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ロンドン通信 1号

2002年8月1日から、2003年の1月25日まで、文部科学省の在外研究員として、ロ ンドン大学精神医学研究所に滞在します。そのようすをオンラインでご紹介したいと思います。どんどん記事を書きつないでいく予定です。

1.在外研究は天国か地獄か(2002年9月6日)

文部科学省の在外研究は、応募者も多くなかなか当たらないということを聞きます 。でも私は意外にすんなりと当たりました。運と巡り合わせがよかったのだと思います。もうひとつ、東大に来てちょうど10年になり、それなりに授業と学内仕事にも 精を出しましたので、そろそろ1回サバティカルをやろうかということで、在外研究に当たったのだと思います。1年は長すぎるので、半年ということですが。
6ヶ月間ですが、研究三昧の生活を送れることは、夢のようなことです。授業と会議はありませんし、天国みたいなものです。出発したとき、日本はたいへんな猛暑で したが、こちらロンドンはたいへん涼しく、これだけでも来てよかったなと思うほど です。夜もぐっすりと眠れますので、東京亜熱帯に比べたら、天国みたいなものです 。ただ、人に聞くと冬の寒さはものすごいそうで、夏は天国、冬は地獄とならないよ うに気をつけたいと思います。  現在、精神医学研究所の中のResearch Fellow Room というところに机をもらって、 毎日研究に励んでいます。研究所の身分証を提示します。
身分証明書
写真1 精神医学研究所の身分証

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2. 精神医学研究所とはどんなところか(2002年9月6日)

 ロンドン大学の精神医学研究所とはどんなところか紹介いたします。精神医学研究 所(Institute of Psychiatry)は、こちらでは略してIoPと呼んでいます。
 ロンドン大学は、いろいろな学部や研究所の集合体です。ロンドン大学の組織につ いては、ホームページ http://www.lon.ac.uk/colleges.htm をごらん下さい。そのう ちのKing's College Londonという組織の中に、IoP(精神医学研究所)があります。
 IoPには、心理学部、心理医学部、神経学部など、いろいろな学部があります。 詳しくはIoPのホームページ http://www.iop.kcl.ac.uk/iop/departments.stm を ごらん下さい。そちらに建物の写真も載っています。
 IoPは、モーズレイ病院に隣接しています。モーズレイ病院は、日本でいえば松 沢病院のような大きな公立の精神科病院で、アイゼンクのMPI(モーズレイ・パー ソナリティ・インベントリ)でも有名です。IoPの多くの研究者はモーズレイ病院 で臨床もおこなっています。
 IoPの心理学部(Department of Psychology)は、アイゼンクが創設したもので 、生理心理学のジェフリー・グレイなどを輩出しています。現在は、認知行動療法の 世界的な研究機関となり、パニック障害の認知行動療法で有名なデイビッド・クラー クが学部長を務めています。また、強迫性障害の認知行動理論のサルコフスキスなど が教授をつとめています。詳しくは、心理学部のホームページ http://www.iop.kcl.ac.uk/iop/Departments/Psycholo/index.stm をごらん下さい
 私は、精神分裂病の研究をしているヘムズレイ(David Hemsley)教授のもとにお世 話になっています。ヘムズレイ教授のもとには、精神分裂病の心理学的研究をしてい る若い研究者がたくさんいます。その方たちの研究についていろいろと教えてもらい ながら、精神分裂病や妄想・幻覚の研究をおこなっています。

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3. IoPは認知行動アプローチの世界の中心のひとつ (2002年9月6日)

