認知行動療法を学ぼう世界の大学と病院を歩く丹野研究室の紹介駒場の授業
home世界の大学と病院を歩く15.バルセロナ(スペイン) 2007年8月14日更新

15.バルセロナ(スペイン) 2007年8月14日更新

 2007年7月にバルセロナで開かれた世界行動療法認知療法会議(WCBCT2007)に参加した。この会議は、世界から3500人が参加し、大成功に終わった。私にとって思い入れの強い会議であり、3年かけて「バルセロナWCBCTを成功させよう」キャンペーンをおこなった。日本から100名以上参加してもらうことを目標としたが、結局日本からは150人近くが参加し、大成功に終わった。私の研究室からも10名が参加して盛り上げた。この会議については、本ホームページの「国際学会の情報」で詳しく報告したので、参照いただきたい。
 国際会議の空き時間を利用して、バルセロナの臨床心理学に関連する施設を回ってみた。そうした情報は、「地球の歩き方」のような旅行ガイドブックにはほとんど載っていない。あらかじめバルセロナの地図や本やインターネットを調べて、バルセロナに出かけた。会議の日程はすべてこなし、会議前の朝と、会議後の夕方だけを利用して、大学や病院を回った。ろくな食事もとらずに歩いたので、結局、地中海料理も食べずに帰ってきた。観光地と呼ばれる場所にもほとんど行かなかった。そのかわり、「地球の歩き方」には載っていない取っておきの情報が得られた。こうして足でかせいだ情報をもとにして、帰国後にまとめ、バルセロナこころの臨床ツアーを組んだので、以下で紹介しよう。
旅行ガイドブックに書かれていないアカデミックなバルセロナである。

1. 地下鉄で回るバルセロナの臨床施設

 バルセロナは、スペイン第2の都市である。バルセロナの市街地は、碁盤の目のように規則的に作られている。地図で見ると、複雑な印象であるが、これは北東に傾いているからである。地図を45度傾けて、北西が上になるようにすると、とたんに単純になる。(現地の地図はすべて、45度傾けた単純な地図を載せているので、わかりやすい。日本の旅行ガイドブックは、北を上にした通常の複雑な地図を載せていることが多い。)  バルセロナの街は、グラン・ビア通りを境にして、南が旧市街、北が新市街に分かれる。旧市街は、北はグラン・ビア通り、南は地中海、西はモンジュィック城、東はシウタデリャ公園に囲まれた地区であり、ここに観光地が集まっている。一方、新市街には、ガウディの建築がある程度で、観光客はあまり行かない。臨床心理学の施設は、おもに新市街にある。観光客はあまり訪れないが、ほとんどは地下鉄で回ることができるので、簡単に行くことができる。
 バルセロナの地下鉄は6つの路線がある。地下鉄を利用すれば、スペイン語がわからなくても、目的地につける。バルセロナの地下鉄は、システムも単純であり、着いた日から誰でもすぐに利用できるであろう。バルセロナの臨床施設は、おもに1号線、3号線、5号線に集中している。

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2. 地下鉄1号線に沿って

バルセロナ大学中央キャンパス: 都心の緑のミクロコスモス

 地下鉄1号線のウニベルシタット駅でおりると、バルセロナ大学中央キャンパスがある。
 バルセロナ大学(ウニベルシタット・デ・バルセロナ; UBと略される)は、1450年に創設された古い歴史を持つ大学である。2005年には、創立555年を祝ったという。学生数74000人で、スペインで2番目に大きい大学である。
 バルセロナ大学のおもなキャンパスは、次の5つである。


  1. 中央キャンパス
  2. 医学部病院(ホスピタル・クリニク)
  3. ベルビチュ・キャンパス
  4. ムンデット・キャンパス
  5. ディアゴナル・キャンパス

 ここ中央キャンパスには、大学本部の他に、言語学部、哲学部、地理学・歴史学部、数学部がある。
 地下鉄の駅をおりると、グランビア通りをはさんで向かいに、大学の大きな建物が見える。キャンパスの門は開いており、建物の中に自由に入れる。
 正面の入り口を入ると、3種類のパンフレットが置いてあり、自由に取れる。第1のパンフは、バルセロナ大学を紹介している。第2のパンフは、この中央キャンパスの内部の歴史的な見所を解説している。第3のパンフは、中央キャンパスの散策コースを解説している。市民に、自由に大学の中に入って散歩してくださいというメッセージである。都会の中で、これほど開かれたキャンパスも珍しい。私は国際会議が終わってから行ったので、夜の7時頃だったが、それでも自由に中に入れた。非常に感じはよいのだが、セキュリティはどうなのだろうかと、こちらが心配してしまうほどの開放度である。
 入り口を入るとアーチ状の回廊になっていて、歴史を感じさせる。周りの彫刻は、ライトアップされている。
 正面に進むと植物園のようになっていて、キャンパス全体を緑の木が覆っている。このキャンパスは、バルセロナの都心にあり、小さなキャンパスなのだが、緑が多いおかげで、都会の喧噪を感じない。それどころか、キャンパス内の建物の間を、散策コースが巡っていて、ちょうど箱庭のようなミクロコスモスを形作っている。先ほどの第3のパンフは、そうした緑の散策コースを6部分に分けて説明してくれている。散歩コースとして楽しめる。至るところにベンチがあって、座れるようになっている。座っていると、まるで中世の回廊にいるような錯覚に陥る。トイレも自由に使えるので、旅行者にはありがたい。
 中央ビルの1階は、本部や地理学・歴史学部や銀行の窓口などが入っている。3階は数学部になっている。屋上も回廊になっていて、自由に歩ける。下の中庭がのぞけて美しい。教室の中も覗ける。教員の研究室の入り口はカギがかかっていた。

