『アメリカこころの臨床ツアー アメリカ:精神医学・心理学臨床施設の紹介』丹野義彦
星和書店、2010年刊
本書は、本書は、アメリカの7大都市の大学めぐり・病院めぐりの旅行ガイドブックです。
ニューヨークやサンフランシスコなどの7大都市をとりあげて、大学キャンパスを散歩し、臨床心理学や精神医学の臨床施設の歩き方を解説しています。実際に足で稼いだ情報満載。メトロポリタン美術館から「ミシュラン」三ツ星のハーバード大学まで…、従来のガイドブックとは一味違うアメリカを見せてくれる。アメリカの医学や心理学の実態、歴史などの入門書としても楽しめる一冊。
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本書はアメリカの7都市をめぐり、医学・心理学散歩を試みたものです。前著『ロンドンこころの臨床ツアー』のアメリカ編です。観光や研修や学会などでアメリカを訪れる方や、アメリカ留学を考えている方に手に取っていただければ幸いです。
取りあげたのは、東海岸の5都市と西海岸の2都市です。地図0をご覧ください。
アメリカの東海岸で、日本から直通便が出ているのはニューヨークとワシントンDCだけです。便数も多いニューヨークからツアーを始めましょう。ニューヨークを起点として、ボストン、フィラデルフィア、ボルチモア、ワシントンDCを回ります。それから、西海岸に飛んで、ロサンゼルスとサンフランシスコを回ります。
私は2002年にロンドン大学で臨床心理学の研究をおこない、心理学や精神医学の専門家の話を聞きました。彼らがつとめるイギリスの大学や病院や研究所を訪ねたのですが、それはたいへん面白い体験であり、発見の連続でした。こうして大学めぐり・病院めぐりを始めるようになり、前著『ロンドンこころの臨床ツアー』をまとめました。それ以来、アメリカについても、旅行するたびに、時間を見つけては、大学や病院を訪ねました。
アメリカは大学教育や研究の中心であり、医学や心理学についても、たくさんの施設があります。しかし、アメリカのことは意外に知られていないのです。
例えば、旅行ガイドブックには、ニューヨークの地下鉄86丁目駅で降りるとメトロポリタン美術館があると書かれています。しかし、その2つ隣の駅で降りて歩くと、野口英世が活躍したロックフェラー研究所やニューヨーク病院やコーネル大学医学校があることは書いてありません。2駅乗ればこうした施設が見られるとわかれば、「ついでに寄ってみよう」という気にもなるでしょう。
また、ニューヨークの国連本部を訪れる人は多いのですが、そこからしばらく歩くと、ニューヨーク大学医学校やベルビュー病院が見られることを知る人は多くありません。
また、旅行ガイドブックには、ボストンの地下鉄グリーン線のミュージアム駅でおりると、ボストン美術館があると書かれています。しかし、その次の駅には有名なハーバード大学医学校やロングウッド医学学術地区があることまでは書いてありません。
また、サンフランシスコに行ってゴールデンゲート公園を見学する人は多いでしょう。ところが、公園のすぐ南に広がっているカリフォルニア大学サンフランシスコ校のパルナサスキャンパスを見学する人は少ないでしょう。そういう情報がないからです。
もし、こうした情報がまとめてあれば、アメリカに行って観光名所を見たついでに、「臨床施設を見たい」と思う方も出てくるでしょう。それをきっかけに、アメリカの医学や心理学に触れて、それを本格的に学ぼうという方が出てくるに違いありません。そこで、アメリカの医学や心理学の訪問ガイドブックを作ってみることにしました。
私はアメリカに長期滞在した体験はありませんが、学会や観光で回った際に情報を集めました。旅行ガイドブックには載っていない情報を私自身が足で集めました。そして、「世界の臨床心理学の研究施設を訪れる」と題するサイトを作り、それをもとに、星和書店の雑誌「こころのりんしょうa・la・carte」に連載しました。それがかなりの量になったので、精選し加筆したのが本書です。
本書は、アメリカの大学や病院を見学する際に役立つ情報をまとめてあります。その施設の地図、交通手段(最寄りの駅、行き方)、住所、ホームページのアドレス、写真、概要、歴史、見どころ、どんな人がいるか、などの情報をまとめました。
地図は、地理的なイメージを頭に入れていただくための概略図であり、正確な地図ではありません。道路、建物、方角、縮尺などはデフォルメされており、正確なものではありません。また、できるだけ写真を入れるようにしました。シロウトが小さなデジタル・カメラで撮った拙い写真です。ぜひご自分の目で確かめることをお勧めします。
情報はできるだけ最新のものにするように心がけましたが、その後変更があるものもあります。ホームページのアドレスは頻繁に変わります。博物館などの開館時間や最新の情報については、ホームページや旅行ガイドブックなどでご確認ください。
アメリカを旅行するためには、自動車が必要だと思っている方も多いでしょう。バスを利用するのは面倒だし、レンタカーを利用するのは少し怖そうなので、アメリカ旅行は敬遠したいという方も多いでしょう。私もそうです。しかし、本書に登場する都市は、地下鉄が発達しています。主な大学や病院の多くは、地下鉄の駅から歩いていけます(ただし、ロサンゼルスは例外です)。