 なぜロンドン大学を選んだのかとよく聞かれます。私は最初からアメリカよりはイ ギリスの臨床心理学に惹かれていました。極端にいうと、アメリカの臨床心理学は、 「直ればよい」という治療効率主義ですが、イギリスの臨床心理学は、精神病理のメ カニズムにこだわり、メカニズムに合った治療を考えるという特徴があります。私自 身にもそのようなメカニズム志向が強くあります。こうした考え方を著書『エビデン ス臨床心理学』(丹野義彦著、日本評論社)の中で明確にしたつもりです。
 基礎心理学と臨床心理学のインターフェースが進んでいるという点も、イギリスの 特徴のような気がします。精神医学研究所では、臨床と基礎研究が当たり前のように 結びついています。このような研究・臨床・教育のシステムをどのようにしたら日本 でも作り出せるのかを勉強してきたいと思います。  ロンドン大学を選んだ理由は、私の指導教官だった群馬大学精神科の町山幸輝教授 がロンドン大学に留学していたということも大きく作用しています。町山先生に指導 していただくうちに、イギリスの臨床心理学・精神病理学が、私の考え方を形成して きたのだと思います
 こちらから日本の先生方にあいさつのメールを送ったところ、いろいろな方からメ ールの返事をいただきました。その反応をみますと、心理学の先生よりも、むしろ精 神医学の先生から、多くのメールをいただきました。多くの精神医学の先生が精神医 学研究所に留学しています。
 ただ、これからは心理学部は世界的にも有名になると思います。前述のように、デ イビッド・クラークとポール・サルコフスキスが教授となっていますが、彼らがオク スフォード大学から移ってきたのは、2年前の2000年のことでした。これによって心 理学部は世代交代が進み、認知行動アプローチの若い研究者がどんどん育っています 。9月2日にはサルコフスキス教授が「強迫性障害の心理学と神経科学の統合」とい うセミナーを開き、教室は聴衆でいっぱいでした。このような活気のある時期に、こ ちらに滞在できることはたいへん幸運なことです。ちなみにサルコフスキス教授の仕 事については、この9月に金子書房から『認知行動療法の臨床ワークショップ:サル コフスキスとバーチウッドの面接技法』(丹野義彦編)という本を出したばかりでし たので、私にとってはたいへんタイムリーでした。

精神医学研究所でのサルコフスキス教授のセミナー
写真2 精神医学研究所でのサルコフスキス教授のセミナー

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4. 若い研究者は海外での研究を考えてください (2002年9月6日)

 私は、一生、海外生活をすることなどはないだろうと思っていましたが、この年に なって在外研究に当たりました。研究者としての人生には、最低1回は、海外生活を することになると考えた方が良さそうです。できれば若いうちがよいですが、私のよ うに年をとってからという場合もあります。研究者の方は、ぜひ海外での研究生活と いうことを考えておいてください。
 日本の臨床系の研究者が留学について考える要素は、次の通りです。