ベルビチュ病院とバルセロナ大学ベルビチュ・キャンパス

 地下鉄1号線の西側の終点、ホスピタル・ベルビチュ駅でおりる。そこには、ベルビチュ病院とバルセロナ大学ベルビチュ・キャンパスがある。
 地下鉄の駅をおりると、郊外の広大な空間である。広い駐車場の向こうに、3本の円柱のビルが見える。これが、ベルビチュ病院である。そこへ行く途中にカフェテリアがあり、レストランやトイレなどが使える。
 3本柱の建物の入り口から中に入ろう。1階は、案内所や待合室、売店、トイレなどがある。フロアに写真や絵がはってあり、自由に見られる。ここから、エレベーターで各階の診療科に上るようになっている。
 3本柱の建物を出て、少し奥に行くと、精神科のビルがある。白い直方体のビルで、少し殺風景である。私が行ったのは休日だったので、閉まっていた。その隣りの低いビルが、リハビリテーション科のビルである。新しい病棟の建物が建設中であった。
 ベルビチュ病院の隣りに、バルセロナ大学ベルビチュ・キャンパスがある。医学部と歯学部の建物が2つ並んでいる。
 病院の隣は、フェイクサ・ラルガというスポーツ施設である。ラグビー場や野球場やスタジアムなとが入っている。
 ベルビチュ病院から、自動者道路をはさんで、向かい側に、デュラン・レイナルス病院がある。外から見ると、きわめて巨大なビル群だが、半分は改築中で、奥の一部だけが病院として使われている。比較的こじんまりした病院である。カタルーニャ腫瘍学研究所が中にある。救急病院でもある。精神科はないようだ。
 近くにヘスペリア・タワーという会議センターがある。モダンな高層ビルである。このビルと、デュラン・レイナルス病院の間には、地下歩道がある。

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3. 地下鉄5号線に沿って

サン・パウ病院: バルセロナのイチオシの見もの

 地下鉄5号線ホスピタル・ド・サン・パウ駅でおりると、サン・パウ病院がある。
 サン・パウ病院は、バルセロナのイチオシの見ものである。ドメネク・イ・モンタネールという建築家の傑作として世界遺産に指定されているが、現役の病院であり、精神科や神経科・神経心理学科の建物もある。バルセロナ自律大学医学部の病院ともなっている。こうしたユニークな病院は、世界でもここしかない。
 バロセロナに来た人のほとんどは、ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂を見るだろう。この聖堂を見たら、必ずサン・パウ病院にも足を運んでいただきたい。サグラダ・ファミリア聖堂から、北にガウディ通りが出ている。この端にサン・パウ病院がある。ガウディ通りは、数ブロックしかないが、両端が別の世界遺産という驚くべき通りである。この通りを歩いて、サン・パウ病院へ行くことをおすすめする。ガウディは、はじめ、サグラダ・ファミリア聖堂から四方に放射状に伸びる道路を作りたかったらしいが、実現したのはこのガウディ通り1本だけという。ガウディ通りは、車の入れない遊歩道になっていて、静かである。ベンチもあり、カフェのテーブルもたくさん出ている。美術のオブジェもいくつか置いてある。歩いていくと、しだいにサン・パウ病院の異様な建物が姿を現す。
 ふつうの病院なので、自由に中に入れる。門を入ると、入り口に、2枚の地図が立っている。この病院の見学ルートを示したものである。このルートに沿って敷地内を歩くとよいだろう。敷地内には何カ所か地図が立っている。
 世界遺産なので、観光客も多い。普通の病院であるが、ガイドブックを手にした観光客がたくさん歩いている。病院内を巡るガイド付きツアーもあるという。歩いていたら、日本語を話す現地ガイドが、日本人観光客を案内しているのを見かけた。
 正門の建物の中にはいると、旅行者のためのインフォメーション・センターがある。病院の観光案内パンフレット(無料)が置いてある。スペイン語、カタルーニャ語、英語の3種のパンフレットである。

サン・パウ病院: 世界遺産の現役病院はここだけ

 建物を作ったのは、ドメネク・イ・モンタネールという人で、ガウディと並ぶ有名な建築家である。この病院の建物は、カタルーニャ音楽堂ともにドメネクの傑作であり、1997年に世界遺産に指定された。病院が世界遺産に指定されるのは珍しく、この病院と、メキシコの「オスピシオ・カバーニャス」、トルコの「ディヴリーイの大モスクと病院」の3つだけであるが、後二者は、現在は病院としては使われていない。現役の病院で世界遺産になっているのはここだけである。
 『ガウディになれなかった男』(森枝雄司、徳間書店)によると、ドメネクは、ガウディにライバル心を持ち、あえてサグラダ・ファミリア聖堂が見えるこの病院の設計を引き受けたという。サグラダ・ファミリア聖堂に対峙するように、病院の敷地をあえて斜めに区切って道路を造ったという。
 正式名称は、サンタ・クレウ&サン・パウ病院という名前である。これは、昔からあったサンタ・クレウ病院が、新たにできたサン・パウ病院と合併したからである。これについては、後で旧サンタ・クレウ病院のところでのべよう。
 病院の門も変わっている。オブジェも面白い。正面の建物も見事である。宗教画のような飾りがある。建物の前には、小さな池がある。
 この病院の本当のすごさは、病院の中の敷地に入ってみないとわからない。正面の建物を抜けて、中庭に出ると、そこはワンダーランドである。至る所にコーラのびんのような塔が建っている。病院と知らなければ、遊園地だと思うにちがいない。敷地内には48の建物が建っているが、いずれも奇抜である。ひとつとして同じ建物はない。ドメネクやガウディの建築様式は、「カタルーニャ・モデルニスモ」と呼ばれている。病院の敷地の中が、こんな空間になっていようとは、誰も思わないだろう。こんな病院を見たのは生まれて初めてである。

