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ロンドン通信 2号

5.夏目漱石からちょうど100年: 漱石を越えられるだろうか (2002年10月4日)

5-1.漱石との共通点

 夏目漱石がロンドンに留学したのは1900-1902年のことであり、今からちょうど100年前のことでした。今回の私の在外研究は、漱石の留学と多くの共通点があります。①大学の教官が、②文部省からお金をもらって、③ロンドン大学に留学し、④家族と別れて単身で、⑤ロンドンで長期間の研究生活を送ったという点です。漱石は、イギリスで文学の本質を究めたいという使命感を持っており、帰国してからオリジナルの「文学論」を書きます。このような強い使命感も、臨床心理学に対する私の使命感と共通します。漱石との因縁を感じます。精神医学研究所はDenmark Hillという駅にありますが、この地は漱石の下宿の近くであり、Denmark Hillという地名は漱石の日記にも登場します。
  しかし、漱石と私の研究生活は、正反対になりました。

5-2.漱石のロンドン生活

 漱石が「ロンドンで暮らした2年間は最も不愉快な2年間だった」と書いていることは有名です。漱石が留学した1902年は、イギリスの最も盛えたビクトリア女王の時代でした。「七つの海に没することを知らない」大英帝国の時代であり、「世界の工場」として繁栄した時期でした。そうした世界の最先端の国へ漱石はやってきたわけです。当時の日本はまだ後進国でした。漱石は、自分のことを「御殿場のウサギが、日本橋の真ん中に放り出されたような心持ち」と表現しています。漱石の生活はさんざんだったようです。はじめはロンドン大学で講義を聴いていましたが、英語がわからないので、すぐにやめてしまい、クレイグ先生の個人教授に週1回通うだけになります。馬車や汽車に乗ることも怖くてできなかったようで、2時間も歩いてクレイグ先生の自宅まで通います。当時の日本人は貧乏でした。漱石は給料を三等分し、それぞれ下宿代・生活費・本代に当てました。本を多く買うために、安い宿に住み、生活費を切りつめます。給料の3分の1を使ってコツコツと本を買い集め、1000冊近くを集めます。しかし、古本しか買えませんでした。そして、どこへも出かけずに下宿で本を読む毎日でした。2年間もこのような窮乏の自閉生活を続けたら、誰だっておかしくなるでしょう。こうした生活は、漱石のメンタルヘルスを破壊し、漱石はパラノイア状態になったようです。「夏目発狂せり」という評判がたったのだそうです。下宿のおばさんが見かねて、「自転車にでも乗って運動したら」とすすめたほどでした(当時、自転車はモダンなスポーツだったそうです)。

5-3.現代のロンドン生活

 私の研究生活は、漱石とは正反対になりました。今の私は、漱石とは逆に「ロンドンで暮らした半年間は最も愉快な半年間だった」と言えるかもしれません。
 ロンドン大学からは研究室やパソコンも使わせてもらえましたし、精神医学研究所の研究会や図書館などとにも自由に出入りできました。授業や会議がないぶん、研究に専念できました。おもだった研究者と知り合いになることもできました。
 日本にいても、インターネットで世界中の本を集められる時代です。主な文献や専門雑誌はすでに日本にもあるので、そもそも漱石のように本を集める必要がありません。当時の日本人は貧乏でしたが、今の日本人は金持ちです。ロンドン社会では日本人は裕福な階層であり(バブル全盛の頃ほどではありませんが)、治安のよい高級住宅地に住んでいます。日本語の通じる店もたくさんあります。旅行にも自由にでかけられますし、イギリスの観光地には日本語の表示もかなりあります。日本の新聞も駅の売店で買えました。慣れてくると、ほとんど日本にいるときと変わらない感覚で生活することができます。日本にいる時と同じ感覚でeメールで連絡もとれました。
 それどころか、漱石から100年後の現在、イギリスと日本の関係は逆転したのではないかと思います。日本は世界の先進国になりました。今のロンドンには、SONYやToshibaやPanasonicのパソコンやエレクトロニクス機器があふれています。トッテナム・コート・ロードという街は、ロンドンの秋葉原と言われていますが、実際に行ってみたら、秋葉原の10分の1ほどの規模もありません。東京では安く簡単に手に入った情報機器がなかなか見つからず、あっても高価で困ります。イギリス製の機械は故障が多くて、とても使えません。社会の機械化や情報化という点では、東京の方がはるかに進んでいます。ロンドンにはコンビニや自動販売機や電気機器量販店や大規模ソフトレンタル店もそれほどありません。消費社会という点では、ロンドンより東京のほうが15年は確実に進んでいます。ロンドンの地下鉄や鉄道は、狭いし汚いし、ストが頻繁にあるし、窓口には長い行列ができるし、ダイヤは乱れるし、信頼できません。漱石が下宿のおばさんから勧められた自転車は、今のロンドンでは、交通事故や盗難が怖くてとても使えたものではありません。ある面では、日本はイギリスを追い越してしまっているのです(漱石はビクトリア女王の葬儀を見たようですが、これは大英帝国の斜陽を示す象徴的な出来事だったと思います)。今の私は、漱石とは逆に、「日本橋のウサギが御殿場に放り出されたような心持ち」を味わっています。漱石とは逆の意味で「ロンドンで暮らした半年間は不便な半年間だった」と言えるのではないかと思います。

