初めからそのような動機を持ってイギリスに来たという側面もあります。また、家族について来たり、別の仕事でたまたまイギリスにやってきたという場合もネガティブに見やすくなるのではないでしょうか。
イギリスをポジティブに見るかネガティブにみるか、これが大切なのは、日本をどうするかという問題とかかわるからです。イギリスと比べて、日本をどうするかと考えてしまうわけです。
すでに漱石の時代のように、あらゆる面で日本がイギリスに劣っているという時代はとっくに過ぎ去りました。イギリス社会は、日本社会に比べて、ハイテクや交通や機械など社会全体のレベルは遅れているのに、科学や学問や文化は進んでいて、成果をあげています。日本は、社会全体のレベルは優れているのに、科学や学問や文化においては、全くイギリスに追いつけません。ノーベル賞の受賞者数を見ても歴然としています。この数年、日本人の受賞者が増えたのはたいへん心強いことですが、私のいるロンドン大学のキングスカレッジだけでノーベル賞受賞者が7人もいるのだそうです。臨床心理学をみても、イギリスと日本の差は歴然としています。
日本人はこれだけ勤勉に仕事をして、社会のレベルが高いのに、なぜ学問や科学ではイギリスに追いつけないのでしょうか。これは不思議です。イギリスに長くいる日本人の研究者と話をすると、いつもこのことが話題になります。いろいろな要因があります。
以上のような要因が考えられます。学問や科学の領域では、少しでもイギリスの環境に近づけるように努力したいものです。
リンボー先生の本は、タイトルがすばらしいです。『イギリスはおいしい』とか『イギリスは愉快だ』とか、とてもポジティブです。もし私がイギリスのポジティブな面を指摘するとしたら、『イギリスは静かだ』と言いたいと思います。
イギリスのよい点は、仕事に集中できるということです。イギリスの仕事の環境はとても静かです。雑念がわかずに、長い時間、仕事に集中できます。朝からずっと仕事をしていて、気がついたら夜になっているという感じです。じゃまが入らず、他のことに気を取られず、気が散らないので、一日中仕事をしていることもあります。
ロンドンにはもちろん大都会の喧噪があります。ロンドンの中心部の人混みはすさまじいものがあります。騒音は東京などの大都市と変わりがありません。
しかし、仕事場は静かです。研究所では人々が静かに黙々と仕事をしています。イギリスの教授の部屋を訪れてびっくりするのは、書類の山がなく、スッキリとしていることです(それだけ雑用が少ないということです)。9時に仕事を始め、5時には仕事を切り上げて帰ります。土日も完全に仕事から離れます。これは仕事時間は短かくても、それに集中できるため、成果をあげられるためではないでしょうか。イギリスでは、余計な雑音や雑用が少ないため、研究に集中できます。
イギリスでは、環境が静かなので、仕事に集中できます。感覚的な刺激が少ないので、その分、深く思索することができ、思考が内面的・論理的となります。感覚の世界の楽しみではなく、内面的・形而上学的な楽しみを味わっているのかもしれません。
ロンドンでもそうなのですから、オクスフォードやケンブリッジのような大学街ではなおさら静かでしょう。雑音や雑念や雑用にとらわれることなく、朝からずっと研究をして、気がついたら夜になっているという研究生活が何世紀も続いてきたのでしょう。イギリスの科学や学問が発展しているひとつの理由はそうした静かな環境という伝統にあるのではないかと思います。
仕事だけではなく、趣味の読書にも集中できます。不思議なことに、イギリスで本を読むと、日本で読むより楽しく感じます。本を読むと、それに集中できるので、引き込まれて時間のたつのを忘れてしまいます。こちらに来て、日本語の活字への飢えが出てきて、日本語の本を買いました。日本語の本はロンドンでは日本の2倍の値段になるので、たくさん買うわけにはいきませんが、一度買った本はじっくりと大切に読みます。日本では、本を読むときは、何か他のことをしながら読むことが多いのですが、こちらでは読書に集中できます。深く集中して読めるので、楽しく感じるのです。