サン・パウ病院の精神科、神経科・神経心理学科

 サン・パウ病院は、普通の病院なので、白衣の医療関係者やパジャマ姿の入院患者が歩いている。敷地の北側には、新しい病棟が建設中であった。新しい病院ができたら、病院の機能はそちらに移し、ドメネクが設計した建物は、歴史遺産として保存されるという。
 精神科の病棟は、敷地の北側にある。2階建ての建物で、プレハブのような新しいチャチな建物である。この病院の他の建物とは全く違う(あるいは移転のための仮病棟のようなものかもしれない)。サン・パウ病院では、ふつうの建物のほうが逆に目立ってしまう。
 また、東側の入り口の近くに、神経科・神経心理学科の建物がある。こちらは、まさにモデルニスモの建物である。ただし、観光客は入れない。
 このビルの一角には、バルセロナ自律大学の医学部がある。バルセロナ自律大学は、医学系中心の大学である。この大学には、臨床健康心理学科、心理生物学・健康科学方法論学科などがある。臨床心理学の本場でもある。
 2007年世界行動療法認知療法会議(WCBCT2007)で、この大学から多くの人が参加して、20ほどの演題を発表していた。バルセロナ自律大学は、スペインの認知行動療法の中心のひとつであるといえる。バルセロナ自律大学には、いくつかのキャンパスがあり、このサン・パウ病院、後述の海の病院などもそうである。
 東側の入り口の巨大なビルは、教会である。教会の中は自由に入れる。この建物を見ていたら、病院の人が「この建物はドメネクという建築家が作った。ドメネクを知っていますか?」と英語で話しかけてきた。
 この病院の研究レベルは高く、研究論文の発表数ではスペインでも上位を占めているという。例えば、この病院には、コクラン計画のスペイン支部がある。コクラン計画は、エビデンスにもとづく医療の考え方によった世界を結ぶデータベースである。病院の建物は古いが、世界の医療の最先端を行く病院なのである。

サン・パウ病院の地下道: 世界3大地下通路のひとつ

 面白いのは、サン・パウ病院の建物は、地下道でつながっていることである。雨が降っても、濡れずに歩けるという。
 この地下道の中には自由に入ることができるので、ぜひ入ってみよう。敷地内の至る所に、地下道への階段がある。階段をおりるとトイレになっている。トイレを使えるのは、旅行者にとってはありがたい。
 トンネルはかなり長い。中は迷路のようになっていて、時々迷いそうになるので注意。
 地下道は、一部は病室と通じていて、入れないところもある。一部は病院の待合室のようになっている。ベンチに患者さんが待っていたりするので、ここが病院だと思い出すのである。患者さん用に飲み物の自動販売機が置いてあったりする。
 ちなみに、地下トンネルで有名なのは、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の建物を結ぶトンネルである。このサン・パウ病院の地下トンネルも相当の長さである。
 なお、これまでの体験から「世界の地下通路ベスト3」を選んでみよう。

○こころの臨床ツアー 私撰 世界の地下通路ベスト3
1.アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の地下通路
2.バロセロナのサン・パウ病院の地下通路
3.イギリスのエディンバラ大学のポッターロウ・ポート(新旧のキャンパスを結ぶタイムトンネル)

 余談になるが、東京大学駒場キャンパスの時計台(1号館)と旧学寮の間には地下トンネルがある。その排気口設備が道路に沿って並んでいる。現在は閉鎖されているが、駒場の「歴史遺産」として、ぜひ公開してほしいものである。私撰「4大地下通路」に指定されるだろう。

サグラダ・ファミリア聖堂: 世代を超える夢のシステムの実装

 地下鉄5号線のサグラダ・ファミリア駅でおりると、すぐ前がサグラダ・ファミリア聖堂である。
 ガウディ建築の最高傑作で、世界遺産に指定されている。この建物は一度見たら忘れない形をしている。砂で作った城にも似ている。
 2007年には、サグラダ・ファミリア聖堂の下を鉄道のトンネルが通ることになり、地元では、その反対運動が起こっている。インターネットなどで反対を呼びかけており、日本でも報道された。それだけこの聖堂に対する地元の人の思い入れは強い。
 アントニ・ガウディ(1852~1926年)の建築のほとんどは世界遺産に指定されている。代表作は、初期3部作(カサ・ビセンス、グエル別邸、エル・カプリチョ)、3大住宅(カサ・カルベット、カサ・バトリョ、カサ・ミラ)、グエル公園、教会建築(コロニア・グエル教会、サンタ・テレサ学院、サグラダ・ファミリア聖堂)などとされる。ガウディは、31歳で、サグラダ・ファミリア聖堂の建築家になった。42歳には、聖堂の思想の背後にあるキリスト教を知ろうとして、断食をして、死にかけた。それ以降は、残りの30年の人生すべてを聖堂の完成に集中した。『ガウディの生涯』(北川圭子、朝日新聞社)によると、ガウディの断食には、失恋によるショックもあったそうだ。ガウディは生涯独身で、聖堂の完成に打ち込んだ。1926年にガウディは73歳で事故死するが、聖堂はその十分の一も完成できなかった。
 すごいのは、ガウディの死後にも聖堂の建築が続いていることである。ガウディは、聖堂の完成を後生の人々に託した。現在でもまだ全体の5分の1しかできていないが、ガウディの没後100年に当たる2026年には完成するそうである。
 しかし、へたをすると、ガウディの死によって、建築は中止され、この聖堂は未完に終わったかもしれない。4本の塔だけが残り、忘れられてしまう可能性もあった。実際に、このサグラダ・ファミリア聖堂は、途中で何回も資金が尽きてしまい、中止となりかけた。資金を集めるために、ガウディみずからが戸別訪問をおこなったりもしたのである。また、ガウディの建築には、未完で終わった構想がたくさんある。最も有名なのはグエル公園である。ガウディは、実業家のグエルとともに、ひとつの都市を作るという壮大な構想をたてて仕事をしたが、途中で挫折して、公園になってしまった。また、コロニアル・グエル教会についても、ガウディは壮大な構想を描いたが、地下の部分だけ完成させて、未完に終わった。第3に、アメリカに大ホテルを作る計画もあった。ニューヨークのグランド・ホテルの建築計画である。第4は、タンジール計画である。モロッコのタンジールにあるフランシスコ伝道会を建築するという計画であったが、これも構想だけで終わった。
 ガウディほど構想が挫折した人もいない。失敗の連続である。サグラダ・ファミリア聖堂もこのように挫折してしまったかもしれない。4つの失敗と、サグラダ・ファミリア聖堂の成功を分けているものは、何なのだろう?
 ひとことでいうと、ガウディは、ひとつの宗教を作ったのである。サグラダ・ファミリア教という宗教を作った。自分もそれを信じたし、周囲の人もその宗教を信じた。ガウディが聖堂に人生をかけたという教祖の神話が、後を継ぐ人々にこの宗教を信じさせている。また、この宗教性が、若い芸術家を引きつける。日本人の外尾悦郎がそうであるように(『ガウディの伝言』光文社新書)、若い芸術家がサグラダ・ファミリア聖堂に惹かれ、聖堂の完成に人生をかける。ガウディは、「ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂」という宗教システムを新しく作った。後世の人々を引きこむ夢のシステムを作り、それを実装することに成功した。4つの失敗した計画には、こうした宗教性がなかったので、まわりの人を巻き込むことがなく、だから、ガウディがやめると計画もなくなった。ここが違うのである。
 こうした世代を超えるという神話を感じさせるところが、サグラダ・ファミリア聖堂の魅力である。サグラダ・ファミリア聖堂というシステムは、中高年にとっては、ひとつの救いでもある。夢は、自分が生きているうちに完成しなくてよい。後世の人々に完成を託せばよい。こういうヒントも与えてくれる。
 もうひとつは、資金源として、カトリックの協力が得られたことも大きい。この聖堂の魅力が、宗教組織を動かす力を持ったということも、完成への原動力となっている。しかし、後に、このことは逆に、政治的には逆風となり、スペイン内乱時代に聖堂が攻撃され、破壊されるという悲劇を生んでしまう。
 2026年に完成するサグラダ・ファミリア聖堂は、どのような形になるのだろうか。行く前にいろいろと本を調べたが、なかなかわからない。現地に行くと、売店には完成型の模型を売っていた。「サグラダ・ファミリア2026」というタイトルである。私は、完成型と、現在の姿の両方の模型を買ってきた。帰国後、両者を見比べながら毎日のように眺めている。2026年には、私は72歳になっているが、ぜひ完成した姿を見たいものである。