地下鉄は旅行者にやさしい乗り物です。バスや列車を利用するのは面倒ですが、地下鉄ならすぐに乗りこなせるようになります。英語を使う必要もあまりありません。
各章のはじめには、地下鉄の情報をまとめました。おおよその地理的なイメージを頭に入れていただくためのものです。
本書を読まれたら、ぜひ、アメリカへ行ってみてください。どんどん現地を訪れて見学してください。生きた「アメリカ入門」となるでしょう。
本書に登場する大学は約30校になり、病院は40施設近くになります。病院と大学という観点からアメリカを見てみると、これまでのガイドブックにはみられない新たなアメリカの顔が見えてきます。
日本では、観光のために大学のキャンパスをめぐるということは稀でしょう。これに対して、アメリカの大学では、良い意味で、キャンパスを観光地として楽しめます。多くの大学は、決して訪問者を閉め出さず、誰でも自由に出入りできます。大学のキャンパスはきれいに手入れされ、建物や庭園を美しく整備して、訪問者を歓迎します。お金をかけて学内の美術館や博物館を整備し、観光スポットとして無料で開放しています。「学外の方はウェルカム」という姿勢です。大学のホームページには、キャンパスの散策をするためのコースも紹介されています。キャンパス内を歩いているととても楽しいのです。実際にキャンパスをたくさんの観光客が歩いています。大学側も、入学者を確保したり、社会の目を引きつけるために、キャンパスの観光価値を高める努力をします。
大学のキャンパスは、観光地として高く評価されています。例えば、観光旅行ガイドブックの「ミシュラン」をみると、ハーバード大学やエール大学のキャンパスに★★★(三つ星)がついています。★★★は最高の評価であり、例えば、自由の女神といった世界遺産や、エンパイアステートビル、ホワイトハウスといった観光名所と同格なのです。本書に登場する大学でも、ミシュランで★★(二つ星)と評価されているのはカリフォルニア大学バークリー校です。また、★(一つ星)と評価されているのは、コロンビア大学、マサチューセッツ工科大学、ペンシルバニア大学、南カリフォルニア大学などです。アメリカを訪れる場合は、大学にぜひ足を運びたいものです。
病院めぐりもまた楽しいものです。ミシュランの星こそついてはいませんが、病院のホームページに院内の散策コースを紹介したり、院内に博物館を設けて無料で開放しているところもあります。ただし、アメリカでは、2001年の同時多発テロ以来、警戒が強くなり、自由に出入りできる病院が少なくなったのは残念です。
大学めぐりと病院めぐりはとても楽しいというのが本書の第1のメッセージです。
なお、アメリカを旅行する際につねに気をつけなければならないのは治安です。大都市では治安がよくない場所もあります。旅行ガイドブックやインターネットなどで、そうした情報をあらかじめ調べていくとよいでしょう。大学や病院の敷地内はだいたい安全ですが、その周辺は必ずしも安全とは限りません。安全に自信が持てない場合は、タクシーを使うとよいでしょう。
本書では、医学や心理学の歴史的な名所を巡ってきましたが、一方で、アメリカの最先端の動きを紹介するようにつとめました。新しい動きとは以下の3つにまとめられます。
第1は認知行動療法の興隆です。
フロイトに始まる精神分析学は、アメリカでは力動的精神医学として広がり、全盛を迎えました。その中心はニューヨークの州立精神医学研究所(p.5)や、新フロイト派のホワイト精神分析研究所(p.9)であり、ボストンのハーバード大学精神科(p.67)やマサチューセッツ精神衛生センター(p.63)でした。ヨーロッパから精神分析学者が多く亡命したニューヨークは、精神分析学の世界的首都となりました。しかし、1970年頃から、力動精神医学や精神分析学はしだいに衰退しました(p.6)。
それにかわって主流の座を占めるようになったのが認知行動療法です。短時間で大きな効果が得られることが証明され、心理療法の主流となりました。前著のロンドン編でも強調したことですが、臨床心理学や精神医学では、今、静かな革命が起こっているのです。
本書では、多くの認知行動療法家を紹介しました。創始者のアーロン・ベックをはじめとして、フォア、ネズ夫妻、ハイムバーグ、ケンドール、フリーマン、ジュディス・ベックなど、フィラデルフィアで活躍する臨床家が目立ちます。日本人のパイオニアも多くはフィラデルフィアで学びました(p.82)。認知行動療法はアメリカ各地に広がっています。ニューヨークのエリス、リーヒー、ボストンのバーロウ、ホフマン、ダッティリオ、ロサンゼルスのクラスケ、リバーマン、デビソン、パデスキー、サンフランシスコのムーニョ、パーソンズ。本書は、認知行動療法家を訪ねる旅でもあります。
第2の新しい動きは、エビデンスにもとづく実践の定着です。
これまで臨床家の勘と経験だけに頼っていた臨床実践が、客観的に実証されたエビデンス(科学的根拠)にもとづいておこなわれるようになりました。臨床心理学も例外ではありません。心理療法の効果を数量化する方法が考案され(p.86)、それにもとづいて心理療法のガイドラインが作られるようになりました。その中心にいたのがボストン大学のバーロウです(p.42)。彼が中心となって1993年に発表されたアメリカ心理学会のガイドラインを転換点として、アメリカの臨床心理学はエビデンス志向を強めていきます。
