2001年6月19日から6月25日まで,イギリスのグラスゴウで開かれた英国認知行動療法学会(British Association of Behavior and Cognitive Psychotherapies: 以下BABCPと略す)に出席してきた。
BABCPは,英国の国内学会ではあるが,認知行動療法に関しては国際的な中心のひとつである。出席している顔触れを見ても,認知行動アプローチでは世界的なメンバーが多い。この学会のシンポジウムや講演の内容を見ると,実証にもとづく臨床心理学(Evidence-based approach)ということが当然のこととして語られていた。例えば,“Evidence-based Guidelines for Dental Practice”といった講演があったり,「不眠症に対する認知行動療法の効果」とか「認知行動療法の訓練の効果を評価する」「ルーティンの仕事への効果的で効率的なアプローチ」といったタイトルなど,治療効果についての演題が非常に多かった。 また,実証にもとづく臨床心理学の方法論の柱となる無作為割付対照試験(Randomized Controlled Trial: 以下RCTと略す)の発表がいくつか見られていた。例えば,「精神分裂病の再発初期における認知行動的介入-RCTの結果」とか,「介護者支援プログラムのRCT」といった演題がいくつか見られた。RCTをめざすのは当然といった雰囲気であり,これは日本では考えられないことである。日本にRCTを根付かせるためにはあと20年はかかるのではないだろうか(悲観的な見方だろうか?)。 日本のような事例検討や事例報告の発表は,BABCPではほとんど見られなかった。臨床場面での具体的な問題については,学会と同時におこなわれている「ワークショップ」で話されているようであった。学会はアカデミックな科学的な発表の場であり,ワークショップは,1日くらいかけてゆっくりと,臨床場面の具体的なケースや治療技法などについての学ぶ講習会のようなものである。
筆者のポスター発表は「被害妄想観念の発生の予測について」というものであり,精神分裂病の研究に近い。しぜんに精神分裂病についてのいろいろなシンポジウムや講演を多く聴くことになった。日本では精神分裂病について臨床心理学からの研究は非常に少なく,ほとんどは精神医学からのものである。ところが,イギリスでは臨床心理士が精神分裂病の治療に深くタッチしており,臨床心理士が中心となった研究も非常に多い。BABCPは精神科医の学会ではなく,臨床心理士の学会なのである。例えば,バーミンガム大学のマックス・バーチウッド教授の講演によると,精神分裂病の早期介入がNHS(英国健康サービス)の正式の活動として取り入れられることになり,英国で50カ所に早期介入施設が作られる予定とのことである。その方法論を確立したのが,バーチウッド教授率いるバーミンガムの早期介入センターである。精神分裂病の発病を予測し,それにもとづいて初回のエピソードがあった時にすぐに介入できる体制を整えているのである。そうした予測を高めたり,初回のエピソードから精神科への受診を早めるために,いろいろな工夫をしていた。そうした早期介入の効果を証明するために,無作為割付対照試験(RCT)を使いたいのだが,早期介入ではそうしたこともできず,新たな介入効果の方法論を工夫しなければならないと言っていた。バーチウッド教授は,精神分裂病の心理学的治療については世界的に著名であり,今年9月に心理臨床学会の招きで来日して講演する予定となっており,今回,その打ち合わせをすることができた。これに関連して,同じく9月に心理臨床学会の招きで来日して講演する予定のロンドン大学のサルコフスキス教授と打ち合わせをすることができたのも幸いであった。
また,妄想や幻覚の症状別アプローチで知られるマンチェスター大学のベンタル教授は,パラノイア・抑うつ・軽躁という3つの症状を心理学的に説明するモデルを発表していた。イギリスの臨床心理学の特徴は,こうした精神病理学的なメカニズム研究がさかんなことであり,今回,「被害妄想の認知モデル」といった発表があったりしたのは個人的にきわめて刺激的であった。また,マンチェスター大学のタリア教授を中心とする精神分裂病の家族介入の研究も以前から盛んにおこなわれており,彼のグループのバロウクロウさん(タリア教授の奥さんとのこと)が,精神分裂病の病理と家族の感情表出の関係についての研究を発表していた。
ここにあげた研究の基本は,実証にもとづく臨床心理学(Evidence-based approach)であり,客観的にアセスメントをすすめ,それを統計学的に処理し,厳正な手続きで治療の効果を調べていく方法論をとっている。客観的な研究をすすめるためのアセスメントツールはきわめて豊富にそろっている。
学会では書籍の展示があるが,それを利用して実証にもとづく臨床心理学についてのいろいろな書籍やそれについての情報を収集してきた。日本で注文すると1ヶ月もかかるうえに,郵送費などでかなり割高になる。海外の学会を利用して書籍を安く集められたことは収穫であった。
"Clnical Psychology and Single-Case Evidence" By F.Petermann & J.Muller, Wiley. 2001.
"Anxiety Disorders: An Evidence-Based Approach to Psychological Treatment"
By P. McLean & S. Woody, Oxford University Press. 2001.
"Investigative Interviewing" By R. Milne & R. Bull, Wiley. 1999.
"Motivational Interviewing: Preparing People to Change Addictive Behavior"
Edited by W.Miller & S.Rollnick, Guilford Press. 1991.
"Handbook of Cognitive-Behavioral Therapies, 2nd Ed." Edited by K. Dobson, Guilford Press. 2001.
"Skills Training Manual for Treating Borderline Personality Disorder"
By M. Linehan, Guilford Press. 1993.
"Overcoming Shame" By W. Dryden, Sheldon Press, 1997. "Overcoming Guilt" By W. Dryden, Sheldon Press, 1994. "Coping With Blushingt" By R. Edelmann, Sheldon Press, 1994. "How to Start a Conversation and Make Friends" By D. Gabor, Sheldon Press, 1983.
今回,BABCPに参加して思ったことは,若手の研究者をどんどん海外の学会に出して,勉強させる必要があるということである。国際的な学会で刺激を受けたり,英語で発表したりするためには,若ければ若い方がよいであろう。ある程度の業績もでき地位も固まってからでは遅い気がする。河合隼雄氏が英語第2公用語論を展開して強調しているように,日本の臨床心理学を国際化していくことはぜひとも必要である。日進月歩の世界の情報を翻訳によって吸収していては遅いのである(このことは『心理学ワールド』の中でデワラジャ氏が日本の心理学を批判して述べているとおりである)。また,海外の情報を受け取るだけでの受信型ではダメなのであり,日本からどんどんオリジナルな成果を出していく発信型の体制が必要なのである。そのためには,本補助金の研究代表者および分担者のような中堅の研究者の努力ももちろん必要であるが,それと同時に,大学院生や若手研究者を外国の学会で発表させるシステムが必要ではなかろうか。日本心理学会では,4年に一度の国際心理学会にヤングサイコロジストとして10人ほどの若手(30歳未満)を奨学派遣している。これまで派遣された顔ぶれを見ると,やはり国際的に活躍している人もいる。臨床心理学関係の学会も,若手の研究者や臨床家を海外で勉強させるべきではなかろうか。
また,臨床心理学関係の国際学会を日本で開催することも考慮すべきであろう。その意味で,2001年の人間科学研究国際会議(International Human Science Research Conference:大正大学)や,2004年の世界認知行動療法学会(World Congress of Behavioral and Cognitive Therapies:神戸)などの試みは注目される。このような国際的な学会の開催はぜひとも積極的に応援していきたいものである。