バルセロナ大学医学部とホスピタル・クリニック

 地下鉄5号線ホスピタル・クリニック駅でおりる。そこに、バルセロナ大学医学部病院(ホスピタル・クリニック)がある。地下鉄駅を出ると、すぐ前が巨大な病院である。バルセロナの建物にしては、個性のない、ふつうの建物である。
 正面の入り口から自由に入れる、中は、新しくて、きれいである。左右に長い廊下があり、奥へ行くとソファが置いてある。啓蒙用の写真が飾ってある。
 病院と向かい合わせで、巨大なバルセロナ大学医学部の建物がぴったり建っている。医学部の古い建物の三方を、病院の新しい建物がぐるっと取り囲むような形をしている。
 私が行ったときは、医学部の建物には、改装のためのネットがかかっていたが、古い中世からの建物のよう。この建物の中には自由に入れる。医学部の建物らしく、威厳がある。チェック模様の床が印象的。裏側が、医学部の建物の正式の入口である。そちらの入り口のところに、古い医学本の展示コーナーがある。医学史の博物館のようになっており、誰でも見学できる。展示された本を見ていたら、クロード・ベルナールの『実験医学序説』などに混じって、ピエール・ジャネの論文の載った「心理学雑紙」が展示されていた。
 この建物の5階には、精神科・臨床心理生物学科の研究室がある。
 ホスピタル・クリニック駅をはさんで、病院の反対側には産業大学(エスコーラ・インダストリアル)がある。町中にしては、大きなキャンパスである。巨大な建物が建っている。正面の建物は、円柱を囲んで大きな広場があり、その両側が巨大なアーケードになっている。キャンパスの中に入ると、地図がある。それによると、バルセロナ大学、カタルーニャ・ポリテクニク大学などの集合体のようである。

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4. 地下鉄3号線に沿って

バルセロナ大学ムンデット・キャンパスと心理学部

 地下鉄3号線のムンデット駅をおりると、バルセロナ大学ムンデット・キャンパスがある。ここには、バルセロナ大学の心理学部がある。心理学科ではなく、心理学部である。この中には、精神医学・臨床心理生物学科も含まれている。
 ムンデット駅は3号線の終点に近い。バロセロナを囲む小さな山のふもとに位置する。したがって、キャンパスは山の斜面に作られている。
 ムウデット駅は、新しく、清潔である。地上に出て、少し坂道を上ると、バルセロナ大学ムンデット・キャンパスである。坂道を上ると、教養学部のミグディア棟がある。
 さらに、坂道を上り、キャンパスの一番上までくると、教会がある。レンガ色の建物に白いレリーフ彫刻がある。ユニークな建物であり、とても目立っている。その隣りに、時計台の塔があり、この高い塔は、キャンパスのランドマークとなっている。

心理学部

 時計台の隣り建物が心理学部のあるポネント棟である。ポネント棟の1階は心理学事務室になっている。
 同じ階に、心理学の博物館がある。一般公開をしているので、建物の中には自由に入れる。廊下には、心理学関係の実験機器や、昔の知能検査が展示されている。毎年の卒業生の集合写真が何十枚も貼ってある。毎年デザインはちがっていて、ある年はロールシャッハテストの第Ⅰ図版がアレンジされた絵であった。
 博物館と書かれた部屋に行ってみたら、若い男の人がパソコンに向かって仕事していた。この人は英語が通じた。この博物館の写真を撮ってよいか、と男の人に聞いたら、「私ではわからないので、事務の女の人にきいてみる」といって、事務室へ行って、スペイン語で説明してくれた。その女の人も「私ではわからないので、学部長に聞いてみるから少し待ってくれ」と言う。4~5分廊下で待っていたら、写真OKという返事をもらった。こんなことでたらい回しにされるとは、スペインもすいぶん官僚主義である。もっとアバウトな人種かと思っていたが。
 建物の2階は教室になっている。3階以上が研究室であり、4階は社会心理学の研究室であった。廊下の休憩室には、電子レンジがあったり、生理用品の自動販売機があったりして、学生サービスはよいのだろうか。
 心理学部の前は広場になっていて、向かい側に生協の小さな売店がある。バルセロナ大学のロゴ入りのグッズが何かないかと聞いてみたら、UBと表紙に書かれたノートがあったので、3ユーロで買ってみた。広場の反対側は、図書館である。案内板には、この図書館に心理学・教育学とあったが、今は関係がないらしい。

