認知行動療法を学ぼう世界の大学と病院を歩く丹野研究室の紹介駒場の授業
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2004年ICP(国際心理学会議・北京): 丹野義彦 2004年8月

1.どんな学会が、いつ、どこで開かれるか

国際心理学会議 International Congress of Psychology(ICP)
日時:2004年8月8日~13日
場所:北京国際会議センター

2.どんな領域の研究者が参加するか、どんな雰囲気の学会か

 この学会は、4年に一度、ちょうどオリンピックの年に開催される。基礎的な心理学の発表が主である。実験心理学、教育心理学、発達心理学などが多い。臨床心理学など、実践心理学の発表は少ない。認知行動療法の研究者はほとんど見かけなかった。 4年に一度、いろいろな国の心理学者が集まるお祭りという雰囲気の学会である。 とくに中国の心理学者は力を入れていた。大会の記念切手が発行されたとかで、きれいな切手シートが販売されていた。

3.学会の規模は 何人くらい参加するか

 大規模の大会である。北京大会の参加者は、5500人名であった。多くは地元の中国の人たちである。外国からは、日本人550名、アメリカ人386名である。日本からの参加者は、外国人としては第一位であり、参加者の1割は日本人である。

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4.どんなプログラムがあるか、その内容で印象に残ったことは

①講演

 開会式では、ノーベル経済学賞を受賞したカーネマンがノーベル賞受賞者講演をした。人間の推論は、直感的な推論システムと、精緻な思考的推論システムの2つに分かれるという内容であった。また、日本の河合隼雄文化庁長官が、講演をおこなった。東アジアと欧米の文化は違いがあるという内容であり、内容はよく理解できた。

②シンポジウム

 シンポジウムは、学会の中心を占めるプログラムである。日本からも多くの心理学者がシンポジウムを企画していた。これはこれまでのICPでは見られない現象であり、たいへん心強いことである。
 丹野も、「アジアにおける統合失調症の認知障害研究」というシンポジウムで副主催者をつとめた。香港大学のリー教授を呼び、日本から、横田正夫(日本大学)、石垣琢麿(横浜国立大学)、井村修(大阪大学)と筆者をいれて、認知障害の研究成果を発表した。このシンポジウムの準備はけっこうたいへんだった。

③ポスター発表と口頭発表

多くの人が発表していた。丹野研の関係者も多くの発表をおこなっていた。

④ヤング・サイコロジストプログラム

 世界の若手研究者を集めたヤング・サイコロジスト・プログラムがあるのも特徴である。日本心理学会が推薦して資金援助した若手研究者が発表する。丹野もアカプルコ大会でこれに参加した。北京大会では、東海女子大学の陳さんらが日本心理学会から奨学派遣されていた。

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5.有名な研究者でどんな人が参加するか

 基礎的な心理学の発表が主であり、臨床心理学など、実践心理学の発表は少ない。認知行動療法の研究者はほとんど見かけなかった。認知行動アプローチの研究者としては、モッグとブラッドリー(イギリスのサウサンプトン大学)が企画した「不安と脅威の情報処理」というシンポジウムがあり、ここには、マシューズ(イギリスのケンブリッジ大学)、マクロード(西オーストラリア大学)、エーマン(スウェーデンのカロリンスカ大学)などが参加していた。カナダのラドスールなどが参加していた。

6.日本から誰が参加していたか

 この大会の特徴は、一度参加すると次回も参加したくなることである。日本人のリピーター率はかなり高いので、日本からの参加者数は、大会ごとに増えている(丹野もアカプルコ以来ずっと出席している)。
 1984年 アカプルコ大会 約100名
 1992年 ブラッセル大会 360名
 1996年 モントリオール大会 411名
 2000年 ストックホルム大会 500名
 2004年 北京大会 550名
 北京の大会では、アメリカの386名を抜いて、外国からの参加者数は一位となった。会場を歩いていても、すぐに日本人の知り合いと出会うので、日本の学会にいる時とあまり変わらない。
 2008年のベルリン大会では、600名以上の参加者となるのではないだろうか。

7.発表申し込みの〆切はいつか、大会参加費はいくらか

 ポスターなどの登録〆切は2004年2月1日。
 参加費は、400ドル、学生は150ドルである。

8.次回の学会はいつどこで開かれるか

 次回の国際心理学会議(ICP)は,2008年7月に、ドイツのベルリンで開かれる。
日時:2008年7月20-25日
場所:ベルリンの国際会議センター
 ポスターなどの登録〆切は2007年10月1日。
 ホームページ  www.icp2008.de
 日本からも多くの講演やシンポジウムやポスター発表を出したいものです。

9.学会や大学や旅行や観光で気がついたこと、その他

 中国心理学会は、北京の心理学施設を紹介することに精力的であり、大会期間中に、北京の心理学施設を見学するツアーをおこなっていた。会議後の半日を利用して、北京の臨床心理学関連の大学を見学した。その報告については、このホームページの「世界の臨床心理学の研究施設を訪ねる」のコーナーを参照のこと。
 この学会が始まる前日は、サッカーのアジア・カップの決勝戦(日本 対 中国)が北京でおこなわれ、日本人に対する中国人の態度が大きく取りあげられた日であった。日本を出発する朝の新聞は、一面で「北京厳戒体制」と伝えていた。もし、日本が勝ったら、日本人は北京で袋だたきに会うのではなかろうか。よりによってこんな時に北京に乗り込むというのは心配であった。海外旅行保険も、いつもは入るのに、今回は忘れていて入らなかった。ケガをしたらどうしようなどとハラハラした。
 北京空港では危険を感じることはなかったが、あまり出歩かないようにして、ホテルでテレビでサッカー日本 対 中国戦を見た。ホテルでは、日本のNHKも放映していたので、中国語の放送と日本語の放送とを見比べてみた。やはり、自国のチームがチャンスになると、アナウンサーも大声になる。結局3-1で日本チームが勝ったが、中国の放送のアナウンサーはとても白けていた。中国の放送では、日本人の応援の声なども、ほとんど聞こえなかった。こんなことも、めったにない体験である。
 翌日のNHKを見ると、会場では、日本人サポーターたちはたいへんな目に会ったとのことで、会場に1時間くらい足止めされたとのこと。止まっていたホテルと、サッカーの会場はだいぶ離れていたが、あまり出歩かなくて良かった。とはいえ、翌日からも、とくに日本人バッシングに会うということは全くなく、荒れたのはサッカーの会場だけのことのようであった。「北京厳戒体制」と書いた新聞は何だったのだろう。その後も、会議期間中に、日本と北朝鮮の実務者協議がおこなわれたりして、北京のことが日本に報道されていた。また、評論家の田原総一郎が北朝鮮のよど号事件の当事者と会談したりして、帰りは同じ飛行機に乗っていた。こんなことも、めったにない体験であった。

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