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7.ケンブリッジ (イギリス) 2005年5月29日更新

フルボーン病院

 フルボーン病院は、ケンブリッジ駅から東に4kmほどのところにある。ケンブリッジ駅から南側に一本隔てたケンブリッジ通りを東に行くと、フルボーン病院の入り口が見える。タクシーでも10分ほどの距離である。駅前のレンタルサイクルを借りていくのも良いだろう。フルボーン病院は、ケンブリッジ大学医学部の教育病院のひとつとなっている。塀などもなく、自由に敷地に入れる。
 フルボーン病院は、1858年に開設された。当時は1000床近くの大きな病院であったという。この病院の歴史は、クラークの『21世紀の精神医療への挑戦:フルボーンは眠らない』に書かれているが、他のイギリスの精神病院と変わるところのない病院であった。
 1953年に、精神科医のクラークが院長となり、フルボーン病院は、コミュニティ・ケア(地域医療)の先進的な病院として有名になる。デイビッド・H・クラーク(1920-)は、ケンブリッジ大学とエディンバラ大学で医学の教育を受け、ロンドン大学のモーズレイ病院でオーブリー・ルイスのもとで精神医療の実践に当たった。また、精神分析的な集団精神療法で有名なフークスの指導も受けたという。その後、32歳でフルボーン病院の院長となった。クラークは、30年間院長をつとめ、1983年に引退した。この間に、「ケンブリッジ精神科リハビリテーション・サービス」(CPRS)と呼ばれる地域ケアシステムを作り上げた。この試みは、クラークの『21世紀の精神医療への挑戦:フルボーンは眠らない』に詳述されている。
 1970年代以降、イギリスでは、コミュニティ・ケアを重視するようになった。クラークのCPRSは、精神科コミュニティ・ケアの確立に大きく貢献したのである。当時は「バンクーバー・モデルか、ケンブリッジ・モデルか?」と世界を代表する2大モデルとされた。
 クラークの著作は何冊も邦訳されている。『精神医学と社会療法』(秋本波留夫・北垣日出子訳、医学書院)、『ある精神科医師の回想』(蟻塚亮二監訳、創造出版)、『21世紀の精神医療への挑戦:フルボーンは眠らない』(蟻塚亮二監訳、創造出版)である。
 この病院で研修した日本の精神科医は多い。元群馬大学精神科の伊勢田堯氏が、1988年にフルボーン病院に留学するなど、いくつかの報告がある(伊勢田ほか、臨床精神医学, 19, 674-680; 小川、臨床精神医学, 22, 499-503; 小川・長谷川, 精神医学レビュー,15, 82-84)。
 クラーク在職中はかなり先進的な実践をおこなっていたようだが、クラークの退職後は、そうした先端的な試みが難しくなったようだ。これも『21世紀の精神医療への挑戦:フルボーンは眠らない』に書かれている。イギリスの精神医療全体が、フルボーン病院のようなコミュニティ・ケアを当たり前とするようになったのだろう。
 コミュニティ・ケアが進むにつれて、イギリスの精神病院はどんどん小さくなっている。フルボーン病院も例外ではなく、病院そのものは小さい。広大な敷地の中に、平屋の病棟が点在している。長期的な入院設備は縮小され、短期的な入院が主となっている。エイドリアン・ハウス、ケント・ハウス、ジョージ・マッケンジー・ハウス、バーネット・ハウス、エリザベス・ハウス、フレンズ病棟、デンビ病棟、スプリングバンク病棟といった建物群であり、こうした病棟名は『21世紀の精神医療への挑戦:フルボーンは眠らない』の中にも登場する。デイビット・クラーク・ハウスという病棟もできていた。病棟の名前は、建設資金を提供した人の名前であることが多い。また、エリザベス・ハウスには、臨床心理学のユニットがある。
 フルボーン病院の北には、ケンブリッジ空港がある。2000メートルの滑走路があるが、旅客用の空港ではないようだ。

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ケンブリッジ大学 自閉症研究センター

 ケンブリッジの中心部を南北に横断するヒルズ通りから一本西側のトランピングトン通りにダグラス・ハウスがある。2階建ての建物である。ここには、ケンブリッジ大学医学部の心理医学科(精神科)の発達精神医学の臨床施設が入っている。自閉症研究センター、学習障害研究チーム、子どもの身体障害研究チーム、ブルックサイド家族コンサルテーション・クリニックなどである。
 心理学者と精神科医のチームからなり、心理学者の主任は心理学教授のバロン-コーエンである。精神科医の主任は、児童・思春期精神医学教授のグッドヤーである。
 とりわけバロン-コーエン率いる自閉症研究センターは、世界的に有名である。サイモン・バロン-コーエンは、ロンドン大学のUCLでPh.D.をとり、ロンドン大学精神医学研究所で臨床心理士の資格をとった。精神医学研究所の講師をつとめた後、ケンブリッジ大学の教授となった。自閉症の「心の理論」の研究を強力に押し進めて、多くの論文・著書を発表している。バロン-コーエンの著書の多くは邦訳されている。『自閉症入門―親のためのガイドブック』(中央法規出版)、『心の理論―自閉症の視点から』(八千代出版)、『自閉症とマインド・ブラインドネス』(青土社)などである。
 バロン-コーエンは、2003年に"The Essential Difference"という本を出版し、男女差の問題を科学的に正面から取りあげて話題となっている。マスメディアにも登場し、イギリス社会でも大きな反響を呼んでいるという。この本は、2005年に『共感する女脳、システム化する男脳』というタイトルで邦訳された(三宅真砂子訳、若林明雄解説、NHK出版)。
 この本に解説文を書いている若林明雄氏(千葉大学文学部)は、2004年から、ケンブリッジ大学の自閉症研究センターに留学していた。そこで、筆者は、ケンブリッジ大学の若林氏を尋ねた。若林氏はセンターに一室をもらって研究していた。若林氏の案内で、自閉症研究センターの中を見学し、自閉症についての最先端の研究について話を聞いた。心理学者は、自閉症研究部門と学習障害研究部分、子供の障害研究部門に分かれているということであった。自閉性障害や学習障害の子供たちが、研究や治療のためにこのセンターを訪れているという。自閉性障害の子供の才能を生かして、コンピューターの操作能力や芸術能力を高める訓練法なども行っているという。見学の際に、若林氏に紹介されて、バロン-コーエンと話すことができたのは幸いであった。
 また、精神医学は、ケンブリッジ大学医学部の心理医学科(精神科)の発達精神医学のチームが研究している。若林氏の案内で、そのトップのグッドヤーと話すことができたのも幸いである。