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精神医学研究所とミクエル病院

 バルセロナ大学のムンデット・キャンパスを出て、外へ歩くと、ホルタのベロドロームという競技場がある。坂道を登っていくと、ラベリント公園がある。ここは広い子供用の公園であり、子どもたちがたくさん遊んでいた。
 さらに、坂を上っていくと、精神医学研究所(Psiquiátrico Instituto)がある。高いへいで囲まれた建物で、看板などはない。
 ムンデット駅のすぐ前には、サン・ミクエル病院という大きな看板がある。高い塀に囲まれていて、門が閉っている。門の前に小さくサン・ミクエル病院と書いてある。

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陸軍病院、デルファス病院、ガウディの作品群

 地下鉄3号線のバイカルカ駅でおりる。ここには、陸軍病院やデルファス病院、グエル公園がある。
 バイカルカ駅から、5分ほど北に行き、三叉路を右へ行くと、左手にデルフォス医療センター(Centro Médico Delfos)がある。300床の総合病院で、年に12000人が入院する。医師は260名である。精神科もある。救急医療でも有名で、年に30000人が救急外来に来る。
 さらに北へ行くと、サニタリ・ペレ・ビルギリ公園(Parc Sanitari pere Virgili)がある。この公園の西側は陸軍病院となっている。
 地下鉄3号線のバイカルカ駅から、15分ほど歩くと、グエル公園がある。ガウディが作った公園で、世界遺産である(入場無料)。入り口の門が奇抜な形をしている。入るとすぐ横に売店があるので、そこで地図を買うとよいだろう。この売店の屋根が青と白の塔になっていて、公園内からよく見えるランドマークタワーとなっている。正面の坂を上がると、タイル作りのトカゲの像があり、グエル公園のシンボルマークとなっている。さらに上がると、多数の柱に支えられた空間があり、その上が見晴し台である。グエル公園の映像はたいていこの見晴し台のものである。公園内は、ゴルゴダの丘、洗たく女などのいろいろな名所がある。いつも観光客でごった返している。公園内に、ガウディが20年間住んだ家があり、そこが博物館になっている。ピンク色をした派手な建物である。晩年のガウディがひとりで住んでいた家とのことで、少し寂しい気持ちになる。
 地下鉄3号線は、ほかにもガウディの建築が集中している。ディアゴナル駅にはカサ・ミラがあり、パセジ・ダ・グラシア駅にはカサ・バトリョがある。ガウディの3大住宅のふたつで、世界遺産である。入場料を払って、日本語の音声ガイドで説明を受けながら、建物の中を自由に見学できるのは面白い。内部の家具などは成金趣味である。カサ・ミラとカサ・バトリョがあるのは、グラシア通りというバルセロナ一の繁華街である。グラシア通りは、ガウディ以外のカタルーニャ・モデルニスモの建築家の奇抜なビルもたくさん並んでいる。ミラ家やバトリョ家は、富を誇示するために、奇抜で派手な建物を作るためにガウディに依頼したようである。サグラダ・ファミリア聖堂の思想からすると、やや違和感がある。
 今回の出張旅行では、ガウディの建築をゆっくり見る時間がなかったのは残念である。ガウディの建物はバルセロナのあちこちに散らばっている。ガウディを見ることは、バルセロナの町をあちこち歩かなければならない。すなわち、ガウディを知ることは、バルセロナの町を知ることでもある。これがガウディ巡りの楽しみである。この楽しみは、他の芸術家や他の都市ではなかなか味わえない。ガウディの建築を一度見てしまうと、なぜこういう発想が出たのか知りたくなる。同時代の建築家を知りたくなり、カタルーニャ・モデルニスモ運動やアール・ヌーボーが知りたくなり、スペインのイスラム文化(アルハンブラ宮殿)を知りたくなり、カタルーニャ文化を知りたくなる。知れば知るほど面白い。こうして、バルセロナにはまってしまう。

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旧サンタ・クレウ病院: ガウディとフレミング

 地下鉄3号線のリセウ駅でおりると、旧サンタ・クレウ病院がある。ガウディが息を引き取った病院である。
 リセウ駅のあるランプラス通りと直角に交わるのが病院通り(ホスピタル通り)である。この通りに入り、少し行くと左側にサン・アグスティ教会があり、さらに行くと、右側に古い巨大な建物がある。これが旧サンタ・クレウ病院である。
 バルセロナには中世から6つの病院ができていた。1401年にこれらの病院は合体して、サンタ・クレウ病院ができた。しかし、19世紀からバルセロナの街が成長するにつれて、この病院は狭くなったため、移転がはかられた。1902年から、新しくサン・パウ病院が建設された(この病院については前述した)。そして、1931年に、サンタ・クレウ病院は閉鎖され、この病院の機能は、新病院に合同されてサンタ・クレウ&サン・パウ病院となった。そして、現在に至っている。
 ガウディが息を引き取ったのはこの病院である。1926年6月に、夕方のミサに向かう途中で、テトゥアン広場の近くで、市電にはねられたガウディは、この病院に運ばれ、3日後に死んだ。あまりに貧しい身なりだったので、誰も高名な建築家ガウディとは気づかなかった。このようなエピソードは、ガウディの精神性への共感を高める要因となっている。
 この病院の跡地をぐるっと回ってみよう。旧サンタ・クレウ病院は、がっしりした古いレンガ造りの建物である。窓に宗教的なレリーフが彫ってあったり、水飲み場があったり、昔の病院という雰囲気を漂わせている。創立者のコロムのプレートも貼ってある。
 現在は、美術学校、カタルーニャ・ロイアル・アカデミー、サンタ・クレウ&サン・パウ病院図書室などが入っている。また、敷地内に新しい建物が建っているが、これはカタルーニャ国立図書館である。
 この病院の北側の隅は、フレミング博士広場という。ペニシリンの発見でノーベル賞を受賞したイギリスの医学者アレキサンダー・フレミング (1881~1955) をたたえたものである。広場の一角に、フレミングの彫像とともに、フレミングへの記念プレートが飾ってある。フレミングがバルセロナを訪問したのかと思い、調べてみたが、そうした事実はないようである。スペインでは、感染症で死亡する人が多く、ペニシリンの発見によって、その死亡率が劇的に低下した。このため、スペインでは、フレミングに対する評価が高いようだ。1955年にフレミングが亡くなると、スペイン中が彼の死を惜しんだということである。
 なお、ホスピタル通りは、治安がよくなさそうなので、夜は歩かない方がよいだろう。
 ランプラス通りを少し南に行くと、ガウディ建築のグエル邸がある。世界遺産である。しかし、私が行ったときは、改築中で、完全に覆いがかけられて、閉まっていた。