  1. どこに行くか
  2. 留学資金をどうするか
  3. 英語能力をどうするか
  4. 英語で論文を書いているか
  5. 外国の研究室でどんな研究をするか
  6. 外国の研究室でどんな臨床をするか
  7. 博士号を取ってから行くか、行ってから取るか
  8. 就職をしてから行くか、行ってから就職するか
  9. 家族との関係をどうするか
  10. モチベーションをどう高めるか
  1. どこに行くか(人脈・コネ)
     論文などで親しんでいる人、自分と同じ研究をしている人のところに行くのがベス トでしょう。研究していると誰かは意中の研究者というものが出てくるものです。国 際学会でコネを付けたり、指導教官のつてなどもあります。大学や研究所のホームペ ージをよくみておいて、どんな人がいるか調べておくことも役立ちます。
  2. 留学資金をどうするか
     渡航費と滞在費をどうするかということです。学振の特別研究員となるのが一番良 いようです。また、いろいろな公募研究費に応募するのもよいし、最後は自費という ことになります。文部科学省の在外研究は、最近は、若手の枠が増えて、若い人が在 外研究に当たりやすくなっていると聞いています。若い教官の方々、ぜひ応募してく ださい。
  3. 英語能力をどうするか
     聞く力、話す力、読む力、書く力をどうトレーニングするかです。私のようにほと んど英会話ができない人間でも、身振り手振りで研究所で何とかなるということがわ かりました。若いみなさんは、ぜひ英会話を勉強して、もっとスマートに生活してく ださい。英語力は必須なので、いろいろ工夫して勉強しておく必要があります。DV Dの映画で英語字幕を使って読んだり、BBCやCNNのニュースをみる、TOEF LとかTOEICなどを受ける、国際学会にはまめに参加する、など。
  4. 英語で論文を書いているか
     英語の論文があると、自分の研究を説明しやすくなります。向こうも一人前の研究 者として認めてくれます。ある意味では、英語で論文を書くために留学するという面 もあるわけです。修士論文を英語で書くとかなり楽になるようです(丹野研の院生に はこれをすすめています)。
  5. 外国の研究室でどんな研究をするか
     在外研究の生活をみると、大きく文科系と理科系で違うようです。文科系の先生は 、大学の講義を聴いたり、図書館で文献を調べる研究が主のようです。例えば、中公 新書の『ケンブリッジのカレッジライフ』には経済学の研究者の生活が描かれていま す。著者の安部悦生氏は、ケンブリッジ大学の図書館で読書や調べものをして1年間 を過ごしています。夏目漱石もそうでした。漱石は、ロンドン大学での講義を1ヶ月 でやめて、下宿で本を読む生活を2年間続けました(これは漱石のメンタルヘルスを 破壊し、漱石はパラノイア状態になったようです)。一方、理科系の先生は、外国の 研究室に入って、実験をしてくるというのが普通のようです。それをもとに論文を書 いて来たとよく言います。心理学の先生もこの2つに分かれます。実験系心理学の先 生は、理科系に近い実験生活をしてくる人も見られます。実験系でない先生(例えば 調査系の人や臨床系の人)は、実験するというのは難しいため、文科系に近い生活を するようです。私自身はその中間的な在外研究を送るのではないかと思っています。 学生の場合は講義を聴き勉強だけしてくるということもあるでしょう。海外での生活 はいろいろな危機と隣り合わせです。夏目漱石のように、メンタルヘルスの面でも危 機的な状況となります。私自身もこちらに来て1週間くらいは不安になったりしまし た。外国で生活する場合は、まわりの人とのコミュニケーションが保てる状況を作り 、孤立した生活をしないことも大切です。だからどんな研究スタイルをとるかという ことは重要なことなのです。
  6. 外国の研究室でどんな臨床をするか
     臨床系の研究者は、臨床現場での仕事をどのようにするかということが問題になり ます。実際の臨床に携わる人もいるでしょうが、語学力や資格のことを考えると、実 際の治療やカウンセリングにかかわることは難しいでしょう。臨床現場を見学したり 、臨床の手伝いをしたり、臨床研究の手伝いをするといったことにならざるを得ない でしょう。短期訓練コースを受講する人も多いと思います。私の在外研究の間に、そ のようなコースをいろいろ探してみたいと思っています。受講したら受講証明書をも らうとよいでしょう。
  7. 博士号を取ってから行くか、行ってから取るか
     博士を取ってから留学するのがベストだと思います。博士を取るためには、3~5 年のインテンシブな一貫した仕事が必要ですが、博士をとる前に留学すると、研究内 容に一貫性がなくなって、まとまらなくなる危険があります。また、博士を取ってか ら留学すると、向こうも一人前の研究者として認めてくれます。博士をとる前に留学 する場合は、海外の大学院でPh.Dを取るといった覚悟が必要でしょう。こちらに来て 知り合ったある心理学の先生は、博士課程の2年間で博士号をとってしまい、学振が 1年余ったので、その年を海外研究に当てたということです。1年して帰ったらすぐ に大学への就職も決まったということです。このようなコースがとれれば一番良いで しょう。
  8. 就職をしてから行くか、行ってから就職するか
     留学してから就職するか、就職してから留学するか、これも迷うところです。でき れば、若いうちの留学がよいようです。就職してしまうと、仕事が忙しくなったり、 研究への意欲が低くなり、そもそも留学する意欲がなくなってしまうことも多いよう です。しかし、逆に、留学すると、なかなか就職先が見つからなかったりしますし、 雑用の多い日本の大学には魅力を感じなくなる場合もあるようです。私のように、就 職してから在外研究などで留学する道も開かれています。
  9. 家族との関係をどうするか
     留学するなら、独身のうちが動きやすいでしょう。その場合、親をどのように説得 するかという問題が出てくるでしょう。家庭を持ってから留学する場合は、家族で動 くか、単身生活をとるかの選択が必要になります。私の場合は後者を選択。
  10. モチベーションをどう高めるか
     留学へのモチベーションをいかに高めていくかということです。周りにいる人が、 留学したり国際学会で発表したりする雰囲気だと、自然にモチベーションが高まるで しょう。逆に、海外で研究するような雰囲気が周りにないと、行こうというモチベー ションもないでしょう。できるだけ、そのような雰囲気を作りたいものです。そのた めにこの「ロンドン通信」のような記事が役に立てばと思っています。

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