5-4.真価が問われるのはこれから

 しかし、本当に問われるのは帰国してからだと思います。漱石は、ロンドンではさんざんな生活を送りますが、イギリス文学との悪戦苦闘の中から、文学の本質について考えます。こうした体験から、オリジナルの「文学論」を書き、さらには『我が輩は猫である』に始まる作品群を生みだしていったわけです。また、イギリス社会は、物質的には日本に抜かれたかもしれませんが、文化的には圧倒的な優位を保っています(大英博物館とかナショナルギャラリーに行けばすぐに理解できるでしょう)。
 私もロンドンでの生活を日本でどのように生かしていけるか、これからが問われるのだと感じます。漱石の時代には、英語の本を集めることは確かにイギリスでしかできないことであり、それなりの意義はあったと思います。しかし、今では、本集めは世界のどこででもできることでしょう。漱石の時代は、欧米のものを何でもありがたがって輸入すればよかったのかもしれません。しかし、日本が世界のトップレベルにたった今、日本人に必要なことは、日本から文化を発信していくことです。今、イギリスでしかできないことは、イギリスの研究者と交流すること、イギリスの臨床心理学研究をしっかりと見てくること、世界のこれからの臨床心理学の方向を考えることだと思います。そして、それをどのように日本の臨床心理学づくりに生かしていくのか、それが問われていくのだと思っています。

5-5.余談

 最後に余談ですが、こちらの教授の家に呼ばれたときに、1000円札を持っていって、これがロンドンに留学していた有名な作家だと説明して時間をかせいだり、お子さんにおこずかいとしてあげたりして、小道具として重宝しました。こちらに来てから、1000円札から漱石が消えることになったと聞きました。残念です。

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6.在外研究の目的と課題: 見たいこと、考えたいこと(2002年10月4日)

 今回の在外研究で、私はどんな仕事をすべきなのでしょうか、また、何を目標とすべきなのでしょうか。これについては、イギリスに来る前から考えていましたし、こちらに来ても毎日考えています。私は、仕事の枠組みとして、いつも次の5つのレベルで考えるようにしているので、それに沿って考えてみたいと思います。 1.世界の臨床心理学のレベル、2.日本の臨床心理学のレベル、3.学会や研究会のレベル、4.丹野研究室のレベル、5.個人のレベル。