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ゴシック地区とモンジュイック地区

 地下鉄3号線のカタルーニャ駅から南のあたりは、バルセロナの旧市街であり、ゴシック地区と呼ばれる。カテドラルやサンタ・マリア・デル・マル教会、ピカソ美術館など、多くの観光スポットがある。
 地下鉄3号線のパラレル駅でおりて、登山電車で登ると、パルク・モンジュイック駅に着く。この近くにミロ美術館がある。さらに、ロープウェイに乗って、山頂に出ると、モンジュイック城がある。一部は軍事博物館になっている。
 スペインという国には、個人的な思い入れがある。学生時代に最も行きたかった場所はスペインであった。ひとつは、ダリ、ピカソ、ミロ、エル・グレコ、ゴヤといった画家を生んだ地であること。もうひとつは、多くの文学者がスペイン内戦に参加したことである。今の若い人には「スペイン内戦」といってもピンと来ないかもしれないが、1960~70年代の学生運動の時代には、一般の学生でも、スペイン内戦についてなにがしかの知識は持っていた。
 スペインでは、1931年に共和政が成立し、1936年には、社会党や共産党などが協力して、「人民戦線政府」が生まれた。これに対して、フランコ将軍が反乱をおこした。ドイツとイタリアはフランコを支援したのに対して、ソ連は人民戦線政府を援助し、ファシズム対共産主義の戦争の場となった。また、多くの知識人や芸術家が、反ファシズムの国際義勇兵としてこの戦争に参加した。この内線を舞台にした作品は、ヘミングウェーの『誰がために鐘は鳴る』、オーウェルの『カタロニア讃歌』、アンドレ・マルローの『希望』などがある。また、ピカソの『ゲルニカ』は、フランコへの抗議として描かれた。結局、1939年にフランコ側の勝利に終わり、以後、1970年まで、フランコの独裁が続いた。
 このスペイン内乱において、バルセロナは、人民戦線政府の中心地となった。バルセロナは、カタルーニャ地方の民族主義運動が強く、つねにスペインの中央政府から独立する動きがある。このため、スペイン内乱でも、カタルーニャ民族主義運動と連動して、バルセロナで強い動きが出たのである。オーウェルの『カタロニア讃歌』(ちくま学芸文庫)は、バルセロナを舞台としている。私は、バルセロナに行く前に、この本を読んだが、人民戦線政府の裏側を描いていて、かなり面白かった。と同時に、このホームページのような平和な文章が書ける時代に生きていてよかったとつくづく思った。
 このモンジュイック城において、フランコ政権下で、多くの人が処刑されたという。サン・ジャウマ広場の市庁舎には「百人会議室」というのがあり、1931年に、バルコニーから、共和制への以降が宣言されたという。カテドラル前の広場では、日曜日になると、「サルダーナ」を踊る輪ができるという。これは、カタルーニャに古くから伝わる民族舞踊で、フランコ政権下でカタルーニャが弾圧されていた時も、民族の団結の象徴として、踊り継がれてきたという。
 地下鉄3号線のエスパーニャ駅でおりると、すぐエスパーニャ広場である。そこからカタルーニャ美術館の偉容が望める。美術館へ行くのに、歩いて15分はかかる。途中にエスカレーターが何台かあって、それで登る。その近くに、民族博物館や考古学博物館がある。

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バルセロナ大学ディアゴナル・キャンパス: FCバルセロナの本拠地とガウディ建築

 地下鉄3号線の終点のソナ・ウニベルシタリア駅またはパラウ・レイアール駅でおりる。このあたりは、ディアゴナル通りをはさんで、バルセロナ大学のディアゴナル・キャンパスである。
 パラウ・レイアール駅でおりると、ディアゴナル通りの南側すぐに物理学部と化学部の大きなビルである。味もそっけもない立方体のビルである。中に自由に入れるようになっている。夜の8時頃行ったので、ほとんど誰もいなかった。まわりには、生物学部、生命工学、地質学部、薬学部などの自然科学のビルが並んでいる。芸術学部の奇抜なビルや図書館もある。以前は、心理学部のビルもあったが、ムンデット・キャンパスへと移動した。これらのビル群は、バルセロナでは珍しく、味もそっけもない形をしている。全体に古くて、ほこりまみれで、誰も愛着を持たずに放置されているという印象を受けた。
 しかし、中に、バルセロナ科学公園のビル群があり、ここだけは新しくて活気がある感じである。自然科学系の大学の研究所のようである。また、バルセロナ大学の他にも、教育大学省のビルや、カタルーニャ・ポリテクニク(職業大学)のビルもある。キャンパス内をトラム(市電)が走っていたが、まだ新しいためか、市電の情報は旅行ガイドブックには書いていない。
 キャンパスの南側には、サッカーのFCバルセロナの本拠のカンプ・ノウ・スタジアムがある。ロナウジーニョが活躍するFCバルセロナは、ベッカムのいたリアル・マドリードとともに、スペインでも1、2を争うチームである。周りには、FCバルセロナのショップやレストランなどが並んでいる。FCバルセロナの博物館もある。スタジアムの中を見学するスタジアム・ツアーもあるとのことである。
 ディアゴナル通りに戻ると、北側にもバルセロナ大学のキャンパスが続いている。法学部、経済学部、情報学部などの建物が並んでいる。その間に、ペドラルベス公園がある。公園の中には陶器博物館や装飾美術館がある。
 公園の東、法学部の北には、ガウディ建築の世界遺産「グエル別邸」がある。バルセロナ大学の持ち物となっている。一日に何回か内部見学ツアーがあるらしいが、それ以外は、敷地内に入れない。とはいえ、門の外から見るだけでも、おとぎの国の遊園地のような建物には驚かされる。私が見た最初のガウディ建築はこの建物だった。歩いていって、突然、この建物が目の前に現れたときにはびっくりした。門の扉に彫られたドラゴンの彫刻が有名である。デフォルメされたドラゴンの造形はハンパではない。100年前のグエル別邸の写真がパネルで飾ってある。今でこそ街中に建っているが、当時はのどかな田園の中にあった。田園の中に、突然、ディズニーランドのような建物が出現したら、もっと驚いただろう。