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ケンブリッジ大学 認知脳科学ユニット

 トランピングトン通りを少し北へ行ったチョーサー通りに、認知脳科学ユニット(Cognition and Brain Sciences Unit)がある。2階建てのふつうの建物で目立たないが、ケンブリッジ大学の建物で、イギリスを代表する心理学者が研究している。
 その歴史はそうそうたるものである。1944年に、ケンブリッジ大学の実験心理学の初代教授のバートレットが、大学の中に、応用心理学研究施設(アプライド・サイコジー・ユニット)を作った。この施設は、クレイク、マックワース、ブロードベント、バッドリーといった認知心理学の世界最高峰の研究者が所長をつとめた。
 初代の所長はケネス・クレイクである。彼はサイバネティクスの初期の理論構成に大きな役割を果たした。明るさの知覚の研究で、「クレイク=オブライエン効果」が知られているが、これは彼の名前をとったものである。彼は31歳の若さで交通事故死した。彼はサイバネティクスの考え方を心理学に応用しようという構想を持っており、その影響力は強かった。イギリスの実験心理学会の創設には、クレイクの遺志が強かったという。その後、マックワースが所長となり、続いてブロードベントが1958年まで所長をつとめた。ドナルド・ブロードベント(1926-1993)はクレイクのサイバネティクス理論の影響を受け、工学心理学を唱えた。1958年に、大著『知覚とコミュニケーション』をあらわし、ケンブリッジ大学の名前を世界に知らしめた。その後は、1974年に、バッドリーが所長となった。アラン・バッドリー(1934-)は、作業記憶の研究で有名であり、『記憶の心理学』、『作業記憶』、『記憶力』などの著作がある。最後のものは邦訳がある(川幡政道訳、誠信書房)。
 現在は、この施設は、認知脳科学ユニットと名称を変えて、世界的な水準の研究をおこなっている。注意、感情、記憶と知識、言語という4分野に分かれて研究がおこなわれており、このうち、感情のグループには、ティーズデイル、マシューズ、ダルグライシといったそうそうたる臨床心理学の理論家がいる。
 ジョン・ティーズデイルは、イギリスで最も有名な臨床心理学者のひとりといってよいだろう。彼は、ロンドン大学の精神医学研究所心理学科で博士をとった。1978年には、アメリカのエイブラムソンやセリグマンとともに、「改訂学習性無力感理論」を発表し、学習性無力感理論と社会心理学の原因帰属理論を結びつけてうつ病を説明した。この理論は、臨床社会心理学の出発点となった。エイブラムソンら3名の共同研究の裏話については、セリグマンの書いた『オプティミストはなぜ成功するか』(講談社文庫)に活写されているのでおすすめ。その後、ティーズデイルは、「抑うつ的処理活性仮説」を提出し、大きな反響を呼んだ。この経過については、筆者の『エビデンス臨床心理学』のなかで解説した。1987年にケンブリッジ大学のこの施設に移ってからは、1993年に『感情、認知、変化:抑うつ思考を再びモデル化する』という本を書き、2002年には、シーガルやウィリアムスと共著で『うつ病へのマインドフルネス認知療法』という本を書いて話題になった。2004年には大学を定年退官したが、マインドフルネス認知療法の普及のため精力的に飛び回っている。エネルギッシュな明るい人で、アメリカ人的である。しかし、坊主頭をしていたのであとで聞いたら、何と仏教徒なのだという。
 アンドリュー・マシューズは、不安の情報処理の理論や、感情が認知にどのようなバイアスをもたらすかという実験心理学の研究で有名である。ストループ課題やダイコティック・リスニング課題(両耳分離聴課題)などを用いた実験で多くの論文を発表している。邦訳された論文としては、クラークとフェアバーン編『認知行動療法の科学と実践』(伊豫雅臣監訳、星和書店, 2003年)に「情動障害における情報処理の偏り」がある。
 ティム・ダルグライシは、PTSDなどの不安障害の理論的研究を精力的に発表し、頭角をあらわしてきた若手の研究者である。ロンドン大学精神医学研究所をへて、ケンブリッジ大学の認知脳科学ユニットに来た。著書に『認知と感情:秩序から障害へ』『認知と感情ハンドブック』、『回復された記憶』などがある。

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