6-1.世界の臨床心理学のレベル: 発信型の臨床心理学研究システムを考える

 まず、世界の異常心理学や臨床心理学がどのような状況にあるのかをしっかりと見てきたいと思います。また、いかにしたら、日本人が世界のレベルの研究ができるかを考えたいと思います。これまでの日本の異常心理学や臨床心理学は,海外の研究を輸入するだけの受信型でしたが,これからは日本の研究を海外にアピールしていく発信型にならなければなりません。夏目漱石の時代ならば、欧米のものをありがたがって輸入すればよかったのかもしれません。しかし、日本が世界のトップレベルにたった今、これからは研究を発信していかなければなりません。このような国際化という視点は日本の臨床心理学が最も必要とするものです(日本心理臨床学会は英文誌を発行すべきだろうと思います)。これからは、日本の研究者は、世界と対等な立場でオリジナルな研究を発表していくことが必要でしょう。
 このため、できるだけ多くの方と会って、研究や臨床の話しを伺おうと思っています。臨床心理学や心理学や精神医学の研究者30人くらいとは会ってみたいと思っています(今のところ20人くらいの研究者とコネを作りました)。
 認知行動アプローチについていうと、大きな目標は、2004年7月20日~24日に神戸で開かれるWCBCT(国際行動認知療法学会、World Congress of Behavioral and Cognitive Therapies)です。ホームページは http://www.congre.co.jp/WCBCT2004/ ここで専門のシンポジウムを3つくらい組織したいと考えています。例えば、妄想と幻覚のメカニズム、Schizotypyとアナログ研究の最先端、対人不安研究、抑うつ研究などのシンポジウムです。そのため、イギリスからの話題提供者の根回しをしておくつもりです。こうした国際シンポジウムによって、日本の研究者も発表する機会が得られ、研究の水準も引き上げられるでしょう。また、神戸大会の宣伝もしています(イギリスで会った研究者には、必ず神戸大会のパンフレットを手渡しています)。
 認知行動アプローチのもうひとつの目標は、3大国際学会の利用です。

①イギリスのBABCP(英国S認知行動療法学会,British Association of Behavior and Cognitive Psychotherapies) ホームページは http://www.babcp.org.uk
②ヨーロッパのEABCT(欧州認知行動療法学会,European Association of Behavior and Cognitive Therapies) ホームページは http://www.eabct.cz/
③アメリカのAABT(行動療法促進学会、Association for Advancement of Behavior Therapy)ホームページはhttp://www.aabt.org
 この3つの大会は毎年7月、9月、11月に開かれています。これらに参加して毎年研究を発表していけば、国際レベルの研究をしていくモチベーションになります。来年からの開催場所と日程は以下の通りです。

2003年 7月16日~19 日 BABCP ヨーク
2003年 9月10日~13 日 EABCT プラハ
2003年 11月20日~23日 AABT  ボストン

(2004年7月20日~24日 WCBCT 神戸大会)
2004年 9月7日~11日 BABCP マンチェスター EABCTと共催
2004年 9月7日~11日 EABCT マンチェスター
2004年 11月18日~21日 AABT  ニューオーリンズ

2005年 ? BABCP 場所未定
2005年 ? EABCT 場所未定
2005年 11月17日~20日 AABT  ワシントン

6-2.日本の臨床心理学のレベル: 実証にもとづく臨床心理学のシステムを考える

 大きく言えば、「実証にもとづく臨床心理学」を日本に確立したいというのが目的です。私の在外研究の課題は「精神分裂病の臨床心理学的研究」というものです。日本では、精神分裂病の治療は、臨床心理学よりも精神医学で扱われることが多かったのですが、欧米では、臨床心理学の中心課題です。そこで、欧米の精神分裂病の研究と心理学的治療をよく見てきて、それを日本に確立したいと思います。精神分裂病に限らず、異常心理学と認知行動アプローチを日本の臨床心理学に確立したいと思います。

 具体的にいうと、Hemsley教授とGarety教授の研究グループの精神病についての臨床心理学研究に携わりながら、研究のマネジメントの仕方、研究のオーガナイズの仕方などを見てきたいと思っています。実証にもとづく臨床心理学は、大きな研究者集団があってはじめて機能するシステムです。例えば、治療効果研究においては、研究の計画・実施・評価・統計処理などが別の人によっておこなわれなければなりません。研究者と臨床家の協同作業となるため、オーガナイザーやコーディネーターが必要になります。こうした発想は薬物療法の効果を調べるために出てきたのですが、英米の臨床心理学ではごく当りまえの考え方になっています。また、異常心理学の研究も、最近の欧米ではかなり大規模な研究もおこなわれるようになっています。研究費の申請の仕方や使い方なども見て来れればと思います。欧米の臨床心理学は、基礎心理学とのインターフェースが盛んです。このような研究システムを日本にも作っていくために、マネジメントの仕方を勉強したいと思います。