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5. 地下鉄4号線に沿って

海の病院: 病院であることを隠すデザイン

 地下鉄4号線に乗り換える。4号線のシウダリャ・ビラ・オリンピカ駅でおりると、海の病院(ホスピタル・デル・マル)がある。直訳すると「海の病院」ということになるが、ふつうの市民病院である。この病院は、地中海のリゾート地に建っており、そのデザイン性には感動する。これまで世界中の病院を見てきたが、ここはベスト3に入る病院である。
 地下鉄シウダリャ・ビラ・オリンピカ駅をおりると、マリーナ通りである。マリーナ通りの北をよく見ると、約3km先にサグラダ・ファミリア聖堂が見える。マリーナ通りの海の側には、2本の高層ビル(ツインタワー)が立っており、バルセロナのランドマークとなっている。このツインタワーの下のあたりが、オリンピック村である。1992年のバロセロナ・オリンピックで、選手村になったところである。バルセロナ・オリンピックといえば、14歳の岩崎恭子が平泳ぎで金メダルを取った大会である。オリンピック以後、バルセロナの街は現代化されたという。このあたりは、地中海に面しており、海水浴場やヨット・ハーバーがあり、そのまわりに、おしゃれなレストランやカフェやカジノが並んでいる。有名な「魚のオブジェ」がある。
 オリンピック村から、海岸に沿って、西へ伸びるのがマリティム通りである。このリゾート海岸の真中にあるのが、海の病院である。その名のとおり、海のすぐ前に建っている。マリティム通りに、病院の正門玄関と、救急車の出入り口がある。病院のすぐ前が、やしの木が並ぶ南国の通りであり、その向こうは地中海の砂浜である。浜では、水着姿の海水浴客でごったがえしている。そうしたリゾートのすぐ前に巨大な病院が建っている。
 驚くのは、病院という無粋な建物が、海浜リゾートの雰囲気をこわさないように配慮されていることである。砂浜にすぐ高層ビルがむき出しにならないように、浜辺側は低層の建物になっていて、高層の病棟ビルは、奥の方で目立たないように隠されている。また、リゾートに面した入口は、病院の売店やカフェテリアが出ているのだが、売店というよりは、ショッピング・モールである。いろんな店が入っており、ファッション関係の店もある。リゾート地によくあるショッピング・モールである。また、カフェテリアというよりは、ディスコのような派手な外観である。ディスコかと思って中を見たら、うす緑色の病院の制服を着た職員が食事をとっていたので驚いた。
 ショッピングモールの間を通って、病院の受付や外来棟の中に入る。病院の空間の使い方やデザインは、とても現代的で、病院とは思えない。リゾート地のホテルのようなしゃれた空間である。バルセロナの新しい建物の多くがそうであるように、シンプルでデザインも奇抜である。新しい建物であり、とても清潔が保たれている。この空間のすばらしさには驚く。
 建物の中に入ると、図書室とか、各科の外来がずっと並んでいる。病院の中は、細かなデザインで装飾されている。中庭がいくつもあり、オブジェが飾ってあり、中庭におりて、くつろげる。廊下には美術が飾ってある。知らなければ、誰も病院とは思わないだろう。病院としての機能は、徹底的に隠されている。病院性を隠す病院というコンセプトもはじめて見た。たぶんこのコンセプトには賛否両論もあったに違いないが、さすがにバルセロナの建物である。バルセロナという建築レベルの高い土地柄でなければ到達できないレベルである。
 これまで世界中の病院を見てきたが、この病院はベスト5にはいる。デザインのすばらしさは最高である。
 「これだけは見ておきたい病院ベスト5」は以下の通りである。

○こころの臨床ツアー 私撰 世界病院ベスト5

  1. バルセロナのサン・パウ病院。世界遺産の現役病院。
  2. バロセロナの海の病院(ホスピタル・デル・マル)。デザイン性で。
  3. 香港のクイーン・メリー病院。上下の立体構造の巧みさで。
  4. ロンドンのセント・トマス病院。テムス河をはさんだ国会議事堂の眺望で。
  5. ロンドンのセント・ジョージ病院。地域密着型の設計で。

 ベスト5のうち2つバロセロナに集中するのも面白い。

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海の病院の精神科と医学研究所

海の病院の外来棟に入っていくと、一番奥に精神科の外来があった。夜に行ったので、外来は閉っていた。
 この病院は、バルセロナ自律大学の医学部の大学病院にもなっていて、医学部がこの病院にある。2007年世界行動療法認知療法会議(WCBCT2007)では、病院から何人かが参加して発表していた。前述のように、バルセロナ自律大学は、スペインの認知行動療法の中心のひとつである。バルセロナ自律大学には、いくつかのキャンパスがあり、海の病院もそのひとつである。
 海の病院の東側の敷地には、生物医学研究パーク(PRBB)ビルがある。汽船の煙突のような奇抜な形をしており、焦げ茶色で、一度見たら忘れられない形をしている。遠くからみると、表面はギザギザして焦げたような感じがするので、まるで、火災にあったビルか、廃ビルのようにみえた。しかし、近寄ると、できたばかりの新築なのである。何と、巨大なビルの外側が、編み笠のようなものに覆われている。ビル全体が、虚無僧の編み笠をかぶっている。編み笠は、細い木で編まれたものである。編み笠とビルの建物の間は2メートルくらいの隙間があり、この中は日陰になって、涼しい。ビル全体が編み笠の日陰にはいるので、冷房効果があるのだろう。とはいえ、これだけのお金をかけて編み笠で覆う必要があるのだろうか。編み笠は焦げ茶色をしているので、遠くから見ると火災後か廃ビルのようにみえるのである。
 この生物医学研究パークビルの中に入ってみると、建物ができたばかりで、まだ何も入っていない。看板によると、①ポンペウ・ファブラ大学のマー・キャンパス(実験健康科学部;後述)、②ゲノム制御センター (CRG)、③市立医学研究所(IMIM)、④バルセロナ再生医学センター(CMRB)などが入り、バルセロナの医学の最先端を担うという。
 海の病院の西はバルセロネータ公園になっている。さらに西へ行くと、シーフード・レストラン街のあるバルセロネータ地区や、地下鉄4号線のバルセロネータ駅がある。