イギリスについてのエッセイを何冊か読みました。それについては前述のとおりです。また、歴史の本はたいへん面白く読めます。イギリスにいると、建物も美術館も博物館も歴史のことばかりですし、イギリスのツアーガイドは歴史の話をえんえんと述べます。しかし、イギリスの歴史については、意外に知りません。高校や大学一般教育の世界史では、イギリス史には、ピューリタン革命・名誉革命・産業革命など、「革命」ばかり並んでいるのですが、フランス史ほど生き生きとした記憶がありません。そこでイギリスの通史を探したのですがなかなかみつかりません。何とか今井宏『ヒストリカルガイド・イギリス』(山川出版社)という本をみつけて読んだのですが、これはたいへんしっかりした面白い教科書で、実に勉強になりました。この本を読み、イギリス史の全体が頭に入りました。私も駒場時代は、西洋史や西洋思想史の講義に感動して、トマス・モアとか、フランシス・ベーコンとか、ジョン・ロックの本などを買っていたことを思い出しました。今は、スコットランド史とか、アイルランド史とか、歴史の各論などに興味を持っています。
読書という楽しみは日本人の生活から消えていきつつあります。本を読むのは面倒なので、テレビやビデオといった視聴覚メディアが娯楽の主流になってきました。また、趣味の本をじっくりと読む時間は日本ではなかなかとれません。しかし、イギリスの静かな環境では、読書という行為がぴったり合います。
イギリスは静かなので、書き物にも集中できます。毎日何かを考えて書いています。3ヶ月半で相当な量になりました。書いているうちに、いろいろなアイディアがわいてきて、面白くなってどんどん書いていき、止まらなくなります。その一端がこの「ロンドン通信」となっているわけです。
イギリスに来ると、人はものを書きたくなるのではないでしょうか。イギリスの体験記や紀行文がたくさん出版されているということは、このことを物語っています。これも、イギリスの環境が静かで、人を思索的にするところがあるからです。静かなので、いろいろと考えたり、それをまとめるために文章を書いてみたくなるのです。書き物に集中できるという体験は久しぶりです。学生の時代に戻ったような気がします。『ケンブリッジのカレッジライフ』(安部悦生氏)を読んでいて、この程度の量の文章なら私もすでに書いたのではないかと思いました。
以上のように、考えたり、読んだり、書いたりといった知的な作業には、イギリスの静かな環境が向いています。外面的な生活はつまらないものでも、内面的・知的にはちっとも退屈しません。
こうした知的作業がはかどるということは、もちろん、イギリスだからというだけではなく、現在の私の状況にもよっています。言葉が通じない外国に単身赴任して、夜や休日は特にすることもなく、酒も飲まないという状況なら、イギリスでなくても作業がはかどるかもしれません。しかし、そうしたすべての要因を差し引いたとしても、あえて、作業に集中できるのは「イギリスが静かだからだ」と言ってみたいと思います。
イギリスには独特の静寂さがあります。イギリスをあちこち回りましたが、イギリスはとても静かです。音がないという聴覚的な静かさだけではなく、余計なものがないという視覚的な静かさも感じます。イギリスのデザインはとてもシンプルです。さらに、物理的な静かさもさることながら、心理的な静かさを強く感じます。
イギリスの静かさは、アカデミズムや貴族主義と結びついています。オクスフォードやケンブリッジのカレッジに入ると、とても落ち着いていて静かです。イギリスの田舎で印象的なのは、貴族の城や家です。貴族が住んでいた城や家を見学することができるのですが、たいへん興味深いものです。とくに、当時の貴族が読んでいた書籍が残っていて、「どんな本を読んでいたのだろう」とタイトルをみていると時間のたつのを忘れます。
夏目漱石は、帰国前にスコットランドのピトロッホリを訪れたそうです。私もピトロッホリを訪れる機会がありましたが、この地は静かでのどかでした。ノイローゼ状態だった漱石も、この地に来てだいぶ癒されたのではないでしょうか。湖水地方やスコットランドの山や荒野に行くとその静寂さには驚かされます。音だけではありません。視覚的にも静かです。日本の観光地にあるような看板もないしボートもありません。ナショナルトラスト運動の賜でしょうか。
絵画をみても、イギリスの絵画は、人物画や風景画のような静かなものが多いと思います。フランスの絵画のような、感覚や感性を表現した動的な絵とは違います。また、イギリスの映画は、背景音楽が少なく、聴覚的に静かなものが多い気がします。