6-3.学会や研究会のレベル: 認知行動療法の育成システムを考える

 日本の認知行動療法を盛んにするにはどうしたらよいか、その方法を考えたいと思います。そのためには、「距離の壁」と「言語の壁」を乗りこえる必要があるでしょう。
 「距離の壁」を乗りこえるためには、①日本から欧米に訓練を受けに行くこと、②欧米から専門家を呼んで訓練を受けることがあります。①については、「欧米の学会のワークショップで認知行動療法を学ぼう」キャンペーンというものを考えています。前述の3大国際学会には、臨床家のためのワークショップが併設されています。私の経験から言って、ワークショップに出るとかなり臨床の腕が上がるようです(丹野義彦編『認知行動療法ワークショップ』金子書房を参照)。そこで、こうしたワークショップの情報を集めて、それを公開したいと思います。さらには、おもな学会にはツアーを組んで出かけていって、いっしょに勉強しようと企画しています。とくに、2003年9月10日~13 日のEABCTのプラハ大会は狙い目です。詳しくは、丹野研のホームページをごらん下さい( http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/tanno/workshop.html )。また、日本から長期間欧米の大学に留学して、認知行動療法の訓練コースを受けてくる人を積極的に支援するシステムを考えたいと思います。そのために、欧米の認知行動療法の訓練コースの情報を集めて紹介したいと思います。
 ②についても、有名な臨床家を日本に呼んでワークショップを開きたいと思っています。昨年は、サルコフスキス教授とバーチウッド教授の来日が果たせましたので、これからデイビット・クラーク教授とか、ニック・タリア教授などを呼べないでしょうか。そのような根回しもしたいと思います。あるいは、「テレビ会議」などのシステムを用いて外国でのワークショップを日本で聞くシステムなども考えられます。
 認知行動療法の訓練にはもうひとつの壁があります。「言語の壁」です。これを乗りこえるためには、認知行動療法のテキストや治療の本を翻訳・紹介していく作業が不可欠だと思います。認知行動療法の効果研究のために、構造化された治療マニュアルがたくさん作られています。これらは臨床家の訓練にも有効であると言われています。そうしたマニュアルを系統的に翻訳し、日本に紹介していくことが大切だと思います。

6-4.丹野研究室のレベル: 丹野研を国際化するシステム

 今回の在外研究の成果が、丹野研での研究活動に還元されるようなシステムを考えたいと思います。 イギリスで学んだ最先端の異常心理学研究を、丹野研の研究に反映できるようにするにはどうしたらよいかを考えています。妄想・幻覚の研究,分裂病型人格障害などの研究や成果を勉強してきたいと思います。研究のシステム(例えば、ジャーナルクラブのやり方)やツール(アセスメントツール)も見てきたいと思います。また、アナログ研究についても詳しく見てきたいと思っています。丹野研の仕事は、臨床研究とアナログ研究を同じ比重で扱っています。イギリスでも最近は、非臨床群を対象にした統計的な研究をおこなう研究者が出てきています。幻覚研究のBentall教授(マンチェスター大学)や分裂病型人格障害研究のClaridge教授(オクスフォード大学)などです、このような研究者と会って勉強してきたいと思います。良書の翻訳を丹野研全体で手がけて英語力の増強をはかることも考えます(業績にもなりますし)。
 研究成果の発表を国際化するためのシステムも考えたいと思います。院生が書いた英語投稿論文を見てもらえるイギリスの研究者を捜したり(基本はイギリス人とのコネつくり)、前述の3大国際学会にできるだけ私自身が参加するようにして、院生が国際学会で発表しやすい環境を作るなどが考えられます。また、丹野研関係者が、私のロンドン滞在中にこちらに来て共同研究ができるように配慮します。実際、石垣琢麿さんや杉浦義典さんなどが渡英するプランを立てていることは頼もしいことです(日本の臨床心理学の先生が何人か、私の滞在中にロンドンに来ていただき、いろいろご案内する予定です)。また、今回のコネを利用すれば、丹野研関係者が将来、留学したいと思ったときにも役に立つでしょう。留学や臨床訓練コースについての情報もできるだけ集めてきたいと思います。