さらに、「キャンベル計画」(p.89)に代表されるように、「エビデンスにもとづく社会」をめざす運動は、医療だけでなく、教育や福祉などの社会政策論にまで及び、とどまるところを知らない動きとなっています。アメリカの学会を訪れるたびに、いろいろなエビデンス重視の動きが見られて驚かされます。
第3は、臨床心理学の興隆です。
アメリカの臨床心理学は、1896年にペンシルバニア大学のウィトマーが作りました(p.87)。臨床心理学者の教育では科学者-実践家モデル(実践技能の訓練と科学者としての訓練を両方大事にするもの)が大切にされます。これは、シャコウたちが1949年に開いたボールダー会議で確固たるものになりました(p.169)。ウィトマー以来100年以上がたち、臨床心理学は心理学の中心的な存在となりました。アメリカ心理学会の会員数をみると、1970年代までは、基礎心理学者(大学の研究者)が多かったのですが、現在では、基礎心理学者2割に対して、臨床心理学者6割の割合となっています。こうした変化は、社会の変化に対応したものでしょう。ストレス社会と言われるように、心の健康はどの国でも最重要課題となっています。こうした中で、宗教にかわる科学的メンタルヘルスの専門家が求められるようになったのは当然といえます。
その中心となるのがアメリカ心理学会です(p.160)。アメリカ心理学会は、アンブレラ団体(傘団体)としての性格を強め、基礎心理学者と臨床心理学者をひとつにまとめ、会員数を増やし、社会に貢献しています。何より心理学の資格制度が統一され、国家資格が実現しています。ワシントンDCにあるアメリカ心理学会の本部ビルは巨大です。
アメリカからみると、日本の臨床心理学はまだ遅れています。①日本では、精神分析学の影響が強く、まだ認知行動療法は定着していません。②エビデンスに対する理解も乏しいままです。③科学者-実践家モデルで臨床心理士を養成している大学院は少なく、国家資格も確立していません。表5-1(p.163)に示すように、日本心理学会とアメリカ心理学会は、「ケタ違い」どころか、「2ケタの違い」です。
臨床心理士に対する社会からの期待が高くなる状況の中で、日本の心理学会は、アメリカ心理学会のような積極的な事業をおこなって、資格制度を整え、社会的発言力を増していくべきだと思います。そのために、日本の心理学者は、まずワシントンDCのアメリカ心理学会のビルを見て、刺激を受けるのがよいでしょう。
ひとりでも多くの心理学関係者がアメリカに目を向けて、日本の現状を自覚していただきたいというのが本書の第2のメッセージです。
若い研究者で海外に長期留学する人が減っているということです。2009年度版の『科学技術白書』(文部科学省)によると、日本の大学や研究機関から1ヶ月以上海外に派遣された研究者は、2000年度の7674人をピークとして減り始めました。2006年度は4163名と半減しました。また、日本人学生の海外留学をみると、2000年頃までは増加傾向にあったものの、近年は伸び悩んでいます。このような傾向を、白書は研究者や学生の「内向き志向」と呼んでいます。
とくに臨床家は、個人の内面にかかわる仕事をしているので、広く世界に目を向ける機会は少ないかもしれません。しかし、世界の臨床家の仕事に目を向けて、そこから学ぶことはとても大切です。あまりに内向きすぎたために、上で述べたように、日本の臨床心理学は世界の動向から取り残されてしまいました。こうした状況を何とか変えなくてはなりません。
研究者が海外に行けない第1の理由は、財政的な援助が少なくなったことでしょう。若手研究者が海外に行きやすい財政的な環境を整えていくことが必要です。2010年にボストン大学で世界行動療法認知療法会議(WCBCT)が開かれますが(p.42)、この学会においては、日本行動療法学会、日本認知療法学会、日本行動分析学会の3学会が合同で基金を設け、30名以上の若手研究者を奨学派遣しました。このような試みが多くおこなわれることを期待します。
もうひとつ、研究者の目が海外に向かない理由として、情報不足があげられます。序文で述べたように、海外の情報は意外に少ないのです。海外の大学や病院を訪問するガイドブックがあれば、行ってみようという気になるでしょう。本書によって、ひとりでも多くの方が、アメリカの心理学や医学に興味を持っていただけることを願っています。
本書をまとめるにあたって、アメリカの学会の動向を教えていただいた坂野雄二氏(北海道医療大学)に感謝します。坂野氏は、日本の臨床心理学の国際化のトップに立って活躍しています。2002年にリノで開かれた行動療法促進学会(AABT)では、認知行動療法の指導者に紹介してもらい、多くの写真を撮ってもらいました。その多くを本書で使っています。
最後になりましたが、雑誌への連載と本書の出版を快く引きうけていただいた星和書店の石澤雄司社長と素敵な本に仕上げていただいた編集部の近藤達哉さんに深く感謝いたします。