ポンペウ・ファブラ大学: 1990年創立の新しい大学

 地下鉄4号線のシウタデリャ・ビラ・オリンピカ駅まで戻り、少し歩くと、ポンペウ・ファブラ大学の建物がある。ポンペウ・ファブラ大学は、1990年にできた新しい大学で、8つの学部を持つ総合大学である。①シウタデリャ、②マル、③メディア・コミュニケーションという3つのキャンパスに分かれる。このシウタデリャ・キャンパスには、おもに文科系の学部が入っている。校舎はかなり新しく、建物もモダンで、清潔な印象である。②のマル・キャンパスは、前述のように、海の病院の隣にある生物医学研究パークビルにある。自然科学の実験健康科学部が入っている。
 ポンペウ・ファブラ大学の西側は、ウェリントン通りで、ここを市電が走っている。この市電は新しいので、旅行ガイドブックの地図にはまだ載っていない。

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シウタデリャ公園: 自然科学から政治まで何でもあり

 ウェリントン通りの西側は塀があり、向こう側はシウタデリャ公園である。ここは、いろいろなものが詰まったびっくり箱のような公園である。
 私は、行く前にはこの公園については調べていなかったが、買い物しようとしてホテルを出て歩いたら、南北を間違えて歩いたらしく、目的の店には着かず、楽しそうな遊園地のようなところに着いた。何かただことではない楽しさのある公園で、地図で調べたらシウタデリャ公園と書いてあった。公園内の至るところに、動物や美術のオブジェがある。
 公園の北側には、凱旋門が見える。その先には、地下鉄1号線のアルク・ダ・トリオンフ駅(凱旋門駅)がある。ここはパリ風である。観光客でごった返している。
 公園の北側には、動物学博物館がある。これは東洋のお城みたいな奇抜な建物である。この作品は、建築家ドメネク・イ・モンタネールの設計で有名である。ドメネクは、前述のように、ガウディと並ぶカタルーニャ・モデルニスモの建築家で、サン・パウ病院を設計した。
 動物学博物館のとなりは、植物園、地質学博物館、動物園と続いている。このあたりの雰囲気は、パリの自然史博物館や植物園に似ている。
 シウタデリャ公園は、もともと1888年の万国博覧会の会場として作られた。したがって,1855年から開かれているパリ万博を真似て、パリ風になるのは当然だろう。ドメネク・イ・モンタネールの動物学博物館は、もともと万博のレストランとして作られたものである。
 公園内の東側にもいろいろな建物がある。カスカード(落水館)という巨大なモニュメントと噴水がある。この装飾の一部は、若きガウディが担当した。なかなか見事なモニュメントで、見とれてしまう。これは、イタリア・ルネサンス風である。そのとなりが大きな池で、ボートに乗れる。
 そのとなりは、カタルーニャ議会の巨大な建物である。議会の前は小さな池のある広場となっていて、この池を挟んだ議会の建物が最も引き立つような配置になっている。議会の前には、警備員が立っていて、黒塗りの高級車が並んでいて、この一角だけ、場違いである。カタルーニャ地方は、民族的な独立心が強く、スペインからの独立が強く叫ばれており、カタルーニャ議会はその中心である。ガウディをはじめ、ピカソ、ミロといった芸術家は、カタルーニャ独立主義を唱えている(『カタルーニャの歴史と文化』文庫クセジュ)。
 バルセロナの人達は、スペイン語とは違うカタルーニャ語を話している。歴史的に、スペインの支配によって、カタルーニャ語は禁止され、スペイン語が公用語となっていた。ガウディが、禁じられたカタルーニャ語で警官と話したために逮捕されたことは有名である。しかし、1992年のバロセロナ・オリンピックにおいて、大会の公用語として、スペイン語と並んでカタルーニャ語が採用され、それ以降、カタルーニャ語が公式にも用いられるようになった。現在、バルセロナは、カタルーニャ語とスペイン語の両方の掲示がある。カタルーニャ語は、スペイン語とも異なるので、旅行者にとっては戸惑うことも多いが、こうした事情は、イングランド対スコットランド、イングランド対ウェールズの関係と似ている。
 カタルーニャ議会のとなりは、近代美術館である。カタルーニャ議会の向かいは教会である。東洋風の変った建物で、巨大な機関車を連想させる。そのとなりは、何かの研究所である(Institut de Batxillerat Verdaguer: カタルーニャ語なので調べられなかった)。
 以上のように、シウタデリャ公園は、自然科学から政治から美術まで、何でもありのごった煮である。

国際会議場: WCBCT2007の会場

 地下鉄4号線のエル・マレズマ・フォルム駅でおりると、国際会議場CCIBがある。2007年の世界行動療法認知療法会議(WCBCT2007)はここで開かれた。バルセロナにはいくつか国際会議場があるが、ここは最も海に近く、見晴らしがよい。会場のすぐ南は砂浜になっていて、地中海が見渡せる。
 バルセロナ市街を横断するディアゴナル通りの西側の終点にある(ディアゴナル通りの東側の終点は、バルセロナ大学のディアゴナル・キャンパスである)。この国際会議場は、バルセロナの中心地からは少し離れているが、地下鉄4号線とトラムの駅があり、交通の便はよい。
 WCBCTが開かれた時は、地下鉄4号線が工事のため閉鎖されていた。バスの代行輸送がおこなわれた。会議は7月に開かれたが、6月21日から8月27日まで閉鎖された。しかも、この会議場と私が泊ったホテルの間の地下鉄だけ閉鎖された。まるでいやがらせのような時期と区間である。日本では地下鉄が止まるといったことは少ないが、ヨーロッパではよくあることである。
 地下鉄が止ったので、もうひとつの交通機関のトラム(市電)に乗ることになった。トラムはのんびりとディアゴナル通りを走り、バルセロナの風景をゆっくり見ることができたのは幸いであった。

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