6-5.個人のレベル: 自分の原点に戻りたい

 私個人のレベルとしては、研究の原点に帰って、異常心理学の研究三昧の生活を送りたいと思っています。Hemsley教授とGarety教授の研究グループの精神病についての臨床心理学研究に携わって、論文(少なくとも共著論文)を書ければと思います。書きかけの研究論文もたくさんあるので完成させたいですし、妄想や幻覚のレビュー論文も書いてみたいと思います。時間がある限り、研究論文をたくさん読みたいと思います。
 また、英語のヒアリングや会話をマスターするのも夢です。ロンドンで生活していても、実際にはそれほど英国人と長時間話す機会はないものです。本気でマスターするにはそれなりのトレーニングを受ける必要があるでしょう。また、教養学部の「現代教育論」ではイギリスの教育制度について教えているので、イギリスの大学や学校制度についても情報を集めたいと思っています。
 最後に、休日にはイギリスというものをよく知りたいと思います。ロンドンの美術館も回りましたし、イギリスの歴史の本も実に面白く読みました(駒場時代は、心理学に行けなかったら美術史や西洋史への進学も考えていたことを30年ぶりに思い出しました)。イギリスは旅行がとても盛んです。私もストーンヘンジとか、バースとか、湖水地方、エディンバラなど回りましたが、旅行というものがこんなに楽しくリフレッシュになるとは知りませんでした。スコットランドなどにも行ってみたいと思います。

 以上、たくさんの目的や課題をあげましたが、基本としては、個々の課題を達成するというよりは、日本とイギリスを結びつけるような全体的なシステムを考えたいということです。半年間のことだけ考えるのではなく、日本に帰ってからの5年10年といった長期的なスパンで考えたいと思います。夏目漱石はイギリスで文学と苦闘し、帰国後にオリジナルな「文学論」を発表し、日本の文学を変えるような新しい小説群を発表していきました。私も帰国後にオリジナルな研究をしたり、日本の臨床心理学の新しい流れを作っていけるような、そんな在外研究にしたいと思います。  あと4ヶ月でどれだけ達成できるかはわかりません。ここで宣言した以上、できるだけ達成するようにがんばらないといけないでしょう(冷や汗)。滞在はあと4ヶ月しかないので、イギリスでしかできないことに集中して取り組みたいと思います。

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7.木村駿先生の死を悼む: 日本の異常心理学の草分け(2002年10月4日)

 ロンドンに来てすぐの8月、インターネットで新聞を読んでいて、木村駿先生(群馬大学名誉教授)の訃報に接しました。木村先生は、ロンドン大学の精神医学研究所で学ばれ、日本の異常心理学や行動療法の草分けとなった方です。
 木村先生は、早稲田大学のご出身で、ロンドン大学の精神医学研究所で学ばれています。当時はアイゼンクが教授をつとめていたと思います。北山修氏(現九州大学)とともに、恐怖症の研究で有名なアイザック・マークス教授の研究会に出たということです。その当時のことは、ラックマンの『恐怖の意味』の訳者あとがきに詳しく書かれています。このあとがきは私にとっては非常に大きな影響力がありました。これを読んで、ぜひとも精神医学研究所やモーズレイ病院に行きたいなと思ったものでした。それが今や実現したわけです。マークス教授にも会うことができました。
 木村先生は、日本の行動療法の草分けであり、対人恐怖の研究や治療で知られています。「日本人の対人恐怖」という本を勁草書房から出されています。この本は、対人恐怖のアナログ研究の成果をまとめたものであり、今の私の研究室の源流ともなっています。また、対人不安の社会心理学研究の古典であるジンバルドーの『シャイネス』を訳されています。
 また、学習性無力感理論を日本に紹介したひとりでもあります。セリグマンの『うつ病の行動学-学習性絶望感とは何か』(誠信書房)を平井久先生と共同で訳されています。この本も日本に大きな影響を与えました。アイゼンクといい、ラックマンといい、マークスといい、ジンバルドーといい、セリグマンといい、異常心理学が行動理論から認知理論へと変わっていく転換点に当たる研究者・臨床家です。そうした各分野のポイントとなる人の著書を木村先生は訳しておられます。日本の認知病理学の基礎を作られた方といえるでしょう。
 個人的なことですが、私が群馬大学医学部で研究していた時に、木村先生は群馬大学教育学部の教授をされていて、お世話になりました。その後、木村先生は明星大学へと移られ、そこの大学院の指定校化に尽くされ、私も明星大学の非常勤講師に招かれたことがあります。その時に、木村先生のホームグラウンドである新宿の高級パブに飲みに連れて行ってもらったことがありました。そういえば、群馬大学時代にも、飲みに連れて行ってもらったことがあり、その時はなぜか病院の食堂でエビフライをつまみにビールを飲んだ記憶があります(昨日、ロンドンでエビフライを食べていて、ふと木村先生と飲んだことを思い出し、追悼文を書かねばと思ったしだいです)。

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