イギリスが静かだということは、気を引くものが少ないということです。テレビもあまり面白くありませんし、配達される新聞もありません。イギリスは物価も高いので、いろいろな物を買って楽しむということもできません。感覚的な雑音や妨害が少ないので、作業に集中できるわけです。
感覚的な楽しみを求めないということでしょう。イギリスの食べ物がまずいことは誰も否定しないでしょう。おいしいものを食べたいという欲がないというか、味覚的な快を求めないというか。
イギリス人は感覚的な快を求めないので、感覚が未発達であり、芸術はあまりぱっとしないといったら言いすぎでしょうか。芸術(文学や美術や映画)の面では、イギリスはフランスにかなわないでしょう。
イギリスの娯楽は、感覚的なものではなく、内面的・知的なもののようです。本を読むことは、その代表です。電車の中ではかなりの人が本を読んでいます。書店もたくさんあります。書店は、マンガとかCDとかDVDなどの多角経営をせず、本を売っているだけです。それだけ本が売れるということなのでしょう。
イギリス人の楽しみは次のようなものです。本を読むこと、社交(人とおしゃべりしたり、パブでしゃべったり、パーティを開いたりすること)、家庭(ガーデニングを楽しんだり)、旅行に行くこと、など。
イギリス人の娯楽が感覚的でないということは、社会・経済が遅れていることを示すのかもしれません。日本でも、経済的に貧しかった頃は、感覚的な快ではなく、読書のような思考的・内面的な快を求めたり、社交を楽しんでいました。しかし、経済的に豊かになるにつれて(とくにバブル経済以降)、読書や社交の楽しみを捨てて、感覚的な快を求めるようになりました。本を読むのは面倒なので、テレビやビデオといった視聴覚メディアが娯楽の主流になりました。また、社交は気をつかうので避けるようになり、自分ひとりや自分の家族だけで楽しみを求めるようになりました。今では、日本人の楽しみは、視聴覚(テレビやビデオなどをみる)や、味覚(うまいものを食べたり、酒を飲んだり)といった感覚的な快を求めることになりました。これは日本の社会・経済が進んでいることも示しています。例えば、視聴覚メディアを支えているのは、日本のハイテクやエレクトロニクス機器です。また、消費社会化や情報化が進んだので、対人関係や地域社会に頼らなくても生きていけるようになりました。
イギリス人はお金がないので、日本のような感覚的娯楽の段階に至っていないということかもしれません。イギリスでは、テレビは面白くないし、ビデオの大規模レンタル店もないし、食べ物はまずいので、これらのことが楽しみにはならないのです。そのため、依然として、読書や社交が楽しみになっています。
イギリス人が感覚的な娯楽を求めないという状況は、単に経済的なことだけではなく、しつけの面からも来ているようです。イギリスは子どもを甘やかさない文化だといわれます。マンガ本を読んだり、携帯用のゲームをしている子どもを見かけたことがありません。イギリスには子供用のアミューズメントパークがほとんどありません。パリにはディズニーランドがありますが、ロンドンにはありません。博物館とか科学博物館などが子どもの娯楽のようです。日本だと、子どもを博物館などの教育施設に連れて行っても面白がらないので、どうしてもディズニーランドのような感覚的な娯楽施設に連れていって甘やかせてしまいます。イギリスではそのような甘やかしをしないで、昔ながらの教育施設に子どもを連れていくようです。
イギリスの観光地では、ツアーのガイドはほとんど歴史のことばかり話します。「ここは何年に誰が何をした場所です」という話をえんえんとします。イギリスは歴史で食っている国です。イギリス以外の国は歴史の話だけでは持たないでしょう。例えば、アメリカは新しい国なので、歴史の話はできません。アメリカの観光地のガイドは、「ここではこれがうまい。この店ではこれが安い。この人はこうやって大もうけした」といった話をえんえんとします。アメリカは感覚的な快を積極的に求めます。
これに対して、イギリスは、物事の背後にある歴史や意義を知ることに快を求めます。つまり、イギリスは、感覚的な快ではなく、内面的・知的な快を求めます。目に見えないもの、耳に聞こえないもの、心の内面に価値をおくといってもいいかもしれません。